見出し画像

自分の力でマニキュアを買おうと思ったら、初めて会った高校生に助けてもらった話


「わたしも最初はこれだったから」


今更来た夏に、自分を重ねる。

幸せになればなるほど、わたしは文章を書かなくなると思っていた。錆びた歯車を泳いでいる自分がいちばん、自分らしいのだろう、と。いつか亡くなる胸に手をあて、想いを透かしている。


「あれ、おかしいな」

朝起きて、夜眠るまで演じている自分に、愛想よく付き合っている。「前はこんなはずじゃなかったのに」。以前友達がプレゼントでくれたマニキュアを手に取る。深緑と潜る日常。贅沢が染み込まないよう、必死に手首と手首をこすり合わせている。未来が不安になると、人は過去を美化し、暇つぶしを始めてしまうのだ。



先月、友達からもらった。

「何回この話をするんだ」と思う人がいてくれたら、そんなに嬉しいことはない。"認識"に飢えている。引っ込み思案でありながら、目立ちたがりだ。それぞれの面で分かれているわけではない。ひとつに纏めて、それが「自分」として生きている。


現在、わたしは27歳。

これが遅すぎる出来事なのか、それを判断できるのはもっと先の話だろう。昔のわたしは、肌が火傷しようが、痣ができようが、どうでもよかった。いまは触れるもの全てに神経が走り、瞳が濡れ始める。どちらが"正しい"というわけではない。手の甲に乗せた小鳥が、今日も笑顔で踊り、宙を舞う。愛を持って、わたしはそんな自分を"面倒"だと思ってしまうのだ。


化粧なんて、ほとんどしたことがない。

高校生の頃、女装コンテストに出たときくらいだ。同級生と顔を合わせれば、それを"黒歴史"として笑い話にされるだろうし、「ほんとうは優勝したかった」なんて言ったら、白けてしまうかもしれない。


誰もわるくないのだ。

優勝するはずもないわたしの容姿。髭は伸びるし、重たい荷物も持ててしまう。自分の家の壁にかけられたワンピースを、星空のように見上げている。照明を消しても輝き、それは自分自身の表情が、跳ね返っているかのよう——



去年から、SNSで『いちとせしをり』を名乗り始めた。

noteで書いた記事は、500を越えている。わたしのなりたい姿を、エッセイを通して叶えたかった。夢が香る絨毯を、甘いヒールで歩きたい。朝焼けをお手玉しながら、一日の始まりに息をのせている。

.

.


つい最近。先月のことだ。

読んでくれた友達のひとりが突然、渡してくれた。


「しをりさん、どうぞ」

桃色の袋に入った雫。開けたわたしは、マニキュアを確認し、さめざめと泣いた。「男なら泣くな」とも、「女々しい」とも言われない。前の職場では、「ゲイはきもちわるい」と言われ、耐えられなくなり退職をした。

それでも、真珠のように微笑んでくれる友達がいるから、わたしは文章を書く手が今日も止まらないのだろう。不幸より、幸せの方が怖いのだ。差し込む勇気が、指先を伝う。頬に書かれた"ことば"が、今日もわたしには艶めいて見える。


——欲しくても、"自分の力で"買えなかった。

そんな背景を友達は知ってくれていたから。でももう、わたしはいける気がした。自分の力で、マニキュアを買いに行くのだ。



「ひとりで行ってきますね」

恋人の彼と、わたしは一つ屋根の下で暮らしている。日々彼と手を繋ぎ、歩むだけで全てが愛おしい。仄かな足跡が重なり、いつか恋の輪ができあがるだろう。

先々月彼はうつ病になった。現在は仕事を休み、療養している。それはとても適切な判断であり、実行できている今が花丸ではある。とはいえ、彼の収入が止まった分、贅沢は減った。元々そこまでしていたわけではなかったが、お化粧やお洒落は、二の次、三の次になる。ふたりで暮らせれば、それでよかったから。

