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F.P.レシェトニコフ 「Deuce Again」

作品のタイトルである「Deuce Again」は、「再試験」とでも訳せばいいだろうか。 家族から一斉に冷たい視線を浴びせられる中、飼い犬だけは帰宅した男の子を「大歓迎」している。 無垢な動物の存在が人にとって、いかに重要なものであるかを旨く表している作品である。 私が幼い頃住んでいたアパートでは、犬を飼うことが禁止されてはいなかった。 「ペロ」という名のダックスフントを飼っていたのだが、やはり彼は重要な存在だった。 夜眠る時、兄と交代でペロと一緒に寝ることが許されていたし、

NHK 映像の世紀 バタフライエフェクト「東京裁判」を観て

現在までの世界史で、最も被害・犠牲規模が大きかった第二次世界大戦。 その終結後、戦勝国である連合国が敗戦国である日本に対して行った「東京裁判」(正式には極東国際軍事裁判)。 そもそも「戦争」が、裁判によって裁かれ得るのか?という大前提は、今なお論議を呼んでいるところである。 これについては、日本の被告側を弁護したベン・ブルース・ブレイクニーが以下のような発言を遺している。 この問題定義こそ、当時の日本がどうだ?とかいうことではなく、未来に語り継がれるべき「言葉の遺産」であ

馬場 雄大 選手に捧ぐ 

長崎ヴェルカが昨年、B2プレーオフを突破して、B1に昇格した。 私は、佐賀市の佐賀アリーナで、佐賀とのプレーオフ決勝を観に行ったが、正直B1でのヴェルカには何の期待も無かった。 第一に、昇格を決めた後のマネージメントに腹が立った。 市内をパレードした後に選手が年間何十万円もする高額なチケット、いわゆる「年パス」を販売するチラシを手渡し配布していた。 その直後、半分近い選手が契約解除もしくはB2、B3リーグへの移籍となったことが発表された。 つまり水面下では首切りとなっていた選

少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ⑯ アンネの一番の望みは、彼女の死後実現したということ

                                                                                                                                                                                                                                                

「マヤの一生」を読む

「マヤの一生」を、この歳になって初めて読んだ。 SNSで「戦時中、飼っていた犬を供出せよと回覧板が廻ってきて子ども達が連れて行った。犬はどこかに散歩すると思って嬉しそうに尻尾を振っていたが、連れて行った先で、子ども達の目の前で絞殺され、泣きながら帰ったことを一生忘れられない」という投稿を読み、その中のやりとりで「マヤの一生」の話題が出たからだった。 もっと幼い頃、若い頃に、この本に出会うことが無かったことを悔やんだ。 私は教師であったが、この書を「戦争を考えるためのもの」とし

ストロベリーフィールズ・フォーエバー ~ ジョン・レノンが幼い頃遊んだ、自宅近所にあった救世軍孤児院

もし一度でも、リバプールに行くことができたら、最も行きたいのが、表題のストロベリーフィールズ孤児院跡(現在は、学習困難者の若者を支援する施設となっている)と、すぐ近くに合ったジョン・レノンが5歳からミミおはさん、ジョージおじさんと住んだ家があった場所(通称メンディップス)。 ジョンは、友達とこの孤児院の庭で遊んだといい、庭で行われるパーティーの音楽が聴こえてくると、ミミに「はやく、行こう!」とせがんだという。 母が比較的近くに住んでいたにも関わらず、5歳から叔母と暮らし始

少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ⑮ 母親の、娘に対する「あまりにも低い見積もり」

*** アンネの花、エーディトは同居する青年ペーターとアンネが親しくすることに、懸念あるいは不快を示し、アンネにそのことを忠告している。 母親としてそれは当然と言えば当然かもしれない。 しかし、母親に対して「ちっとも悲しいと思わない」と述べた後、ペーターに関する長い想いを比べてみると、それがあまりにも喰い違っていることがわかる。 やはりエーディトは、14歳の娘に対してあまりにも低く見積もっているとしか言いようがない。 外見の幼さ、若さと経験の長さは、精神の高さとは一致しない

