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火と陽

精神疾患を患いながら
この資本主義と対峙する。

それはある種の無理ゲーであるのと同時に
全く毛色の違う話…例えば、凶暴な虎の檻の中でピンク色のモフモフした鞄を選ぶか、皮でできたクラシックな鞄を選ぶか、のような素っ頓狂な問いかけのようにも思える。

希死念慮が湧き上がる中、将来の資産形成を考え、自分の感情すら思い通りに動かせない中、世界の経済動向に気を配る。

吐き気がする程、頓珍漢な組み合わせにも思えるが、私はそれについて書きたい。


精神障害投資家

私は狙ってそうなった訳ではないのだが、気付けば精神疾患を持つ投資家、という稀有なポジションになっていた。
元々は実業家だったが、精神疾患の悪化に伴い、事業運転は出来なくなった。

事業の中の一環で、資産運用をしていた。
それだけが残った。

去年1年間、ほぼ資産運用だけで暮らした。
偶然的にそうなった部分も大きい。
人から見ればFIREにも見える状況でもあるが。

私自身は生きてきた形の中から仕事がすっぽ抜けた形に過ぎない。

お金の苦しみ

精神疾患と資産運用。
この組み合わせは頓珍漢で素っ頓狂なだけでなく、危険ですらある。

お金の消費、消耗、低賃金など、様々な金銭的ファクターが人の心を病ませる。

私自身も自身のファンド(といっても素人ファンドだが)を持ってはいても、自分の身の回りの人を守るのに充分な規模でない事や、今後の世界的変化に何処まで対応出来るかどうかの不安などで、随分と心をやられてきた。

それに実業、つまりビジネスの範囲においては、ここでは書き切れないくらい、金銭にまつわる心労を抱えてきた。

精神疾患とお金にまつわる事を考える事は相性が悪い。

仕事をする事が難しく、不安感や心配が山のように湧いてくる中で、資本主義世界と対峙する。
どちらかといえば共産主義的な匂いがする福祉に世話になる事も多い中で自らの資産形成を考えていく事は非常に難易度が高い。

消えていく蝋燭

少し私自身の話をしたい。

私は裕福な家に生まれた。綿密には裕福だった家に生まれた。
私が生まれた時点では裕福だったと言えば、一番誤解が少ないかも知れない。

私が成長していくに従って、私の実家は貧乏になり、私は思春期に住む場所すら失った。

私が経済的に反転攻勢に出れたのは、20代半ばになってからだった。
それ以前、10代半ばからの約10年間も色々と対策はした。
対処もしたし、時にまとまった現金を手にしたりもした。

私はなんだかんだずっと事業家だった。
発達障害の特性上、何処かで雇ってもらって仕事を続けるのは難しかった。

「雇用」という守護がない中で私は踠き続けて、足掻き続けた。
時代と歯車が噛み合い始めたのは2016年以降の日本経済だった。

アベノミクス、異次元の金融緩和、アメリカのトランプ大統領の誕生、フィリピンのドゥテルテ大統領の誕生、イギリスのジョンソン首相の活躍、自国の公共事業への資産投入が活発になり、更に日本はオリンピック誘致が成功した。

仕事は山のようにあり、人は少子高齢化によって足りなくなった。
日本経済は悪名高い技能実習制度で、それをリカバリーしようとしたが、到底足りるものでもなかった。

ビジネスは兎も角、兵隊と弾を求め続け、戦場で狂ったように仕事に向かって、タスクに向かって、戦い続けられる兵士を必要とした。
私はそれに乗っかった。

そして、ビジネスが軌道に乗ると、この混乱期が、そう長くは続かない事を察知した。
オリンピック特需、アベノミクスによる財政出動はいずれ、終わりがくる。
その理解が私を投資家への道に進ませた。2018年の事である。

2019年、新型コロナ肺炎(COVID19)の発生、2020年、新型ウイルス(SARS-Cov-2)に対する完成防止措置、医療機関の機器的状況、オリンピックの先送り…
何かしらの感染症発生のリスクはあったものの、急激な世界の変化に社会のミクロな構造は次々に悲鳴を上げていく。

私は投資収益を事業に再投資史、コロナ禍の中でのビジネス展開に勝負に出た。
その後、順当に売上を伸ばし、コロナ禍後(afterCORONA)の世界に備えた。

アベノミクスによる財政出動に加えて、コロナ禍に対する財政出動、日本だけではない、世界中の国が大規模な財政出動を実施した。
こういった時、世界では必ず、戦争の色が濃くなっていく。

グロバリゼーションが限界を迎えて、世界流通の仕組みが組み変っていく。
これは以前にも同じような事があった。
ペストの時にも、そして、第二次世界大戦の前でも。
ブロック経済のようなものが世界中に発生し、またミクロにみても、物事の流動性が失われていった。

このような状況は投資家にとっては有利で、事業家にとっては不利な状況だった。

私は投資家として資産を成長させては事業に注ぎ込み、事業改善を図った。

もう何の為に働いているのかも、分からなくなっていた。
仕事がお金を蝕み、仕事で周りにいる人達とは違う視野で世界を見ている私。
仕事でお金を受け取って時代に文句をいう人達と
仕事にお金を払って、必死に動き回る私。

だんだん、心が対応し切れなくなっていき、2022年。
私は終わった。

壊れた後の世界

私が終わって一年が経過した。
事業群の総代表だった私は見る影もなく、精神病院の中で泣きじゃくったり、記憶を無くして廃墟と化した家の中で暴れ回ったり。
不安に押しつぶされそうになったり、全てがどうでもいいと腑に落ちて、気が楽になったように思えて笑みが溢れて、同時に涙も溢れてくるような奇人と化してしまった。

