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世の中が平等でないことはもうわかっているけれど ただ障害のせいで中身を見てもらえないなんて、それは。


「障害のある方です。」

そう店長は、言った。



わたしには人よりも恵まれている部分、それは沢山あるだろう。それでもわたしは、努力を誰よりもしなければ登れない山がいくつもあった。順風満帆な人生など、この世にはないのかもしれない。ただ自分より上手くいっている人間、それら全てが憎い。正確にはわたしがどれほど歯を食いしばったとしても見れなかった景色を、他人に涼しい顔で見られること、それが憎かった。


そんな自分の器が、あっという間に小さくなり、消える。

わたし自身はまた他の誰かから憎まれていること、それが薄かった。わたしがこうして生きていること、文章を書くことが出来るということ。たったこれだけというべきではないのかもしれない。それでも"わたしの人生"を何より渇望している人もいるはずだ。わたしが羨ましがられる対象という意味ではない。ただ問題なく外を歩ける。その"存在"を望んでいる人がこの世には数え切れないほどいるということだ。



わたしはとある飲食店で働いている。
立場としては店の副店長くらい。

もう店のことでわからないことは殆どなくなった。細かい知識も、店の誰よりもあるくらいにわたしは馴染んでいた。



そんなある日、ひとりの男性が短期でわたしのいる店で働くことになった。


そしてその男性に会う、数日前。
店長とわたし、もうひとりベテランの女の子と話をしていた。


「いちとせさん、うちにひとり清掃スタッフをとったんですよ。」


そう店長は言った。

特に不思議なことではなかった。
通常は店長が面接をし、採用されることが多い。しかし清掃スタッフに関しては外部に本社が依頼しており、そこから定期的にそんな方がうちでは雇われていた。

わたしのいる飲食店は割と広い。正直そういう清掃だけをメインにやってくれるスタッフの方はとても助かる。


「どんな人なんですか〜?」と、ベテランの女の子も話に乗っかった。


そして店長は答える。

「障害のある方です。」


本当に気にしていなかった。
別になんの問題もない。わたしのいる店、つまりそこの本部となる会社は障害のある人に寛容である。わたしのいる店以外の他店舗でも障害のある方が雇われている話は聞いたことがあった。


ただ一緒にいた女の子は、わかりやすく顔をしかめる。

「え〜やだなあ。いちとせさん任せました。わたし多分あんまり喋らないと思います。」


一呼吸置いて、
「まあ。構わないよ。」と、わたしは答える。


彼女の性格は、ある程度わかっていた。
そんな反応を示すでだろうこともわかっていた。そして別にそれを強制して、彼女の考えを修正しようとも思わない。わたしはただぼんやりと、自分が教えればいい、くらいの考えを当時馳せていた。



数日後、うちの店で働くことが決まった、その人が来た。


「は、初めまして…あの、あの、」

目は泳いでいた。
障害があること以外にも聞いてはいたので特別驚くことはなかったけれど、年齢は60歳を過ぎた男性で、人と話をするのがかなり苦手そうではあった。


ゆっくりとわたしは自己紹介をし、裏の事務所まで案内をした。


そこでその男性は、わたしに何かを伝えようとしている。


「あの、ええ、えっと。あの。」


わたしは何かを守りたかったわけではない。ただわたしは言葉が出てくるのを待っていた。その男性のいままでの人生、そしてわたしのいままでの人生。それが違いすぎることをその時わたしは悟った。

店長は詳しい障害のことを教えてはくれなかったけれど、その男性は人と会話することがかなり難しい方らしい。それでも清掃スタッフとして何十年と経験のある方だった。それを見込んで辿り着いた採用でもあったのだろう。



わたしは店の、清掃をしてほしい箇所のリストを男性に渡した。店内のこと、清掃用具の場所も伝えた。


するとすぐに男性は動き出す。
その姿は突然何かに取り憑かれたかのように表情を変えた。自前で持って来ていた用具も取り出し、わたしの想像以上に店内はみるみる綺麗になっていく。

普段は拭きづらい場所の窓、壁の本当に隅の隅。わたしの知らない、何か特別な清掃用具で床が全面 嘘みたいにピカピカになった。


そんな店内を見てわたしは思わず、

「すごい!こんなに綺麗になるんですね。」

そう男性に言葉をかけた。
その言葉はもちろん本音だ。


すると男性は滝のように汗を流し、そして気恥ずかしそうに、

「こ、これがわたしの仕事ですから…」



その日初めて見た、その男性の笑顔が何より綺麗に、そして輝いて見えた。


それがきっかけになったのか。
わたしとその男性は、世間話も出来るくらいに今は打ち解けはじめている。ベテランの女の子は、その男性を相変わらず避けているけれど、別にそれも気にならないくらい男性は笑うようになった。



そして今日、男性は雑巾を手に、俯きながら話す。


「いちとせさんは優しいですね。自分なんかにそんなに親身に話しかけてくれて。」


ふいに飛んできたその言葉に、わたしは思わず目を一瞬閉じる。溢れそうだった。「そんなこと、言わなくていいのに、いいのに。」わたしが相手のことを全てわかった気になること、それもおかしいことではあると思う。それでもその男性から出る哀愁と、歳月が成せる美徳。わたしはせめて、"あなたの心"を触っていたかった。



“  わたしは初め、清掃の腕を見込まれて採用された人だと誤認していました。あなたはとても心が大きな人でした。そのことを採用担当が判断出来ていたか、それはわからない。けれどわたしはあなたの仕事ぶり、そして人との向き合い方。いくらでもあなたの中身から学びたいこと、それで溢れていたようでした。”



わたし自身も、人を知ったようなことを言いすぎるのもよくないかもしれない。そしてこの世が平等ではないことも、わかっている。わたし自身も"障害のある人"だったから。障害そのものを"容姿"と形容するのも少しずれているのかもしれない。顔立ちなどの外見も含めて、人にはそれぞれ生まれ持った容姿がある。それによって中身を見てもらえる機会が人によってどれほど差が出るのか、わたしはその男性と重ねる。


別にわたしは神様でもない、権力者でもない。わたしも"弱い側"だ。全ての人に平等に接すること、きっと不可能だ。見方を変えれば、わたしはその男性を 極端な言い方をするのであれば、"特別扱い"することによって、他の従業員との心の均衡を崩している側面もあるはずだ。


わたしは偽善なのか。
他の誰かよりも、分け隔てなく人と接することが出来る、そのことを盾に人を蹴落としているようにも見えるかもしれない。

ただわたしは心を、言葉を見れる人間になりたかった。全て自己満足かもしれない。そしてわたしが手に負えない人、そんな人だっていつか店に採用され、訪れるかもしれない。


それでも最初から見放したくない。
人には平等に心があること、それを平等に無視しないこと。わたしに生まれたときから備わる中身で。


一生懸命なあなたを見ていたい。

それくらい平等にさせてくれと、思うのよ。


書き続ける勇気になっています。