モンテッソーリ式教育である純心幼稚園で、ルーツが中世騎士団という説もある「フレール・ジャック」を習った

Frere Jacques. Frere Jacques. Dormez-vous? Dormez-vous? Sonnez les matines. Sonnez les matines. Din din don! Din din don! フレール ジャック、 フレール ジャック ドルメ ヴー、ドルメ ヴー ソネ レ マチンヌ 、ソネ レ マチンヌ ディンダンドン、ディンダンドン カトリックだからなのか、当時の幼児教育の流行りだったのか、わからないが、純心

太陽のように温かな母親の人柄が、チャップリンの才能を開花させた ~ 「チャップリン自伝ー若き日々」を読む ⑥

*** 自分が生活することもやっとであるが、母ハンナは、少しでもお金が入ると、チャップリンたちを引き取る為に、貧民院にやってきた。 そのことは、幼いチャップリンにとって、どんなに嬉しかっただろうか。 生計が成り立つとか、そんな問題では無い。 なりふり構わず、世間体も何も考えずに笑顔で、自分を迎えに来る母。 「母の姿は花束のように見えた」と言う言葉は、まさにその嬉しいを通り越した感情を表している。

「軍艦島グラフィティ」 むらかみ ゆきこ

実は、私はイメージとして「軍艦島好き=廃墟マニア」?という偏見が強く、特に廃墟写真集とかは、手を触れたことすらありませんでした。 そんな頑固な私のココロをおしひらいてくれたのが、この絵本でした・・・・ 著者の村上さんは、6歳まで(昭和49年の閉山時まで)、軍艦島で暮らしていた方です。 その中の、この頁。『クァツン クァツン・・・「もうすぐだけんね」と お母さんの声・・・』 一体、どういう島だったんだ!?船に乗るためにトンネルって? そして海の中の小島のドルフィンって??

少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ⑭ 他から思われているほど傲慢でも自分勝手でもなく、己をとらえている

*** 「隠れ家」に潜伏していたアンネ以外の7人のうち、少なくとも6人は、アンネに対し、「子ども扱い」するという差別行為を行っていた。 その内、母親とデュッセル氏(日記上の仮称)は、その度合いが酷かった。 アンネがしばしば、「生意気」だとか「傲慢」と捉えられるのは、その差別に対する反発であり、人として当然のことであろう。 しかし、彼女はひとりの人間として、かくもストイックに自己をとらえ、また未来に希望を託していたのだ。

カポーティの「クリスマスの思い出」で英語を学ぶ ②

relatives 親族 and though そして~だけれども power over  支配する purposeful  目的のある yes indeed 「はい、そうですね」と意の、丁寧な相槌 stuffing   詰め込む inaugurate  就任する exhilarate  うきうきさせる。愉快にさせる。 Fetch    持ってくるの意のスラング。 straw cartwheel つばの広い円形の帽子。カート・ホイール・ハット。 belon

「敵は内なる中にある」 ディズニー映画「ラーヤと龍の王国」は私のお薦め

標題のように、堅苦しく考えなくても、エンターテインメントとして家族で楽しめるお勧めの映画である。 まずこの作品には、ディズニーつきものの、いわゆる「ヴィラン」という人物はいない。 主人公ラーヤが少女期から成長していく過程を追ったストーリーだが、敵対する存在を憎む一方で、己の中にある偏見や弱さとも向き合うという点も重要な物語のファクターとなっている。 そして、何よりサブ・キャラクターが愛らしく、憎めないのである。 また、ラーヤはアジアの女性をモチーフとして設定されているのだが

少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ⑬ 「突き放す」が「子ども扱いをやめる」ではないこと

「ピム」とは、アンネが日記上で使った父オットーの愛称である。 母親に比べれば、随分と価値観が近いと感じていた父であったが、「子ども扱いをやめようとしている」にも関わらず、その切り口が「勉強をおしえてやらない!」などと依然、子ども扱いの範疇から出ていないことをアンネは嘆いていることがうかがえる。 そして、戦後オットーがアンネに代数を教える機会など、二度とやって来なかった。