母の日に恋人を紹介したら 返ってきた言葉のこと
「生きていてくれたら、それでいいのよ」
今すぐにではなくていいから、わたしはオレンジ色が似合う人になりたい。「純粋な愛」「清らかな慕情」は、オレンジのカーネーションの花言葉。わたしが好きな言葉ばかり。そもそもわたしは言葉が好きだから、なんだっていい。けれど人に聞かれた時、答えられるようにしておかなければいけない。わたしの母ならきっとそう言うはずだ。
段々と今日が何曜日かわからなくなって、今日が何日かわからなくなる。そのままわたしは今日が何月かわからなくなるのに、大切な日のことを忘れることはない。突然朝起きた時、ぷるんとしたゼリーのように頭の中から記憶が溢れてくる。
「おはようございます」
わたしは恋人である彼と一つ屋根の下で暮らしている。起き上がってきた彼の芸術的な寝癖を、わたしは毎日特等席で眺めている。お揃いのものが日に日に増えていく。意味もなく頭をわしゃわしゃと撫でまわし、横並びで歯を磨く瞬間、一日の始まりの音がする。そんなありふれた表現をしたくなるくらい、絵に描いたような幸せだった。
なんだか昔より、彼の後ろ姿が逞しく見える。そう感じられるくらい、時間をともに過ごしてきたということだろうか。
「もう、三ヶ月経ちますね」
付き合って、ここまできた。彼の声はいつも柔らかく、ただずっしりと重い。もっと彼のしたいことが手に取るようにわかればいいのにと思う時もある。けれどわかりすぎてしまえば、わたしの胸の鼓動はあっという間に止まってしまうだろう。季節を越えて、陽だまりの場所が変わる。それを感じながら手を繋ぎ、最期までキスをして過ごしていたい。
◇
5月10日は、母の日だった。
いつもであれば、わたしは母と食事に出かけたり、直接プレゼントを渡したりしている。ただ今のご時世ではそうもいかない。
わたしが実家を離れてから5年という月日が経っている。家族に会うことをここまで躊躇うのは、もしかすると初めてかもしれない。それでもできることがあるから、それをするのがわたしの自然だった。
「母の日だから、電話してきますね」
それはとてもシンプルな理由だった。起きたばかりの彼が、窓の外をぼんやりと眺めながら頷く。いつも早起きな母。午前8時を回ったところで家事が一息つき、彼のように窓の外を眺めながらあたたかいお茶を飲んでいることだろう。遠く離れた場所で暮らしていようと、家族の音色は聴こえてくる。
もしかすると待っていたのかもしれない。電話をかけて、1コールで母は電話に出てくれた。
「もしもし、しをり?おはよう」
朝とは思えないほど、母の声はしっとりとしていた。光沢を放つ言葉の線は、心地よくわたしの耳の奥で踊りだす。目を開けた瞬間から、わたしは母に一目惚れをしている。
「母の日だから電話した」と、それだけの理由をわたしは零す。本当は、母の声を聴く言い訳をここまで待っていただけだった。
わたしの呼吸に合わせて、母は子どものように無邪気に笑いだす。手を叩くような仕草とは違う、少し手を口元で隠すような佇まい。そうして母は、わたしに一つ、問いかけをしてくる。
「しをり、家は一人で淋しくないかしら」
蠢くような動悸ではない。浅瀬で見える波。流されてしまうのは薄く軽い枯れ葉くらいか。母の問いに落ち着いていられる今、もう話してもいいかなと思うわたしがいた。
「母さん実はね。俺、いま恋人と暮らしてるんだ」
この台詞を話す途中、かぶさるように母が話し出したそうな吐息が届く。きっと何もかもお見通しなのだろうと思うと、早すぎる雫が溜まりだす。
ずっと、内緒にしていたから。
今年28歳になるわたしのことを、母は別に期待もしていなかっただろうか。一人で暮らし、ほどほどに生きていく。精神病になったわたしが社会でそもそも上手くやっていけていない現在のことを母は痛いほど知っていることだろう。だから母は口癖のように「生きていてくれたら、それでいいのよ」と、目を潤ませながら言う。
親元を離れた息子が、わたし。
