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映画『カカリ -憑-』感想〜YouTuberは映画作家に非ず〜

知人に勧められ、フィッシャーズのシルクロードが撮影した映画『カカリ -憑-』を鑑賞したので、一応感想を書いておこう。
正直全く面白くなかったし飛ばしてもいいような無意味なショットばかりなのだが、気になる人はリンクを貼るので視聴してみるといい。
ついでに、YouTuber批評家として有名なPDRも本作の批評を動画公開しているので、併せて添付しておこう。

サブタイでも書いたが、はっきり言ってしまえば「YouTuberは映画作家に非ず」という厳しい現実を突きつけられる結果となってしまった。
もちろんフィッシャーズファンやYouTubeが好きな人は本作レベルでも楽しめるのであろうが、「映画」としての評価を否が応でもしてしまう私にとって、今回のこれは存在自体が到底許し難いものである。
何が腹立たしいといって、こんな益体もない無責任なフィルムを1週間限定とはいえ大スクリーンで公開してしまったことが映画史最大の汚点ではないだろうかと思えてならない。
この企画を映画化しようと思ったシルクロード並びに撮影監督のHirokiの意図はよく分からないが、こんなのは映画とは言えんぞ

強いて褒められる部分を挙げるなら「編集」と「脚本」はそんなに悪くなかったと思う、シルクの実体験が元になった半ドキュメンタリーだからというのはあるが。
正直本編に入る前の「こういう経緯で映画化されました」の説明は全部カットしていいし、映画本編後にシルクとHirokiが映る下りも丸々無駄だ。
せめて映画本編と切り離して単独でYouTubeにアップロードするのであればまだわかるが、それは別に映画本編とは何の関係もないのだから入れる必要はないだろう。
近年はこういう制作過程までもを1つのエンターテイメントとして切り売りするのが主流になっているが、昨日の記事でも書いた通り私にとってはどうでもいい。

だから映画本編のみを見たわけだが、その映画自体が無意味なショットの連続でしかなく、一回たりとてこちらの感性が唸るようなショットが1つもなかった。
PDRは本作の悪かった点の1つに「ジャンプスケアを馬鹿の一つ覚えみたいに多用しすぎ」と述べていたが、この映画の問題点はそこではない
まずドラマパートにしろホラーパートにしろ、どれ1つとして「美しい」「色気がある」「これは凄い」と唸るようなショットがないことが問題である。
ホラー映画なのだからホラーのシーンに一番力を入れなければならないわけだが、そのホラーのカットに全く感動できなかったのは残念だ。

また、演じている役者もホラーで出てくる赤い服を着た女の子にしても「色気」が全く感じられず、簡単に消費してしまってもいいものばかりだ。
演技が上手い下手に関しては映画だからそこまで気になるものではない、「舞台」なら話は別だが「映画」なのだから役者の演技のうまさを私はそこまで重視しない。
問題はそのこと以上にシルクロードをはじめとするフィッシャーズを演じた役者たちが誰一人として存在感がなく、単なる物語を説明するための「駒」でしかないのだ。
これならまだ代理の役者を立てるのではなく本人たちにやらせればよかったのではないか、もう30近いメンバーたちがまだまだ学生を演じられるだろう。

そして何より作品全体があまりにも説明的すぎる下品な画面ばかりだ、無駄なナレーションも入っているし、役者が一々言葉にしなくてもいいことまでベラベラとセリフで説明している。
もちろん現代映画の基本は「ナラティブフィルム」ありきだからそれでもいいとは思うが、余りにも説明が多過ぎると「うるせえこの野郎!」と言いたくなってしまう。
シルクの高校時代の実体験がベースであることは説明なんかなくてもわかるのだから、これならもっと余分な説明を省いてもっと有効なショットを入れるべきだと思ってしまう。
ホラーの子にしても、衣装の「赤」は印象に残っているが、それがいわゆる「色気」の領域にまで昇華されているかというとそうでもない。

映画にとって大事なのは「被写体が画面を通して色気を出している」ことであり、これは映画人なら誰しもが重要視する点だ。
そしてホラー映画における色気とは他ならぬ「幽霊(ないし恐怖の対象)」と「恐怖する被害者」なのだが、例えばアフルレッド・ヒッチコック監督はこれが絶妙である。
映画「サイコ」は映画史に残る金字塔だが、あの作品は決して幽霊が出てくるわけでも何でもないのに、素晴らしく印象に残るショットが必ずあるのだ。

殺される女性と殺した張本人のショットだが、どちらも演技が上手い下手とかビジュアルがどうとかいうレベルをはるかに超えた色気=存在感がある。
これは意図したからといって出るものではなく「自然に溢れるもの」であり、超一流の映画作家はみなこういう色気あるショットをきっちり画面に残す
そして下手な映画作家はそうしたショットがなく、ただ汎用な誰にでも撮れるショットばかりで繋いでいるわけだが、本作は正にそれだろう。
どこを切り取っても雑に流して構わない画面ばかりであり、そこに「映画」として画面を見る喜びが全く存在しておらず、全部「物語」「心理描写」に還元されてしまう

まあYouTuberなんて所詮「人気と知名度があるだけの素人」であり、罷り間違っても「映画屋」でも「芸能人」でもないのだから、過度に批判するのはどうかという向きもあろう。
だがそのような批判を避けたいのであれば「映画」ではなく「動画」「ドキュメンタリー」として普通にYouTubeでアップすれば良かっただけの話ではないか
日本人のなかで全く違う畑から映画作家として売れた人は北野武だけだが、彼は例外的な天才であり、彼のようになれると勘違いして失敗したのが松本人志や品川祐であろう。
芸能人上がりでさえ映画作家になれる人は殆どいないのだから、それがYouTuberとなれば尚更である。

頼むからフィッシャーズをはじめYouTuberの人たちには間違っても映画作家なんて名乗って欲しくないと本作の失敗を見て心から願う。
YouTuberはあくまでもYouTuber、餅は餅屋なのだから、大人しくアスレチック動画や個人趣味の動画を撮って世間から賞賛されていればいい。
身の丈に合わないことは迂闊にするべきではないということが本作から得られたせめてもの教訓ではなかろうか。


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