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ソウルフィルド・シャングリラ 第一章(3)

承前

「断る」
 護留は再び即答すると、踵を返した。
「報酬を聞いてからでも、遅くはないと思いますが?」
「繰り返し言う。仕事はまず己条を通せ」
「報酬は前金で150万ALC〈アルク〉。仕事が終わった後に更に150万ALCをお支払いします。もちろん、現金で」
 立ち去りかけていた護留は、屑代がさらりと言ってのけた科白に思わず振り返ってしまった。渋い顔をする護留を満足そうに屑代は見遣る。
「話を聞いてみる気になっていただけましたか?」
「……300万ALCだって? BLC〈ブルク〉でなく? 正気かお前」
 ALCは澄崎市の正規通貨で、BLCは低級市民等が闇市で用いる海賊通貨だ。ALCで300万。それは、澄崎市の成人男性――それも天宮関連の企業に勤める中流以上の地位につく――のおよそ10年分の所得に等しい金額だ。
「もちろんです。因みに仕事の成否に関わらず、前金の返却は不要です。まあ、『負死者』に対する礼儀だと思って――おや、禁句でしたか?」。
「……禁句なんて知るか。ただ、あんたの話しかたが気に入らないだけだ」
「申しわけございません。営業用の口調――ではなく、嫌いな上司の話し方の真似なのですが。お気に召しませんでしたか?」
 ――これ以上こいつに付きあっていると偏頭痛に拍車をかけそうだった。
 もういい。こいつも黙らせよう。
 予備動作を一切行わず、護留は屑代にナイフを突き出した。鳩尾を狙う。屑代は、躱さなかった。そして護留は躊躇わなかった。刃はその根元まで深々と突き立ち――屑代はゆっくりと膝をつき、泥水の中に倒れ臥した。護留はそれを無感動に眺めていたが、
「立てよ。なんの茶番だ、これは」
 護留の心底うんざりした言葉に、屑代はごくあっさりと立ち上がった。反降雨力場のおかげか、スーツは一切濡れていない。
「いやはや、さすがですね。――なぜ生きていると思いましたか?」
「倒れかたがわざとらしすぎる。第一、刺した時の手応えが生身の人間と全く違った。あんた、内臓も人工物に置換してる重度身体改造者だな」
 屑代は鳩尾の辺りを手で拭った。手には少量の血が付着したが、それ以上の目立った出血は見当たらない。
「これも、『検分』とやらなのか」
「お察しの通りです。私はこのようなやり口には反対したのですがね。どうしてもという『上』からの強いお達しでして」
「じゃあ、その『上』とやらに不合格の通知を持ってさっさと帰れ。あんたが僕をどう評価したかなんて知りたくもないが、どうせ過大に決まっている。暗殺なんて僕には無理だ」
「しかし己條さんのところでも、殺しを請け負ったことがありますよね?」
「……なんのことだ?」
「誤魔化す必要性はございません。失礼ですが、貴方のことは調べさせていただきました。徹底的にね」
「……話が早いな、じゃあ知っているだろう。僕が過去受けた殺しの仕事に、全て失敗していることくらい」
「ええ、もちろん。しかし、私どもは過去の業績などに興味はありません」
「矛盾している。それならなぜ僕の経歴を調べる必要がある」
「私どもは貴方のでは経歴ではなく、貴方の遍歴を調べました――魂魄の遍歴を、ね」
「言葉遊びは結構だ。僕になにを言わせたいんだ? 僕の通り名を知っているだろう。
 僕に、魂魄はない。ゾンビなんだ。擬魂を使って僕は生きている――いや、生きている『ふり』をしている。だから負死者と呼ばれているし、だからALICEネットで運営されている市の公共サービスも利用できない。ネットに保存している記憶のバックアップもないから、あんたの言う魂の遍歴とやらも調べようがないんだよ」
 護留の言葉に嘘はないが、推測が多分に含まれている。
 この五年間、護留は最底辺の暮らしを送ってきた。生きるために汚れ仕事でも何でもこなすうちに、負死者などというありがたくない通称までつけられる始末だ。これは天宮やその息が掛かった市警軍とも敵対していたからであるが、実際はALICEネットを利用できなかったことの方が大きい。
 ALICEネットとは、100年前に消滅したインターネットに代わって都市中に偏在するシステムだ。生誕時に市当局から自動発効される『刻印〈ミームパターン〉』を施された魂と、ある程度正常な精神さえあれば、犯罪者や非市民〈ノーバディ〉ですら利用できる。ネットには大気中に散布されているナノマシンを介して常時接続され、かつてのインターネットをも凌駕する様々なデータベースへのアクセスやインフラ利用、人格のバックアップ、果ては活動に必要なエネルギーが――接続階級によって制限があるとはいえ――供給されるという、まさにこの街に住むモノにとっての生命線である。
 ALICEネットを利用できないということは魂を持たないことと同義だ。そういうケースは稀に存在する。極度のトラウマなどにより著しく劣化した魂を擬魂に換装した者などがそうだ。彼らは市からは存在しない者として扱われ、市民からはゾンビと呼ばれ蔑まれる。