孫の顔を母はやはり見たかっただろうか。その答えは、わたしが親にならなければわからないものなのか。子どもからの突然の恋人の報告。そして母は"わかるように"して、聞いてくれた。
「あら、そうなのね。相手の方は、女の人?」
それはとても丁寧な風だった。そもそもわたしのいままでの恋人は皆女性だった。変わらずそれが続くことを、母は綺麗に疑ってくれた。
「ううん、男の人だよ」
大丈夫だと思っていたのに、声はそこで震え出す。壊れそうな何かを必死に押し込もうと、わたしは自分の胸を掻きむしった。そして、会うことができない今だからこそ、母に彼の顔を見せたくなった。
「母さん、今ビデオ通話できる?」
「できるわよ、もちろん」
お手上げだ。母はわたしのことが手に取るようにわかるのだろう。そう思うとまだまだな彼とわたしとの関係には、色を塗る余白が沢山残っている気がした。
ビデオをオンにすると、いつものように母の顔が小さな画面に映る。わたしだけがわかる増えている皺の数が少し、嬉しかった。変わらず窓の外を眺めていた彼の肩を叩き、わたしは彼の顔を初めて母に見せた。
「この人。この人が恋人だよ」
その時の母の瞳の動きをわたしは見逃さなかった。さすがの母も"現実"を受け止めるのに時間がかかっていた。ただそれを悟られないようにする母。その母から産まれた自分に、鞭を打つようにして幸せをわたしは感じていた。そして、彼の顔を見た一言目、わたしの想像とは違う言葉を零す。
「あら、しをりにそっくりね」
全てが初めてだった。わたしと彼の顔は、客観的に見て全く似ていない。けれどその意味を生きてきた中での記憶から引っ張り出し、浸る。「似てるかなあ」と とぼけるわたしを見て、念を押すようにして「似ているわ、とても」と、また上品な吐息を漏らす。
そして母は、わたしと彼の顔を見ながら、言う。
「ありがとね しをり。母さんなんだか泣いちゃいそう」
そんな大袈裟なとは思えなかった。母は"わたしに似て"泣き虫だった。顔が真っ赤になって、かぎりなくオレンジに近い涙が見える。そして母はわたしと彼の似ているところを沢山教えてくれた。
「重なってくるのよ。顔の皺も、肌の艶も、輪郭も、影の形も、まばたきのタイミングも。声色も目の動きも。寝癖の位置だって。同じものを見ているとそうなるの、当たり前なのよ。だから、大丈夫よ」
思わずわたしは目を強く瞑ってしまう。「大丈夫」という言葉が、力強くわたしの背中を押してくれた。そこからさらに母は、数年ぶりに使うアクセサリーを取り出すかのように話をしてくれた。
「母さんはしをりが生きていてくれたらそれでいいって思っていたわ、ずっと。社会はとても苦しい場所だわ。働くこともそう、生活を続けること自体、母さんは痛みを伴うと思っているわ。
しをり。母の日はね、本当は母さんが感謝をされる日ではないのよ。子どものあなたとこうして話す時間を与えてもらえている日。しをりがいないと、母さんは母さんでいられなくなってしまうの。どういう意味かわかるかしら。子どもがいることに母が感謝をする日なのよ。だから、しをりに恋人がいること、それにいつまでも感謝していてね」
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壮大なカミングアウトにはしたくなかった。
あくまで、些細な日常のつづき——
ずっと母とわたしが泣いている姿を、画面からは見えない位置で撫でてくれたのが彼だった。光を浴びながら話す親子を見る彼に、思わぬ形、瞬間で伝えてしまった。わたしは彼のことを愛しすぎていた。
彼とお付き合いを始めて、まだ三ヶ月だ。
これからどういう人生になるかは誰にもわからない。それでも、忘れてはいけないことを母が教えてくれた。最期を誰と迎えようと、それは変わらないもの。
電話を切る直前の母の言葉を、わたしはこれからも抱いて生きていく。ずっと感謝は、お互いに。
「あなたたち"ふたり"が生きていてくれたら、それでいいのよ」
書き続ける勇気になっています。