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感情移入

 どこで読み終わったか、はっきり覚えている本というものがある。
 「終わったぁ」と本を閉じ、顔を上げると、読む以前とは周囲が異なって見える気がして。本が持つ力を再確認する。

 新大阪から京都へ向かう電車の中で、読み終えた本がある。フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』だ。
 残りのページ量から逆算して、新快速ではなく普通電車に乗り込む。新快速ほど車内は混んでおらず、ゆったりと席に座って、読書に没頭することができた。

 読み終えたのは、次の到着駅が京都であることを伝える車内アナウンスが聞こえ始めたタイミング。読了後の衝撃で茫然としたまま、電車を降り、京都駅のホームに立った。
 構内を行き交う人々の流れを前に、立ちすくみ、軽い眩暈を覚える。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読み終えたばかりの私の頭に浮かんでいたのは、「ここにいる人たちは、全員"人間"なのだろうか」という疑問だった。

 皆さんは、自分自身が"人間"であるという確証を、どこに置いているだろう。私の場合、それは過去にある。
 私はある両親のもとに生まれ、出生地とは別の県の幼稚園に通い、小学校以降は転校を繰り返した……。この記憶が、私は人間である、という確信の根拠になっている。

「われわれはおなじ宇宙船に乗り合わせて、火星からここへやってきた。レッシュはちがう。彼だけはもう一週間あとに残って、合成記憶の移植を受けたんだ」
フィリップ・K・ディック著、浅倉久志訳『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』早川書房、P158)

 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の中では、「合成記憶の移植」というテクノロジーの存在が語られる。これがもし現代社会においても実現されるようなことが起これば、私が先程述べた過去・記憶に基づいた確信は簡単に揺らぐことになる。

 では、フィリップ・K・ディックは、人間であることの根拠を何に置いているのか。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の本文中にある言葉を使えば、それは「感情移入能力」ということになる。

「あなたがどんな姿をしていようと、あなたがどこの星で生まれようと、そんなことは関係ない。問題はあなたがどれほど親切であるかだ。この親切という特質が、わたしにとっては、われわれを岩や木切れや金属から区別しているものであり、それはわれわれがどんな姿になろうとも、どこへ行こうとも、どんなものになろうとも、永久に変わらない」
フィリップ・K・ディック著、浅倉久志訳『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』早川書房、P326〜327)

 他者と接するとき、そこに感情移入能力(共感能力、と言い換えてもいいかもしれない)が働いているか。そしてそこから、親切というアクションに進めるか。
 上記の特質を持ち合わせていない人間は、人間ではない。ディックのこのメッセージを、余裕をもって受け止められる現代人はどれくらいいるだろう。私自身、もう人間であるとは言えないかもしれない。



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