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皆勤賞

 今振り返ると、なぜあれほど頑張れたのか、純粋に喜べたのか、判然としない物事がいくつもある。
 その原因の中心には、その物事自体を疑わなかった、ということがある。つまり、良いものである、と信じてやまなかったわけだ。

 上記の物事の具体例として、私が真っ先に思い浮かぶのは「皆勤賞」である。
 皆さんは「皆勤賞」にこだわりがあっただろうか。私には、なぜか、あった。「学校」という空間そのものが嫌いだったのにである。
 薄らとではあるが、体育館で表彰されたことを覚えている。同日、家族も祝ってくれた。どこか外食に出かけた記憶もある。
 いい思い出だった、といって幕を下ろすのは簡単だが、今となっては引っかかる。何のために「皆勤賞」というシステムは存在しているのだろう。

「学校教育における「休むこと」の対極にあるのが、一年間休まなかったことを称する「皆勤賞」であると私は考えています。学校が「休まなかった」児童生徒を表彰することは、暗黙に「休むことはいけないこと」という規範を児童生徒に伝え、結果として「多少具合が悪くてもがんばって学校に行く」ことになってしまうからです。」
保坂亨『学校と日本社会と「休むこと」』東京大学出版会、P117)

 引いたのは、教育学者・保坂亨による「皆勤賞」分析。
 言われてみれば、確かにそうだ。自分自身、何回熱がありながら、無理をして通学したか分からない。「学校を休むのはいけないこと」という刷り込みが、「皆勤賞」によって強化されていたことはまず間違いないだろう。

「(2020年に始まった感染症の流行後:注)「学校を休むこと」についてのルールが変わりました。一日も休まなかったことを表彰する皆勤賞によって休まないよう奨励してきた学校教育も、そして日本社会も、「具合が悪いときはちゃんと休むこと」を求めるようになりました。」
保坂亨『学校と日本社会と「休むこと」』東京大学出版会、P119)

 保坂が「皆勤賞」に注目した背景には、2020年に始まった感染症の流行があった。流行下では、むしろ積極的に休むことが推奨され、体調が悪いのに無理に登校することは、感染を拡大させる行為として認識されるようになる。
 保坂によると、感染症の流行を一つの契機として、実際に「皆勤賞」をやめた学校もあるという。2020年以前から「皆勤賞」を廃止する動きは見られたが、それがさらに広がる形となった。

 休むべきときには、きちんと休む。この体調管理の基本原則が、今後の学校現場では守られるようになることを望む。



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