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統計的正しさ、個人にとっての正しさ(「家族の幸せ」の経済学) | きのう、なに読んだ?

「『家族の幸せ』の経済学」を読んだ。母乳育児や保育園の「効果」についてデータで検証した本だ、とSNSで紹介されていた。それはまさに私の関心事ど真ん中だわ!と早々に購入してあった。

本書は「結婚、出産、子育てにまつわる事柄について、経済学をはじめとした様々な科学的研究の成果をもとに、家族がより「幸せ」になるためのヒントを紹介」している。「経済学は、人々がなぜ・どのように意思決定し、行動に移すのかについて考える学問です。」「データを分析することで、個人の体験談の寄せ集めなど比較にならないほど信頼性の高い知見が得られる」というのが本書の出発点だ。

大ヒットした「ヤバい経済学」(原著 Freakonomics)と同様のアプローチだ。ちなみに「ヤバい経済学」著者のPodcastでも、出産と子育てにまつわる思い込みを検証する回がある。

さて、本書のことに戻る。が、その前に、ちなみになのだけど、私は母乳はあまり出ず、第一子(現在高1)はミルクで、第二子(現在小6)は母乳とミルクの混合で育った。第一子は生後4ヶ月から、第二子は6ヶ月から保育園に通った。さいわい、周りからそのことで気になるような「ご指摘」を受けることはなかった。私は、きかれれば経験談はお話ししてきたが、「これは私の経験でしかないから…」と遠慮する気持ちがあった。なので、本書は見るなり「お待ちしてました!」拍手〜っていう感じ。

期待に違わず、本書には次のような内容が並ぶ。分析手法の説明は丁寧だし、引用論文も明示されていて(各章10〜30本ほど)、とても誠実。私に取って目鱗の内容はなかったけれど、著者も書いているように、それがデータで裏付けされていることに、意義を感じた。

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女性にとって子どもを持つ暗黙の費用が大きく上がったこと、結婚から得られる「分業の利益」が下がっていることが、未婚率が上昇している大きな理由だと、筆者は考えています。

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発達面のメリットについて紹介していきます。この研究では、母乳育児が生後1年以内の子どもの健康に寄与し、乳幼児突然死症候群の減少にも関わっていることが示されました。  一方で、それまではあると信じられてきた、母乳育児の長期的な効用については否定的な結果が示されました。一部専門家の間でも、母乳育児は子どもの肥満、アレルギー、喘息、虫歯を予防し、ひいては問題行動の減少と知能の発達にも役に立つと思われていましたが、こうした効用についての 信憑性 には疑問が 呈されたのです。

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その結果、 生後、お母さんと一緒に過ごした期間の長さは、子どもの将来の進学状況・労働所得などにはほぼ影響を与えていない ことがわかりました。

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子どもにとって育つ環境はとても重要であるけれど、育児をするのは必ずしもお母さんである必要はない ということです。 きちんと育児のための訓練を受けた保育士さんであれば、子どもを 健やかに育てることができる ようです。

きほん、私の経験値の背中を押してくれる内容だった。もし結婚、出産、育児のことが話題に出たら、私はきっと本書で学んだことを引用するだろうし、本書を読んでみるよう薦めると思う。

しかし。

「母乳で育てなくちゃ」「保育園に預けて大丈夫だろうか」と思っている人、不安に感じているひとに、本書の分析を説明しても、なかなか考えは変わらないし不安は解消しないだろうなあ、とも思った。というより、確信した。ので、読みながら無力感も湧き上がってきた。理由はいくつかある。

理由①。育児を中心に、家族にまつわることがらは、たぶんに「個人の感情」の問題だから。「科学的に正しい情報」が自分の信じて来たこととずれた場合、ひとはそれを無視するし、あまりプッシュすると傷ついたり防御的になる。「我が家のやり方」「私の価値観」って、その家庭には大事ですし。

理由②。統計データ分析は「全体の傾向」を科学的に明らかにするけれど、個別状況には当てはめづらいから。例えば本書では、厚労省の大規模調査データを使って分析し、保育園に通う子どもは通わない子と比較して、子どもの言語能力が高く多動性は低いという結果を導いている。結果はそうなんだけど、個別データを見れば、保育園に通っていても言語能力の発達がゆっくりな子もいれば、多動傾向が見られる子だっているだろう。全体がある傾向であっても、個別には真逆の事象になることは十分ありえる。

理由③。「1回しか経験できない」状況については、統計データ分析から導かれる全体の傾向と個人の経験のずれが埋めづらいから。分かりにくいかもしれないので、逆のケース、つまり、このずれが埋めやすいケースとして、降水確率のことを考えてみよう。降水確率は「同じ天気図が100回起きたとして、そのうち雨が降るのは何回か」を表している。20%の予報のとき雨が降ったとして、私たちは「天気予報が間違っている」「私にとっては降水確率100%だ」とはあまり思わない。なぜなら、私たちは20%の予報の日を何度も体験しているからだ。雨が降る時も降らない時もあって、全体として20%は「まあ、外れてないな」と経験的に納得している。
 一方、全体の傾向と個人の経験のずれが埋めにくいのは、例えば病気の治癒率だ。治癒率は「同じ病気、同じ重篤度の患者が100人いた中で、そのうち治癒した人は●人」を表している。でも、お天気と違って、私たちはふつう、1回しかその病気、その重篤度を経験しない。治癒率80%であっても自分が治癒しなければ、治癒率0%と同じことになってしまう。
保育園の効果は病気の治癒率と同じように、きほん、一人1回しか経験できない。(加えて、病気の治癒よりも、教育効果は実感しにくい)。

というわけで、家族の幸せについて、本書が個人の悩みにどれほど資するかといえば、「本書の分析結果と一致する価値観、一致する状況にある人」の背中を押す効果はあるけど、そこに限定されるかもしれない。個人にとっての正しさは、統計的な分析が示す正しさとは一致しないことがよくあるから。

でも、本書にはすごく価値があると思っている。本書の価値がもっとも発揮されるのは、どこか。それは全体の傾向を科学的に踏まえて意思決定すべき場、たとえば国や地方自治体の政策決定の場面だ。そういうところで、担当者の個人の経験と価値観に依拠した意思決定が極力減るよう、ぜひぜひ活用されることを願う。


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