ILL
海外のヒップホップアーティストは、とかく死にがちである。
これだ、と思える声に出会う。調べると、その主はすでに投身で亡くなっていた。享年19。あっ、この人はまだ生きている。そう安心して、アルバムを繰り返し聴いていたら、銃弾に倒れて死亡、という一報が。享年28。
薬物の多量摂取で亡くなる場合もある。多くは、私と同じ20代か、年下の10代だ。楽曲の中だけでなく、現実そのものが死と隣り合わせにある。
一方、日本のヒップポップアーティストは、それほど死にがちではない。この点を捉えて、一部の海外ヒップホップファンが、「日本のヒップホップはぬるい」と揶揄したりするが、私はこれに賛同できない。皆が皆、過酷な環境に身を置き、いつ路上で銃殺されるか分からない状況で、曲作りに臨む。悲劇は現実となり、若くして亡くなったアーティストは、伝説に昇華されていく。ーーその流れを、当たり前のように受け入れたくない。ヒップホップに、属性による制限を設けるべきではない、と思う。
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若くして亡くならない。そうなれば、先に待っているのは、病と老いだ。
比較的死にがちではない日本のヒップホップに期待しているのは、個人的にこの2テーマを扱う楽曲であったりする。
その実践者として、すぐに名前が浮かぶのが、ラッパーのダースレイダーである。彼の人生には、常に「病」の影があった。10代で母を、20代で父を亡くし、自身も脳梗塞を始め、幾つかの病と向き合い続ける。彼のトレードマークとなっている左目の眼帯は、その苦闘の象徴でもある。
彼の著書『イル・コミュニケーション』(ライフサイエンス出版)では、その苦闘の日々とその中での気づきが詳述されているが、次に一つ、印象的な文章を引いてみたい。
彼はこの気づきを「片目になって社会の視野が広がる」と表現する。
一見すると順調にまわっているように見える社会は、そこに住まう人に、特定の条件をクリアしていることを要求する。失業や病気などによって、条件が満たせなくなると、いとも簡単に社会の外に弾き出されてしまう。社会の住人は、自身が弾き出されないように生きるので必死だ。
「日本社会には"公=パブリック"という概念が欠如している」(P105)。ダースレイダーはこうも指摘する。誰のものでもない空間を、人々が日々生きるため、脇目も振らず移動し続ける。そのような状況で、社会に「包摂力」が生まれるはずもない。
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文筆・配信番組・映画、様々な媒体を通して、自身の問題関心を発信し続けるダースレイダーは、ときに「本業の音楽が注目されない」と嘆いてみせる。個人的には、(本人にとっては辛いだろうけれど)病・老いと向き合うことで摑み得た「気づき」を、どんどんラップにのせて発表し続けてほしい。
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