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一滴

 小中高時代を振り返ると、「あれ、やっときゃよかったぁ」と後悔することが山のようにある。
 大学入学以降、読書に熱中した身としては、学校の休み時間、教室や図書室で熱心に本を読んでいた同級生と、あまりに交流が少なかったことが悔やまれた。
 当時は本当に、本とは無縁の生活を送っていたから、彼らと深く語り合うことはできなかっただろうが、せめて一冊でもお勧めの本とかを聞いていたら……残念で仕方ない。

 大学生活の2年目。SNSを通じて連絡がきて、再会できた中学時代の同級生がいる。
 別大学だが専攻していた学部が同じだったのと、彼が関西に遊びにくるということだったので、大阪駅で待ち合わせをし、一緒に古本屋を見てまわることになった。
 感動したのは、彼が中学時代と変わらず、読書を愛し続けていたこと。当時はまったく本について語り合うことがなかった友人と、数年後、一緒に大阪で古本屋めぐりをしている。にやけてしまうほど、嬉しかった。

 古本屋を数軒まわったあと、商店街の一角にある食堂で昼食をとる。そこで私は、ずっと気になっていたことを彼に質問した。

「何がきっかけで、本を読むようになったの?」

 問いかけと同時に、彼の顔面に苦い笑みが浮かぶ。まずい質問だったか……と一瞬焦ったが、すぐに返答があった。

「その質問、もうされ飽きてるよー。そんなに気になることかなー」

 みんな気になるのだろう。おそらく質問した人は、もう少し早く本が好きになっていれば……と後悔を抱えている人に違いない。または、これから楽しんでいきたい、と読書の入り口に立っている人。

「一字一句、正確には言えないけど、宮下奈都さんの言葉が答えの代わりになると思う」

 友人はそう言って、私にある小説の一節を紹介してくれた。

「きっかけなんて、ちょっとしたはずみのようなものではないか。もともと盥には水がいっぱいに張っていたのだ。そこへ一滴落ちることによってあふれてしまう。その一滴が何だったのか、滴がいつどんなふうにもたらされたのか。そこが最もわかりやすくドラマティックであることは私にもわかる。しかし、もともと盥にあった水のほうこそ大事なのではないか。」
宮下奈都『遠くの声に耳を澄ませて』新潮文庫、P186)

 身に染みた。この表現が一番しっくりくる。文章の内容もさることながら、友人が自分の思いを書籍からの引用をもって答えたことそのものに、いたく感激した。
 恥ずかしい話だが、私はそのとき「みやしたなつ」という名前を聞いても、漢字変換すらできなかった。そうなると当然『遠くの声に耳を澄ませて』も読んでいない。
 「その本良さげやね、今度読んでみる」と彼に伝えると、「読みたい本が無くなったら、そのときに」と笑顔が返ってきた。



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