けれども、財布を開くと、声が聴こえた。



「使っていいよ」



ほとんどこれは、わたしの声だった。

およそ四ヶ月前、わたしはnote公式のコンテストで賞をいただいていた。『#君のことばに救われた』というお題。文章を書くことを望むわたしにとって、煌めく舞台だった。


なぜその話を今になって持ち出したかと言うと、トロフィーの他に、わたしはQUOカードを二万円分いただいていたのだ。「いつかどこかで使おう」と大事に財布の中へ忍ばせていた。

やさしいあなたであれば、もう気づいているかもしれない。それで、マニキュアを買おうと思った。自分の軌跡がくれた「褒美」くらい、贅沢していいはずだから。


デパートにある化粧品売り場は、わたしにとってまだハードルが高かった。ドラッグストアで買おうと、頭の中で描く。なにより、QUOカードも使える。自分のこの姿でマニキュアを買うのが、27年間、痛いほど遠かった。




背中はもう、たくさん押してもらった。

あとは、わたし自身だ。


友達の顔が何度も浮かぶ。いちとせしをりを知ってくれている、友達が沢山いる。高校生の頃、女装コンテストで泣いたわたしは今も笑われているけれど、それすらも抱きしめられる花束。他人の変化を待つより、わたしは自ら変わる道を選択し続けたい。


最寄り駅の近くにあるドラッグストアを目指した。

わざわざ、行ったところのない場所は選ばなかった。いつもの店。こそこそする必要はない。胸を張った、これは「前進」なのだから。

.

.


土曜日の昼間。

挙動不審は、隠しきれていなかっただろう。手と足、同じ方が前に出てしまう。店の前にあった買い物カゴを手に取り、化粧品コーナーへと直進した。

"入った"、と、どこかで明確に線引きがされているわけではないのに、「入った」と思った。全方位、見渡す限り幸福だった。ありふれたことしか浮かばない、それこそ、その感情は「象徴」である。


途端に目が眩んだ。

わたしは望んではいるが、詳しいわけではない。何がなんだかわからないが、"欲しいもの"が並んでいることだけはわかる。「どれがマニキュアだ」と心が掻きむしられるように焦る。脇から水滴を流すわたし。そんな空間のすぐ側から、気配が流れてきた。


スカートを穿いた、三人組の高校生だった。

活発そうな見た目。制服を身にまとう、それに圧倒される。狭い店内をぐいぐいと動き回る。部活帰りか何かだったのだろうか。そのまま、高校生たちも化粧品のコーナーへ入ってきた。



——恥ずかしい。

何かを言われたわけではないのに、言い知れぬ羞恥の情に駆られる。

逃げ場がなかった。通路の奥は、店員さんが作業しており、もしも"諦める"のであれば、高校生たちとすれ違うしかなかった。「やっぱり無理だ」「やめよう」「また今度でいい」「いつだって来れるのだから」と、滝のような速さで妥協案が落ちてくる。瞼で水流を抑え、下唇を噛んだ、そのときだった。



「何か探してるんですか?」



三人のうちの一人が、わたしに話しかけてきた。顔を合わせることすら出来ず、耳がやたらと熱くなる。

そんな、話しかけられるなんて思っていなかった。最近はどうもおかしい。そもそも昔は人に道を聞かれたりなんてしなかったのに、マニキュアを友達からもらってから、周りの表情がいつになく瑞々しい。「何か言わないと」と思ったわたしから、ほとんど無意識に言葉が零れる。



「…マニキュアを塗りたいです」



顔から火が出そうだった。

探しているかどうかを聞かれていたのに、ご丁寧にわたしは深い"意志"を零してしまった。店内は冷房がこれでもかと効いていたのに、息吹を乞う。全身が固まるわたしに高校生は、便箋のように次の言葉をのせ、手元に落とす。


「そしたらこれがいいですよ、わたしも最初はこれだったから」


種類もよくわからなかったが、高校生の指差す方には「虹」がかかっていた。どれも鮮やかで美しい。「ああ、これが欲しい」と、心の中に閉じ込める。


「値段も安いし、これでいろんな色を試してみるといいと思います」


そう最後に言って、ふと気を抜いた瞬間、高校生の姿はもうなかった。ほとんどそれは神秘的な生き物のよう。感謝を瞳で残す。震える手をなんとか動かしながら、わたしは色を選ぶことにした。


