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日系の子どもたちから教わった大切なこと

かつて私は、夫の仕事の関係で 日本から遠く離れた、地球の裏側の国で暮らしていたことがある。

ある時、長年 日本語教育に尽力された方との出会いがあった。

それがきっかけとなり、
私は 日系人の子どもたちに日本語を教える日本語教師のボランティアをさせていただいた。

駐在員の妻として、そしてボランティアとはいえ、子どもたちの先生として、忙しくも充実した日々だった。



私が通っていた学校は廃校の校舎を使っていた。
生徒は3歳から14歳くらい。

多くの生徒は 兄弟姉妹揃って学校にやって来る。

下の年齢の幼い子どもたちにとっては
「お兄ちゃん/お姉ちゃんと一緒に過ごせる楽しい場所」という感覚だったかもしれない。

授業は基本的に日本語のみで行われる。

しかし、授業前後や休み時間には 母国語で話すことを許されているので
最初の頃 子どもたちは 私に その国の言葉を一生懸命教えてくれた。

そして、晴れた日の休み時間には
小さな子どもたちをおんぶしたり 抱っこして
皆で校庭で、ぼろぼろのサッカーボールを追いかけて遊んだ。


「うちの子が読み終わった本(絵本)、あげるわね」

「わー!ありがとうございます!」

当時、お会いした 他の企業の奥さまたちからご厚意で 読み終わった本や絵本をいただく機会に恵まれた。

この本はあの子が喜びそうだ、
この絵本はあの子が気に入るだろう、

そんなことを考えながら いつも沢山の本をカバンに詰めて 電車とバスに揺られて 田舎町の学校へ向かうのが
私はとても楽しかった。

「せんせぇ、ありがとー!」

目をキラキラさせて喜ぶ子どもたちの笑顔を見ることが大好きだった。


日系の子どもたちは、
家族構成や生い立ちによって
ご両親が日本語を話せなかったり、
家庭で日本語を話すことがない場合も多い。

私の通っていた学校の生徒の家庭は、
どこも概ね裕福とは言えず、
むしろかなり生活そのものに困っている家庭も多かった。

ご両親どちらかが、出稼ぎで国を出ていて、
その仕送りに頼っている家庭もあった。

決して裕福ではない家庭の子どもたちと接するから、ということもあるし
その学校に向かう道のりは、治安の悪いスラム街を経由しなければならなかった。

犯罪などから身を守るためにも「ここに長く暮らす異邦人」として、
身なりや持ち物にも注意を払った。

身につけるものも、持ち物も、使い古したものをさらに汚していた。

常に注意していたおかげもあり、
ボランティア期間も、その国に住んでいた期間も、私自身 そして夫も スリなどの被害にも遭わずに済んだ。

夫も、私がそうしたところに通っていることは理解してくれていた。

さすがに、大規模で危険なデモが多発して、
「このままでは何かあって被害を受けるかもしれない」
「何かあったら、沢山の人に迷惑をかけてしまう」
と思うようなことも多くなり、
また 一時的に日本に帰ることが決まったため、
その段階でボランティアを辞めることになったが
危険なデモさえなければ、
もっともっと続けていたかった。

授業の準備などもキツかったし、色々な意味でハードだったが、充実した日々を送ることができた。


子どもたちは、いつも ぼろぼろのサッカーボールで遊んでいた。

その国の子どもたちは 、みんな道のあちこちでサッカーボールでリフティングしていた。

昔からサッカーが盛んで、
子どもたちはサッカー選手になることを憧れていた。

街を歩けば、子どもに限らず多くの人たちが好きなサッカー選手やクラブチームのユニフォームレプリカを着ている。

「昨日の試合観たか?」

タクシーやバスの運転手、そして
お店の店員さんにも聞かれる。

「あの選手は最高なんだ」

そういう彼らはとても嬉しそうに笑う。

勝利を導くゴールを決めた選手は
まさに英雄、ヒーローだった。


「将来、何になりたい?」

そんな校長先生の質問に生徒たちは口々に答える。

サッカーがとても好きな男の子も女の子も

「サッカー選手!」

と答える。

どこのチームに入りたいの?
そう聞こうとした時だ。

一人の子の発言が和やかなムードから一転、静寂へと誘った。

「ぼくたちさ、この国の選手にはなれないよね?先生」

咄嗟に校長先生と先生たち、そして私は顔を見合わせた。

「ぼくたち、この国の人間じゃないよね?
そして日本人でもないよね?
どこなら選手になれる?」

胸が締め付けられた。

彼らは、小さいなりにも
自分自身にアイデンティティに葛藤していたのだ。

日系人であるからこそ、子どもたちはルーツを常に考えていた。

沢山、海外の人たちと接してきて
この時ほど、私自身も答えに詰まった質問はなかった。

情けないことに、
未だにその時の記憶がほとんどない。

私はあの時、どんな言葉をかけたのだろう。


時は流れて、当時から 20数年経った。

時代は平成から令和になった。

昔から「当たり前」とされてきた
古い価値観、根の深い社会問題が少しずつ時代に沿ったもの、あらゆる人々への尊厳を大切にしたものへと変化している。

それでも、やはり 日本以外にルーツを持つ人たちを特別視したり、
差別的な発言をする人たちは存在する。

今の時代は 個人に直接言わなくても
ネット上で誹謗中傷することで、
個人に更なる精神的被害を与えてしまう出来事が絶えない。

私が出会った学校の子どもたちのように
日本以外にもルーツを持つ人たちや
両親が異なる人種の人たちにも
今よりももっともっと活躍の機会が与えられるといいなと思っている。

なぜなら、みんな おなじ一人の人間だからだ。


#一人じゃ気づけなかったこと

#子どもに教えられたこと


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