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摂食障害だけが「自分」の全てだって思ってしまってた。

固形物はまだ難しいけど、
今日はスムージーが飲めた。
「美味しい」って思いながら飲めた。


“普通の食事”ができなくなって、
治療を焦るあまり、
できない自分、もどしてしまう自分、
そのため散財してしまう自分、
自分のやることなすこと責めていた。

早く治さなきゃ、
早く治したい、
とにかく焦っていた。

うつ病、摂食障害という診断がされた時は、
妙な安堵感のようなものを感じた。

抜け出せると信じてた。

最初に処方された薬のひとつに、
副作用で、「食欲亢進」の状態になるものがあり
直ぐに数キロ体重が増えてしまった。

増えることへの恐怖心が最も強い時期だったので
半べそをかきながら、
先生に「これは飲みたくないです」
そう伝えると、
先生は理解してくれた。


当時は骨と皮だけのような自分であることが、
ゆいいつの安心材料だった。

過食嘔吐はジワジワ始まった。
食道は痛めるし、
胃も疲労するし、
頭にも圧がかかるせいか、
耳鳴りもするし、
とにかくものすごいエネルギーを要する。


兄の自死があってから、
心の中で、兄に謝りながら吐いていた。
「ごめんね兄ちゃん…ごめんなさい…」
兄の残してくれたお金を
過食嘔吐のために使ってしまうことへの罪悪感は
日に日に増していった。

吐いては謝って泣き崩れていた。

ーもしも兄が生きてたらー

そんなことをふと考えてみた時、
「兄は絶対、責めないし、呆れたり軽蔑したりなんかしない。」

確信をもってそう思えた。


兄ならきっと、
吐いてしまっても、
「病気なんだから仕方ないよ。」とか
「飲む?」なんて、相変わらずな優しさで、
水分補給を促してくれたに違いない。

兄はいつも言葉より行動で気遣ってくれていた。

私が父からの八つ当たりや、
嫌がらせ、嫌味や中傷に
酷く疲弊している様に気づくと、
いつもお菓子を買ってきてくれた。
私が好きそうなものを厳選して、
「はい。」と一言手渡す。

それだけで
私は救われていた。


なのに
私が兄にできたことは何も無かった。
優しくなかった。
全く可愛くない妹だった。

今更謝っても遅いけど
生意気で可愛くない妹でごめんね

本当はもっと甘えたかった。
もっと一緒に
子どもの時みたいに
遊びたかった。

色えんぴつ。
今は亡き愛娘の幼少期。


「人生」という枠で捉えると、
映画が好きな自分、
歌うのが好きな自分、
犬や猫や馬と触れ合うのが幸せな自分、
水辺で一息つける自分、
花や木々を見て柔らかくなれる自分、
柔軟剤の良い香りに気分が良くなる自分、
YouTubeで思わず笑ってしまう自分、

そういう自分もいることに気づけた時、

摂食障害も、「一部」なんだと思えた。
心身共に、悲鳴をあげるものではあるけれど、
「一部だってだけ」
そう思えた時、
焦燥感や自責の念は、
ほんとに徐々に少しずつだけど
ゆっくり小さくなっていった。



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