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おっちょこクロニクル【合唱コンクール】

自他共に認めるおっちょこちょい歴35年の私いちょうよもぎ。

『おれピアノ弾けるとよ』

ちょっとでも他人の気を惹きたい中学1年の秋。

小学五年生で福岡に転校してから数年経ち、中学に上がっても"陳腐な博多弁を話す北京に住んでいたらしい謎の転校生"というレッテルは貼られ続けていた。

音楽の時間に女子の前でウル覚えのキラキラ星を披露したのが最悪の始まり。

クラスの視線が両手でピアノを弄っている男子に注がれて

『すごいやん』

などの歓声が上がり、よもぎは有頂天になり、得意のぶんぶんぶんも披露していた。

すると

『いちょう!決まりたい。今度の合唱コンクールお前が伴奏!』

ヤヒロという坊主頭に剃り込みの入ったヤクザと寸分違わぬ強面の担任教師が、勝手によもぎを伴奏者に指名してしまった。

よもぎのピアノレベルはバイエルという6歳児に与えられる教科書の課題曲を数曲終えた程度。

伴奏などやったこともない。
ヤクザもキラキラ星程度で伴奏者に押すあたり、ピアノとは縁の遠いヤサグレ人生を歩んできたのだろう。

なんだか非常にまずい予感が過ぎったが。

『いちょうで決まりやねー』
『凄いやん!男子の伴奏って珍しかー』

などの黄色い声に、断るどころかまんざらでもないと思ってしまった。

よもぎは頭を掻きながら「参ったなあ」とデレデレに照れて。

おっちょこ脳は都合よく現実を歪め、まあ譜面は少しは読めるんだから練習すれば弾けるだろうと、課題曲の楽譜を持ち帰えってしまった。

家に帰り楽譜を開き驚愕した。

何だこれは?
ピアノを離れて3年。
譜面界に革命でも起こったのか。

五線譜にびっしり詰まった変形オタマジャクシ。バイエルには載ってなかった珍妙な記号の数々。

全く読めない。なんだこれは?
何を拾ってもナメック語にしか思えない。

ワナワナと身体が震え始め、堪らず母に相談すると

『何考えてるの?こんなに難しいのアンタに弾ける訳ないじゃない!』

頼みの綱の母親も六年生までしかピアノを習ってなかったので、譜面を見ながらしどろもどろ。

ブツブツ切れながら奏でた音は夢の世界どころか混沌の宇宙を表現していた。

『あー無理。こんなの私も練習しなきゃ教えられないわよ!正直に弾けないって担任の先生に言いなさい』

それだけは言えない。ヤヒロは一度決めたら例え僕が不治の病になっても伴奏者から外さないだろう。

辞退でもしようものなら殺される。
クラスも満場一致。

『もう決まっちゃったんだよ。』

絶望に打ちひしがれる母子。

『あれだけ練習しなさいって言ってもピアノに向かわなかったバチが当たったね』

とぼやきながら母は電話をかけ始め、近所の自宅でピアノを教えている先生にコンタクトをとった。

夕食を終えて
母子は先生の自宅にお邪魔することになり、先生の前で楽譜を開く。

『よもぎくん。
試しに何か弾いてごらん。』

小2の頃にコンクールで披露したアラベスクを先生の前で奏でると、

『よもぎくん。
そのタリラリラが滑ってるから、指をね。もうちょっと立ててね。』

とダメ出しされ、鍵盤に乗せる指使いから教わる始末。

『じゃあこの記号わかる?』

「いいえ。」

『じゃあこれは?』

「いいえ。」

『これも?』

「はい。」

先生は深いため息をつき。

『お母さん。本番はいつですか?』

「先生。実は来月なんですよ。無理ですよね。はっきり言ってあげて下さい」

『一ヶ月ですかぁ。』

息を飲むピアノ教師。
しかしお転婆少年の夢を壊すのも可哀想だと思ったのか。

『まぁこの楽譜のままじゃ難しいので、少し弾きやすいように楽譜を手直しします。よもぎ君にはこれから毎日特訓してもらうわよ。』

彼女は決して"弾けるようになる"とは約束してくれなかった。

新たにピアノ教師を迎えて、コンクールまでの地獄の日々が始まる。

よもぎは当時バレーボールの部活にも入っていたので部活の練習を終えてからの猛特訓。
眠い目を擦りながら1週間で譜面読みと基礎練習。2週間で右手パート。次の3週間で左手パートをこなす。

ピアノの淵に立つ母は鬼と化し、ワーギャーと喚くダメ出しに耐えながら両手弾きの練習に入った頃に、音楽の時間がやってきた。

よもぎが隠れて猛特訓をしているとは知らないクラスの仲間達。
それまでラジカセから流れる伴奏で練習をしていたが、そろそろ生のピアノと合わせようという空気が流れ始めていた。

