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森田芳光の『39』、何か違う…

森田芳光監督の映画『39 刑法第三十九条』(1999)を観た。

心神喪失者の犯罪を罰さず、心神耗弱者の場合は減刑すると定めた法律をテーマにしている。日本に実在する法律である。リベラル派はだいたい、触法障害者の人権擁護の観点から同法を支持する。

作品からは、“39条により被告人を罰しないのは人権擁護ではなく人権剥奪だ!”というメッセージが感じられる。同法は触法障害者を“一人前”として扱っておらず、当人を罪に向き合わせないものだという。主に鈴木京香演じる精神鑑定人が、そのような主張をしていた。

そんな高度な人権論を展開する彼女は、死刑制度についてはどう思っているのだろうか。その鋭敏な人権感覚をもってすれば、死刑が人格抹消であり人権剥奪なのは明らかなはずだ。

だが死刑制度への批判は彼女ではなく、樹木希林演じる弁護士の口から語られる。この弁護士は、「多重人格」のような言動を見せる被告人への39条の適用を求めていた。役どころとしては、それ以上でもそれ以下でもない。むしろ検事や刑事のほうが台詞が多く、比較的マトモな発言もする役回りだった。

39条批判と死刑批判は「解離」していないといけないのか? 同じ人物が両方を主張したらダメなのか? ちなみに私の意見は以前、記事に書いた。
https://note.com/i_am_or_not_/n/n0dec18e4da9c

私も39条に批判的な立場だが、『39』を観て何か違うと感じたのは、批判の根拠かもしれない。私は「39条は被告人の人権剥奪だ」などと大仰な事を言いたいのではない。

また、作中の人物たちもホンモノとは何か違っている。実際の鑑定人は、あんなにオドオドしてないだろうし、弁護士や検事は、あんなに眠そうに喋らないのだろう。裁判長は、あそこまで行き当たりばったりではなかろうし、刑事が常にニヤニヤしてるわけもあるまい。もちろん、そういう演出なのだろうが…

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