見出し画像

εν αρχη ην ο λογος

訳のわからぬ曲線の並びが主張する。
“はじめにLogosありき。”

とある宗教の話ではない。全ては繋がっている。

ことばがなければ、
自分と話すことすらできないのだ。
己の中で生まれた何かを己から切り離し、それと対話することで、はじめて孤独が生まれる。
私と"私"、水入らずの完全な閉鎖空間が。

孤独はもとからあったものではない。
我々の祖先が、発明したのだ。

そうして自我が生まれた瞬間、肉体は自我の指示に従わねばならなくなった。
無意識に空気を求めて動く肺を、脈動する心臓を、自我によって止めることができるのだ!
両の手を意のままに操り、景色も感情も書き残すことかできるのだ!

支配する、されるという関係は、ここから始まっていたのだ。
過去現在未来という概念が、ここから生まれたのだ。

ヘレン・ケラーが最初に体得したのは、「物には名前がある」という概念。

はじめに、言葉ありき。
言葉は、神であり、
文学は、宗教である。
信じるのは神ではなく、経典で
お経は呪文ではなく、文学だ

これほどまでに恐ろしいものを、
どうしてこうもあたりまえのように
体得してしまったのか。

参考文献:三浦雅士「孤独の発明」


この記事が参加している募集

推薦図書

最後までお読みいただきありがとうございます♪