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願い事

 その日は、何かと諦めることの多い一日だった。
 その諦めは、食べ物の購入に集中していて、普段は利用しない食料品店に足を運んだことによって生じた。
 あんこのバター。ナッツの蜂蜜漬け。牛タンカレーのレトルト……。目に入るものが尽く魅力的に映る。買おうと思えば買える金額ではあったが、贅沢であることにかわりはない。結局買うのを諦めて、店を後にした。
 帰り道、頭の中で欲しかった食品が、現れては去り現れては去りを繰り返し、私を苦しめる。何の迷いもなく全ての食品が手に入ったら、どれだけ幸せだろうと考えたりした。

 日中の苦痛がようやく薄まってきたその晩、たまたま読んでいた本に「三つの願い」という短篇が収録されていた。
 ストーリーラインはシンプルで、仲睦まじく暮らしていた若い夫婦の前に、ある日山の精(名は、アンナ・フリッツェ)が現れ、「あなた方に三つ願い事をすることを許します」(P14)と告げる。「こりゃ悪くない」と判断した夫婦は、与えられた一週間の期間中に、願い事を考えて叶えてもらうことに決めた。

「夫婦の二人は一緒に火のそばに立って、小さな炎の舌が太くなったり消えそうなほど細くなったりしながら、煤けた鍋の底をちょろちょろとなめている様を、無言のままうっとりと眺めていた。自分たちの将来の幸福を夢に描きながら。そして油でいためたじゃがいもを鍋から出してお皿に盛りつけたとき、なんとも言えぬおいしそうなにおいが鼻の先に立ちのぼってきた。「ああ、これに焼きソーセージがあればねえ」と妻は、まったく無邪気に、思わず口走った。するとーーああ、しまった、それで第一の願いがなされてしまったのだ。」
ヘーベル著、木下康光編訳『ドイツ炉辺ばなし集』岩波文庫、P15)

 引用したのは、夫婦が一つ目の願い事を叶えてもらったシーンである。読めば分かるが、何となしに口にしたぼやきが、願い事の一つとしてカウントされてしまった。夫婦は一つ目の願いを、ドブに捨ててしまったようなものだ(ソーセージに罪はない)。
 なぜ、こんなことになってしまったのかというと、想像以上に叶えてもらいたいことを三つに絞るのが難しかったからだ。
 普段はあれが欲しい、これが欲しいと思っていることでも、いざ三つだけ叶えてあげると言われると、望んでいたものがどれもこれもちっぽけな内容に見えてきて、絞れず頭を抱えることになる。
 夫婦も案の定そうなって、願い事を叶える権利を棒に振ってしまうことになるのだが、実際のストーリーはぜひ手に取って確認してみてほしい。

 最後に、本作の文末にある、著者からの〈御注意〉を引用して、本稿を閉じたいと思う。

「幸福になるどんな機会も、それを正しく生かす知恵を持たない者には、なんの役にも立たぬものだ」
ヘーベル著、木下康光編訳『ドイツ炉辺ばなし集』岩波文庫、P18)


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