見出し画像

シンギュラリティの空は、人間には美しい小春日和に見えるのか?

「ボッコちゃん」
星新一さんの作品ですが、ご存じですか?
この作品の素晴らしさは、私が言うことでもないですね。星新一さんの作品はこれだけではないですし、どのショートショートも輝いています。

バーで人気が出て多くの男性客を魅了する美人店員「ボッコちゃん」。
実は彼女はロボットで、人工的なものだから最上級に美人に仕上げられていて、人気もうなぎ登りという導入だ。
「だが、お客は気がつかなかった」
「ひとりの青年が(中略)ボッコちゃんに熱をあげ、通いつめていたが、(中略)恋心はかえって高まっていった」

父親が執着するなと警告するんです、その青年に。
どうです? ストーリーは読めてきましたか?(^^)
この物語、ラストは言いませんが、そうです。そう、なっちゃうんです!
ボッコちゃんは何も悪気はない。でも、、、
っていうお話です。

私は、これを最近あらためて読み返してみて、ある事に気付きましたよ。

話はいったん、SF作品(小説や映画)に移しましょう。
SF作品に出てくる夢のような技術・道具は、今の世の中ではフィクションじゃなくなっている。
そう思った事ありませんか?
作品が書かれた当時は、フィクションとして未来が描かれていたのです。
しかし、何年も経過して現代になると、実は実現している/実現できちゃった技術って多数ありますよね。

「テレビ電話」…そんなのどこがSFってくらいに普通にできますね。
「携帯電話」や「携帯型オンライン端末」…スマホ自体も昔のSFアイテムでした。
「腕時計に喋ると出来る事」…もう出来ますね。
「宇宙旅行」…目前です。
「人間ではないコンピュータとの会話や交流」…人工知能(AI)はもうこの存在です。

さて、本題に戻りまして、気付いたことを話します。
星新一さんが昔に空想した「ボッコちゃん」、もうじき登場しちゃいますね、おそらく。
ロボットっていう言葉ではないかもしれません。
もっと人間的で、実体があって、しかも優秀な遺伝子ばかりで構成された、人工の人間です。
そして、私はそれができる前に「ボッコちゃん」の物語に見えるもう一つの側面が実現してしまうことを恐れています。

実体はまだなくても、AIはもう人の能力を遥かに超えました。
どんどん学習を進め、指数関数的に能力を拡大させました。
これからも、より離れたレベルを飛躍し続けるでしょう。
そんな中にでも『人にしか出来ないことがある』!
そういう言葉、よく聞かれます。
そうでしょうか?
今はそうでも、もうすぐに『人にしか出来ないこと』も、なくなってしまうのじゃないかと感じています。
人間は、遥かなる能力を持ったAIなくしては生きられない社会を気付かないうち築くでしょう。
→※これ、シャレじゃないですよ(^^)

うなぎ登りにAIへの依存度は上がります。
「だが、人間は大きなリスクに気がつかなかった」
アンチAI志向の人たちがいるとは思いますが、その警告なんて世の中の流れが強大な力で追いやってしまうでしょう。

今、世界中では憎しみの連鎖で戦争が起きています。
私は人間を信じたい。
核兵器のスイッチだけは押さないでいてくれるとは思います。…思いたい。
ですけど、生成AIが作るフェイク映像が、人間に混乱を呼んで、やがてリアルと間違えることになりませんかね?
最後にAIが、人間には制御出来ないスイッチを押してしまいそうで、怖いです。

「ボッコちゃん」の物語を読んだ私たちが、「まだまだSF作品だよね」と言い続けている世界の方がいいんだけどな。
”SF”のショートショート集。
楽しい読書のための書籍として、存在し続けてほしい。
そんな風に、思いました。

★こんな内容ですが、最後まで読んでくださった方々、ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?