よもぎはとぼけた顔で
『あっ本番もうすぐやったね。実は譜面まだ持って帰ってなかったけん、次の音楽の時間までには練習しとく。ハハー』

などと余裕があるふりをして難を逃れる。

本当はこの3週間、血のおしっこが出るくらい練習しても両手弾きにすら辿りつけていないことは隠し続けた。

もう後には引けない。
本番1週間前。

それからは部活もサボり、加速度的によもぎの練習量は増えていき、深夜までピアノにかじりついた。

人生でこんなにも必死で頑張ったのは、後にも先にもこの合唱コンクールの1週間前であろう。

目を血走らせて練習するよもぎに、ピアノ教師も感化され、原型が変わるんじゃないかというほどシンプルな譜面へと赤鉛筆で修正してくれた。

こうして本番前日に初めて伴奏付きの練習を迎えた。

あれ?
全然みんなの歌と合わない。
ピアノが先を走る。

あれ?
ピアノが詰まるとみんながピアノを置いていく。

一人で曲を弾くのとはまったく違う次元のレベルの壁にぶつかり消沈。

弾けりゃいいってことではない。
弾けて当然。
指揮者、合唱に合わせて初めて伴奏。

先生が弾けるようになると約束してくれなかった意味をようやく理解する。

ぎこちないセッションを数度終えて最後の練習が終わる。

クラスにはしら〜っとした空気流れていた。

その晩はべそをかきながら母を歌わせ、深夜まで特訓し本番を迎える。

体育館には全校生徒に加えて父兄達も集まり、静まりかえったステージにスポットライト。

それまでの猛特訓で緊張すらすっ飛ばしてきたよもぎは、はじめての大観衆を前にガチガチに凍りついた。

伴奏者
『いちょう よもぎ』

ぶかぶかのブレザーを着たチビの男子の登場に館内がどよめく。

心臓の爆音はこのどよめきでピークに達し、ピアノに対面した瞬間、世界は真っ白く塗りつぶされてしまった。

失神寸前のおっちょこ脳は指のファーストポジションの位置を特定できずに彷徨う。

ターンと突然明後日の音が鳴る。
会場がキョトンとする。
クラスのみんながキョロキョロとお互いの顔を合わす。

およそ30秒

タタタタリラ

ん?

タタタタリラ

んん?

タタタタリラ

あれ?

当てずっぽうで始めたが、全て間違える。
鍵盤の位置がわからないのだ。
というか何もわからない。

そもそもなんだ?
この白と黒は。パニックが連鎖する。

課題曲"夢の世界を"は初めの一歩が見つからずに現実を彷徨っていた。

騒つく場内。

あっ。
ここだ。ここだ。
やっとみつけた。

ようやく前奏が始まり、ぎこちないままに合唱は終わった。

パチパチとまばらな拍手が送られる。

前奏のやり直しを3度奏でた男子伴奏者として、場内をざわつかせたよもぎだが、同学年の最後のクラスの発表が始まると会場の空気が一変した。

ピアノに座っていたのは

まさかの男子のよっちゃんだった。

ピアノとは縁の遠いと思われていた野球少年の登場に会場はよもぎの比ではない賑わいを見せる。

よっちゃんは突然タララララーン♬
とピアノソロから始まる圧倒的な前奏で、会場の羨望を一瞬にしてかっさらった。

大人気アニメの主題歌を歌うクラスは伴奏、声のボリューム、ハーモニー共に完璧で、文句なしの優勝を果たした。

将来、受験や就活で頑張る分の担保も費やした一ヶ月の努力はよっちゃんの圧倒的なスキルに吹き飛ばされ。

興奮冷めやらないコンクール後の校内はよっちゃんのピアノ話で持ちきりとなっていた。

放課後、全てを出し尽くしてボロボロになったよもぎは、消沈したままフラフラと自転車に乗り、田んぼ脇の細道を走っていた。

足をペダルにかけずブラブラと足をぶらつかせながら空を見上げていると、

ドブ川沿いに設置されていたガードレールの支柱に足を引っ掛け、深い側溝に自転車ごと突っ込んでしまった。

何が起きたのか。
ずぶ濡れのよもぎはママチャリに座ったままドブ川に落ちたらしい。

腕を組みハンドルに両肘をかけてしばらく放心していると、深い谷底にチャリごとハマっているよもぎを見かけた友人が、腹がねじ切れそうなぐらい悶えていた。

『おっおまえ。みごとやね!座ったまま突っ込んだと?バリやばい。ヒヒヒッ頼む。笑わさんでくれ。』

友人にドブ川から引っ張り上げられている脇を一台のチャリが一瞥してスッと通り過ぎた。

『いちょう。あれお前の兄貴やない?』

まさかの味方であるはずの血を分けた兄も、ドブに落ちた奴と同類と思われたくないのか、見知らぬふりをして遠ざかって行ったのである。

翌日以降、偽ピアノ少年はドブ川に座ったまま見事に着水した転校生というレッテルが追加されただけで、誰の気も惹くこともできなかった。

その後悔しさをバネにピアノに邁進する訳でもなく、成人してからもデート中に楽器屋巡りをしてピアノコーナーで伴奏を自慢して気を惹くという狡い方法でしか課題曲は活用されなかった。

23年の時が経ち。
母が引越しを機に
『アンタの思い出のアルバムやCD漫画などが邪魔でしょうがないから捨てたい』

と再三連絡してきたので

自分で確認して捨てるから送ってほしいと伝えると

ズシンと重たいダンボールが送られ、蓋を開くとマンガや学生時代のアルバムに混じって一通の茶封筒を見つける。

中には1万円札と

『あのピアノが高額で売れたのでお裾分けです』

という手紙が入っていた。

一万円では到底片付かない悲惨な思い出を引っ張り出し。

これを書かねば共に苦難したあのピアノも旅立てないだろうと思い、筆を走らせるに至る。


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