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仲間

 誰にとっても、生まれ育った家や地域が、居心地のいい場所であるとは限らない。
 私が京都で知り合った友人の中には、大学進学を機に、地元の人間関係を一切断ち切って、新たな生活をスタートさせた人がいる。
 理由は色々あるだろう。こちらから、あえて詮索したりはしない。向こうが話してくれれば、それを静かに聞く。
 成人の日が迫る時期に、「〜もあって、地元には帰りません」と教えてくれた後輩さんがいた。私はいてもたってもいられなくなり、成人式の代わりとなるイベントを開催することに決める。同じような境遇の後輩さんを三、四人自宅に招き、小さな鍋パーティーをとりおこなった。キムチ鍋をみんなでつついたあの時間は、成人式に参加するよりも有意義であったと信じている。

「行きたい所のある人、
 行くあてのある人、
 行かなければならない所のある人。
 それはしあわせです。」
『石垣りん詩集』思潮社、P68)

 引用したのは、石垣りんの「仲間」という詩の一節。これは、私が人付き合いをする上で、一つの指針としている言葉である。
 様々な理由から、過去の人間関係と縁を切った友人・知人がいる。そういう人たちが、ふらっと会いにいける人間になる。石垣の言葉を借りれば、「行くあて」になる。
 実際に会いにくる必要もない。「京都の〇〇さん、元気にしてるかな?」と、時々気軽に振り返られる存在になれればいい。穏やかな思い出の一隅に、ちょこっと顔を出せれば満足である。

 私自身、社交的な人間ではないから、それこそ社交的な友人・知人からすれば、「付き合いの悪い人間」だと認識されているかもしれない。私は相手から「切実さ」を感じとれないかぎり、「まあ自分でなくても、他の人がいるだろう」と考える癖がある。そして、実際にこの直感は、あまり外れていないように思う。
 大半の人から、冷たい人間であると思われても構わない。ほんの一部の人から、実は温かみもあるのだと分かってもらえればうれしい。



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