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映画日記その308 「福田村事件」

1923年春、澤田智一(井浦新)は妻の静子(田中麗奈)と共に、日本統治下の朝鮮・京城から千葉県福田村に帰郷する。彼は日本軍が同地で犯した蛮行を目撃していたが、静子にはそのことを話さずにいた。そのころ、ある行商団一行15人が香川から関東を目指して出発していた。行商団が利根川の渡し場に向かっていた9月6日、地元の人とのささいな口論が、その5日前に発生した関東大震災で大混乱に陥っていた村民たちを刺激し、さまざまなデマが飛び交う中で悲劇へと発展していく。

シネマトゥデイ


本作は実際におきた事件を基にした映画で、多くの差別問題が織りこまれている。このような「差別」をテーマにした映画のなかで、本作ほど強烈に迫る映画はほかにあるだろうか。「朝鮮人差別」「部落差別」「女性差別」などなど、ちと盛り込みすぎ感はあるにせよ、それでも強く心に突き刺さる。

とりわけ朝鮮人差別が本作の主題になるのだが、いかんせん、人種差別・民族差別・偏見というのは、人類が進化をとげていく過程のなかでおこる自己保存の本能であるため、そう簡単になくなるものではない。むしろ差別がおこるほうが自然といえる。

しかしこの福田村事件は、人種差別意識がベースにあっての、日本人どうしの虐殺事件だ。本作を鑑賞すると、人間のあまりの愚かさに言葉を失う。日本人の潜在的にあった朝鮮人に対しての差別意識と偏見が、関東大震災という未曾有の災害による不安と恐怖によって暴発するのだ。

震災による混乱と恐怖のなかで、「朝鮮人が火をつけた」「朝鮮人が井戸に毒をいれた」などというデマが流れる。そしてデマは真実ととらえられ、多くの朝鮮人が自警団や軍隊によって虐殺される。そんなときに香川から千葉の福田村へ来た15人の日本人行商が、朝鮮人と間違えられ、そのうちの9人が殺害されるのだ。

それもおどろくことに、加害者は軍隊ではなく福田村の普通の村人たちだ。つまり普通の人たちが、不安と恐怖と疑心暗鬼によって冷静さを失い、ついには信じられないほどの蛮行につぎつぎと加担していくのだ。

思えばそう、コロナ禍の海外で、外国人のアジア人差別による日本人への暴行事件が多発した。外国人からしたら日本人も中国人もいっしょだ。中国人に間違えられた日本人が暴行を受けるというニュースを何度かみた。これも潜在的な差別意識が不安と恐怖によって暴発したものだ。

あと、そう。きのう(11/1)の埼玉県蕨市の郵便局立てこもり事件。犯人はクルド人だというデマがSNSでめっちゃ広がった。なぜそんなデマが広がったかというと、近くの川口市でクルド人集団がいろいろ悪さをしていたのがベースにあったからだ。これはクルド人に対しての疑心暗鬼と、立てこもり事件の混乱と不安が重なってデマとなって広がったものだ。

このように人種差別・民族差別・偏見は、そこに不安や恐怖や疑心暗鬼が加わると冷静さを失い、思わぬ方向へ暴発することがある。そして悲しいことに差別は、もとからある人間の本能からくるものだ。

とはいえ、差別をなくすことはできないが、減らすことはできるとボク個人的には思う。どうすれば減らせるのか。それは「教育」だと思う。子どものころからの「教育」によって、子どもに差別をしないという考えを持てるように導いていく。

そして大人も差別をしないという姿勢を子どもに見せる。一朝一夕で減らせるものではないが、未来は今よりも少しでも差別が少ない世の中になるような努力を、人間一人ひとりが地道にしていくしかないのではと思う。「差別」について、そんなことを考えさせられる映画だ。


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