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私欲で始めるボランティア ~インドのフリースクールでの出会い~

昨年から地元の小学生が集まる施設でボランティアをしている。
そもそもはとある不登校の中学生との出会いだった。その子と話しているときに、その子含め何かしらの形で子どもの力になれればと思った。またシンプルに昔から子どもといる時間が好きだ。実際大学時代も児童を対象としたボランティア団体に顔を出していた。だから、私欲ではあるがそんな時間も欲しかった。

その施設に初めて伺ったとき、スタッフの一人から「なぜ子どもと関わりたいんですか?」と問われた。私はあの中学生のことを話した。またそれは実は社会問題にも繋がっているんだと、少し文脈を大きくして話した。一方で、私欲についてはあまり触れなかった。

その後、小学生たちと定期的に会うようになった。いろんなことを一緒に考え、私が住む地域にも来てくれた。シンプルに楽しかった。面白かった。だから、これからも続けたいと思った。

そんな生活の途中でインドへ旅行に行った。単なるお遊び旅行のつもりだったが、ありがたい出会いもある。ブッダガヤという街のゲストハウスで出会ったのは、この国のフリースクールで児童支援をしているという日本人だった。彼女に施設の見学を願い出ると、快諾してくれた。

そのフリースクールはカースト低位の子どもたちが集まる施設だという。カーストによりそもそも教育が満足に受けられない、また教育以外にも貧困などを様々な問題を抱えている。

ここの常勤スタッフもまたボランティアであった。そしてそのうち一人が施設をゆっくりと案内してくれるという。ラクスマン、26歳。彼もまた昔この施設に通っていた一人だ。さもすると、29歳で同世代の私も彼にやはり質問したくなった。

「なぜ子どもと関わりたいんですか?」
「なぜ子どもと関わっているんですか?

彼の答えは澄んだ目で答える。

「子どもが好きなんです。子どもたちといると、幸せなんです」

もちろんその後「子どもが幸せなことって、やっぱり大事なことじゃないですか?」「僕もここで育ったから、次は自分の番だと思っている」と様々な理由も語り続けてくれた。中にはインド社会の変革を語る場面もあった。

しかし、私としては、自身が私欲と呼んだものを一番最初に語ってくれたことに唖然としてしまった。そして同時に思う。

「子どもが好きって理由で、ボランティアをしていいんだ」と。

確かにボランティア活動を実施するにあたっては大義名分社会的文脈が重要になってくる。なぜならそれらを適切に言語化できていないと、他者の共感を呼びづらかったり、実務的に資金が集めづらかったりもするからだ。

とはいっても、私の暮らす国では「~が好きだからボランティアをしています」という理由をあまりに語りづらくなってはいないか?そんなことを思わずにはいられなかった。

先日、友人と飲みに出かけた。インドで人生変わりました?なんて問われた。「正直、そんな変わんないですよ」と軽返事をする。そんな会話の中で、ラクスマンの話にもなった。

「そういう瞬間を”変わった”っていうんじゃないですか?」

と彼女は言う。そうか、人生変わってたのか。



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