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母親になるということ | 2024/02/24

母親になるということ

昨今叫ばれている『性別役割分業を撤廃しよう』という声から、抗うようなことを綴ろうとしているのを覚悟し、表現をしてみようと思う。

なぜならばそれは、私が、親との関係を調整するために。

関係性の調整をしようとしているなかで私は、親を失うかもしれない。

人が、人から親へ。

子どもを産み、親となる過程を理解しない限り、きっと私は相手の立場、生き様、なぜ関係が破綻するまでに至ったのか、そうせざるを得ない状況はなんだったのか。

単純そうに見えて複雑な、とても複雑に絡み合っている事柄や、相手の抱えている背景を理解することができないと思うから。

私は、里親家庭や児童養護施設と呼ばれる、“社会的養護”と呼ばれる枠組みの中での生活が幼少期から大人になるまで、ほとんどを占めている。

里親家庭では夫婦の関係がもう、しっかり破綻していたし、

児童養護施設での生活で関わる人たちは「仕事」して取り組んでいるし「夫婦」と一緒に生活をしていない。

夫婦がどのように関係を再構築していくのか

であるとか、

1人の人が妊娠をして親になっていくまでの過程はどんなものなのか、という感覚が人よりも触れる機会が少ないこともあり、どうしても感覚が乏しい時がある。

「あなたを妊娠していた時はね...」

という書き出しから始まる様な会話は、ほとんどない。

そんなさなかで手に取った、この本。

きみは赤ちゃん - 川上未映子

きみは赤ちゃん ー 川上未映子

川上未映子さんが「きみは赤ちゃん」という本を出版されていて、本屋さんで見つけたので購入。ずっと頭の中で引っかかっている事柄だったので、読み始めるまでのインターバルはかなり短かった。

川上未映子先生(もはや敬意を込めて、大先輩やし、きっと「恥ずかしいな」と思えることを、たくさん、たくさん教えてくださっている。なので“先生”と呼ばせてください)が、妊娠中での出来事やパートナーとの関係性の変化についてだいぶ赤裸々にこの本の中で綴ってくださっている。

その勇気に敬意を表したい。

どうしても“社会的養護”の枠組みで生活をしていると、そういう人間としての人間関係の営みを本能的に学習する機会が少ない。

私たちの前ではどうしても『仕事』として関わることが圧倒的に多いからだ。人間としての醜い部分や、人として休まる部分が、どうしても見えづらい事がたくさんある。

分からないことだらけである。

だから私は、パートナーと喧嘩をしたり揉めてしまったとき、どうやって「パートナー」との関係を再構築していくのかを知らないことが多い。

知る機会が圧倒的に少なかったからなのだと思う。

だからこうして本を通じて恋人から親へと変わっていく時、それに応じて関係性も変化していく。

パートナーとの関係の構築の仕方や、対話をしている様を見せていただけるのは、本当にありがたい限りである。ただただ勉強になる。




女性が身体に命を宿し、十月十日、その命を女性の身体で育む。

身体を痛めて子どもが、この世に息吹を吹き込まれ、この世で生きていく時間が始まってゆく。

待ち受けている側のほとんどは、言葉にできない、言葉にならない、言葉になりきらないほどの喜びの一方で、

確実に待ち受けている、この世で生きていくことの残酷さ。

この厳しい世の中を、本人の意思を聞かないうちに、産まれたその時から「生きていこうね」と、周りから言われる。

そしてある年齢を超えると「あなたはどうやって生きていくの?」問われるのだ。

生き抜いていくことは、これほどまでに残酷なのことの連続なのに。

私が家族と呼ばれる様な人と向き合っていくためには、人間としての生と死。

特に、生を待ち受けている人たちのこと。待ち受けていたのか、それとも違うのかという事実。

本能的に学習し得ることが難しかったさまざまなことを、私自身がまず頭のなかに知識としてインストールすることが重要事項なのであった。

「これは第一段階なのだ」と、本能的に駆り立てられ、この本を手に取り開いていた。

きっと、世の中で産まれてくる子どもたちはみんな。愛されていいんだ。

たとえ、命を分けた人間からの愛情を受け取ることができなかったとしても。

そう感じることができない環境に置かれてしまったとしても。

生きていく道のりで出会った人たちから、大切にされ、愛されていいんだ。

私はそう、信じていたいと強く願っている。

そしてその願いは、私の“生”を支えている重要な軸なのだろう。

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