「これと、これと、これ」


買い物カゴへ、とにかく早く放る。わるいことなど何もしていないはずなのに、疚しさに似た情緒。そして、どうせならと思い、桃色を最後手に取った。


レジまで小走りで向かう。

途中、精一杯のカモフラージュとして、カゴの中に一本のコーラを追加で入れた。「袋いりますか?」に、「お願いします」と返す。マニキュアだけが、ちいさな紙袋に小分けされていく。初めて見る景色ばかりだ。そのさまは、甘い、お菓子のよう——


心のどこかで、「劇的」になる気がしていた。ドラッグストアからの帰り道、汗は引き、あっさりとしている自分を噛みしめる。その瞬間、これは前向きに捉えていいものだと気づく。わたしは、わたしのなりたい姿を叶える、「自然」に一歩近づいたのだ。



「ただいま」

「おかえりなさい」


家に帰っても、強い日差しが降り注ぎ、晴れ間が続く。


「買えました!」


そう、恋人へ向かって言葉を渡す。家族のような"えくぼ"が見える。手洗いうがいを済ませ、わたしはすぐに爪にマニキュアを塗り始めた。


合計、買ったのは四つ。

前に友達にもらってから、塗り方はなんとなくわかる。除光液もそのとき買った。もう、ずっと楽しくて仕方がなかった。けれどその日、爪に色がうまくのらなかった。


「あれ、おかしいな」


前より上手に出来ない自分に哀しみを感じる。それでも夢中に塗る。塗っては落として、塗っては落としてを繰り返す。結局五時間ほど続けてやっていた。

そんなわたしをそっとしてくれた恋人は、映画を見始めたので、わたしは体を入れ、潜り込む。後ろから恋人に抱きかかえられるようにして、わたしはマニキュアをまた塗っていた。「素敵です」と、耳元で奏でられ、蝶々が混ざりあう。



結局、土日のほとんどを、わたしは自分の指先を見て過ごしていた。"ふち"がどうやっても綺麗にできなかったり、厚く塗りすぎてしまったりして納得は出来ないままだったが、写真を一枚一枚、大切に撮る。それをわたしは昨日Twitterにあげた。



並ぶ四色。お気に入りの指輪と合わせる瞬間も含めて、「最高」の人生——


リプライや引用リツイートで、あたたかい言葉を沢山いただいた。そして、教えてくれた人もいた。ふちの部分が上手く塗れなかったのを嘆いていたら、「その部分は綿棒に除光液をふくませてやるといいですよ」「コットンを使って…」「シールを貼ったり、ストーンをつけたらもっと可愛いよ」と、言葉が続く。

知らないことばかりだ。涙を揺らしながら、それをひとつひとつわたしは眺めていた。


「一歩」踏み出したら、周りが気づいてくれた。
「声」を出したら、応援してくれた。

些細な"動き"が人生を変えてくれたりする。わたしは、自分のなりたい姿を叶えたい。

.

.


そして、下のツイートの深緑が、友達からもらったもの。わたしにとって人生初めてのマニキュアだった。27年間、遠かったのに、たった一ヶ月でここまできた。わたしは、助けられている。わたしは、あなたを助けたい。



どこにでもいる、わたしは「人」。

芸能人や有名人だからといって、それは変わらないものではあるだろう。これを読んでくれたあなたは、日常でわたしとすれ違ったとしても当然気づかない。ただこうして皆、生きている。なりたい姿を描き、夢を雲の上で遊ばせている。

わたしにはちいさな力しかないけれど、一人ひとりがこれから先、自分らしく生きられるように。それを叶える、「一滴」になる文章をこれからも書きたい。



「ありがとう」


もっと、もっとが麗しい。


2020年 8月1日

初めてマニキュアを"自分で"買いに行った、記念日にしよう。



画像1




おわり。だけど、つづく。


書き続ける勇気になっています。