ビジネスパーソンとしての私は死んだ。
事業投資を繰り返し続けて、投資家としての私の期待に応え続けたアントレプレナー、起業家としての私は狂ってしまった。
私の中には投資家と事業家の二つの顔があった。
投資家としての私はまだ何とか、生き延びれているようだった。

私はまず、病院の中で「アーティスト」としての私に投資した。
精神病院の隔離室の中、私は本とペンを要求した。
実際、本が読めるようになるには幾分か時間が掛かったけど、私はブックカバーを外して絵を描き、また、それを本に戻した。

職業人として絵を描いた事など一度もなかったし、絵を描く訓練も受けた事がなかったが、私自身が出来る事が他にあるとも思えなかった。
だから私は自分の描く絵に投資をした。

絵を描いて、それを販売する。
運賃や画材、大した金額ではない少額の投資。
それでも、首を吊ってから数週間も経っていない死に損ないの私にとっては最大限のアクションで、そこから少しずつ、アーティストプロジェクト「歪花」を始める事になって行った。

絵を描いて、Eコマースサイトに登録する。
作品の写真を撮って、コメントを書く。
コメントの発送が出てこない時の為にAIを使い、SNS戦略も作った。

私自身に投資して貰う為の最低限の仕組み作りをして、私はアーティストとして歩き出した。

死に損ないの歩み

病院の中でアーティストごっこを始めた。
始める為の費用はFXで稼いだ。

そのお金を送金して、画材を確保した。

保護室から出て、精神病院の中で、私は絵を描き、立体造形を作った。使える素材は凄く少なくて、他の患者さんが編み物をしているのを見て覚えて、ニットで作品を作ったりもした。

アーティストとしての収入が入り始めて、運用でも費用を立てたが、私が外に残してきた事業は火の車になっていて、何度か資金注入もした。
これは私に撮ってはとても辛かった。

何故、精神病院に入院している私が、外で働いている人々の為にお金を作って工面しなければならないのか、とても悲しい気持ちになったのを覚えているし、当然、この状態は退院しても続いている。

今は事業の中で財務をなし崩し的に担当しながら事業オーナーとしての責務を果たしているが、もう心もお金も限界なので、今は既存の事業を譲渡する為に少しずつ歩みを続けている。

私が一人で出掛けていた事業は全て消えてなくなった。
花屋も、石材活用や雑貨店、アクセサリーショップなどは閉店した。

外部の仲間と話していた計画の幾つかは私の仲間達が、それぞれの会社として、起業した。
それは私にとって、とても嬉しい事だったし、今でも、それらの会社と関わる仕事はやっていきたいと考えている。

投資家暮らし

土曜日の夕方、少し気だるくなってきた気分を誤魔化す為に珈琲を淹れる。
今回の記事を書くに当たって、あまり力まないようにしたのだが、それでも色々と思い出してしまった。

仲間のファイナンシャルプランニングを立てながら、同時並行で書き進めていたが、仲間はもう疲れ果てたのか、アトリエで寝息を立てている。
結局、この記事に集中しすぎないように、作品流通の企画を作りながら、同時並行で進める事にした。

医療保護入院から一年が経った。

私は私がアーティストになる事に出資して、駆け出しのアーティストになった。
今は写真、物書き、絵かきを中心にアーティスト活動をしている。

たまに立体造形や音楽や動画作品なんかも作っている。

資産運用も今のところ順調だ。
米国株式もハードランディングだろうとソフトランディングだろうと、どちらにしろ乗りこなせるポートフォリオを組んでいる。
新興国に対する分散投資も金やBitcoinの値上がりの可能性に対しての投資も完了し、高金利通貨でスワップ収益を得ながらも、FXでは円高に対するリスクヘッジを張っている。

既存事業の世話が癖モノではあるが、何処かのラインで線引きしなければならないと思っている。既存の事業で譲渡可能なモノをパッケージ化した法人を作り、譲渡を済ませ、ファンドを始めとした私の資産運用、事業開発、管理の為の新法人を立ち上げるというのが、今年の大まかな流れである。

まだ、思うように、以前のように考えたりは出来ない。もう二度と出来ないのかも知れない。
頭の大半は役に立たない不快な騒音を作り上げる装置になってしまっている。
心も以前のようには動いてくれない。
ビジネスを見る上で一番大切だったワクワク感やはしゃぎたくなる気持ち、希望感や期待感を私に叩き込んでくれない。

心はただ、お金が回らなくなる不安だけを運用にせよ、投資にせよ、私に送りつけ続けている。

2024

今年はまだ始まったばかりで、今年という流れの中で、また多くの投資家が産まれて、そして、消えていく。
投機家に身を落とし、そして働かざる者達は、本人達からすれば運悪く市場から退場していく。

マクロな視点とミクロな視点が混在し、自社投資と個別事業に対する投資、ETFなどの指数に対する投資、現物投資や暗号資産投資、様々な要素が今年も世界中のアセットクラスを引っ掻きまわす。

時にそれは戦争の結果を左右し、新しい争いを生み、誰かの生活を壊しながら、また別の誰かの生活を守る。

お金そのものすらも価値を大きく揺れ動かしながら、対円、対ドル、対ユーロなど様々な視点でモノの価値は変化し、労働力の価格という形で人間の価値も変化する。
また福祉などの財政出動の要因においても人の命の価値が市場に潤いを与えたり、労働制の欠如という形で潤いを奪ったりする。

簡単に言い切れるモノは何一つなく、ただ、全体のルールに影響を受けないモノも何一つない。

世界経済はいつもカオスで、何もわからない。
何も読めない。

何がどれくらい読めないか、その読めない世界線の中に、どんな可能性が内包されているか、自分に出来る事は何か。
投資家は考え続けて、そして決断しなければならない。

壊れた情緒を抱えていても、資本主義は一切の容赦をしない。

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