 擬魂――擬似魂魄は澄崎市でナノマシンと同じく認可された数少ない失効テクノロジーの一つであり、人類の魂の最大公約数、誰でもあり誰でもない人工の情報子〈インフォルミン〉だ。人工であるが故に生の魂には不可能な〝加工〟が可能であり、そのためこの閉じた街の主エネルギー源として扱われている。
 五年前のあの日〝起動〟した『Azrael-02』が一体どういうものなのか、未だ護留は手掛かりすら得られていないが、恐らくは擬魂の一種――それも極めて特殊な――であると推測していた。
「ゾンビ? 貴方はそんなものではありませんよ。そんな低俗なものではない。貴方はもっと高次な存在なのですよ、引瀬護留。自分でも信じていないような憶測を口にするのはよしたほうがいい。そう、貴方は生きていない。現代医学は魂魄が存在しない者を死者と定義する。ALICEネットも使えない。
 それでも貴方は動いている。思考し志向し指向し嗜好し試行しているのです歴然と。――なぜでしょうね?」
 饒舌に語る屑代を睨みつけ、
「――そんなこと、僕が聞きたいくらいだ」
「ごもっともです、『負死者』さん」
 屑代のやたら挑発的で一方的な文言に、護留は口を閉ざした。この男、さっきと態度が変わってきている。どうやら本格的にこちらに仕事を押しつけるつもりのようだ。
「質問に答えてない。僕の、何を調べたというんだ」
「魂魄の遍歴です」
「だから、僕には――」
 抗弁する護留を遮って屑代は続ける。
「私どもと貴方たちでは、魂魄の考え方――見方が違うのです。市税局が取り立てる、人の精神場の中に存在する莫大なエネルギーを孕んだ『陣』でも、ALICEネット接続時に認証を求められる電磁気学的な生体パルスでもありません。それらは一側面ではありますが――」
「僕は学説が聞きたいわけじゃない」
「ざっくばらんに言ってしまえば『人生の足跡』です。ALICEネットを利用している全市民の過去の記憶から、貴方に関する事柄を抽出して、更にそれを精製したもの――あなたのクオリアの統計的似姿ですよ」
 ――ALICEネットから市民の情報を得た? ありえない。そんなことが出来るのは――
「まさか、お前っ、」
 屑代の言葉に呆然とし、次いで相手を食い殺さんばかりの気迫で詰め寄った護留は、しかし屑代の六歩手前で見えない壁にぶつかったかのように立ち止まった。
「良い勘です、引瀬護留」
 ――狙撃手。2時、6時、10時の三方向からだ。距離は200、いや、250メートルか。無論、撃たれても死ぬことはないが、恐らく再生中に時間差をつけて弾を送り込んでくるだろう。麻酔弾等を使われれば、下手をすると、数分間行動不能に陥る。それだけの時間があれば、こちらを拘束することなど容易いことだろう。
「――用意周到だな」
「言ったでしょう。私どもは貴方を適正に評価しています、と」
「言っただろう。その評価は過大だ、と」
 互いにしばしの沈黙。先に口を開いたのは屑代だった。
「私どもは貴方がこの依頼を断らないことを確信しております。負死者、引瀬護留。
 いえ――〈Azrael-02〉」
 呼吸が止まった。それ以外のあらゆる動作も停止した。今までのどんな挑発よりも、その単語は的確に護留の急所を貫いた。
「どうして……『それ』を知っている!」
 屑代は答えない。護留も返答を待たなかった。
「やはり、そうか。貴様は、貴様らは、」
 ごくり、と息を飲んで、その〝名〟を口にする。
「――天宮!!」
「ご名答です」
 その返答を聞いた瞬間、護留は姿勢を極限まで低くし、顎が地面と水平になるように上げ、ほぼ倒れこむような動きで屑代に迫った。屑代は余裕を持った動きで右腕を上げスナイパーに合図を送る。
一歩目を踏み出したところで、右肩に初弾が命中。続く二歩目で左頬と耳が吹き飛び、三歩目で左膝が砕ける。それでも勢いで屑代の足に組みつこうと四歩目を右足で――踏みしめられない、こちらも太股を打ち抜かれた。そのまま屑代の足もとに倒れ込む。
「――っ、貴様らが……なぜ今頃になって僕に接触してくる!? この五年間こちらからいくら手を出しても無視してきた貴様らが!」
 吐息を荒げながらも、再生しつつ立ち上がろうとする護留を見て、右腕を下ろした屑代はこれまでとは打って変わった能面のような無表情で言葉を紡いだ。
「――全回復に5秒弱。やはり、貴方には資格がある」
「……なんの話だ」
「ですから仕事の話ですよ、引瀬護留。金枝〈しかく〉は貴方の手に既にある。後は、姫を殺すだけ」
 弱々しい微笑を浮かべた屑代を凝視しながら、護留は問い返した。
「姫、だと?」
 屑代は頷くと、大仰な身振りで両手を広げ、高らかに宣った。
「左様です。天宮家現当主、理生の一人娘。天宮家次期当主継承権序列第壱位。公社内における公的地位は研究部特殊技術開発室副室長。
 12歳で市立大学を主席で卒業し、15歳現在、三つの博士号を持つ。九八年に発表した論文で市議会より叙勲され、永久市民権と雅名〈がめい〉を賜る」
 すらすらとまるで我がことのように屑代は喋り続けながら、一葉の写真を取り出す。
 そこには一人の少女が写っていた。白銀の髪。真紅の瞳。微かに笑みを浮かべた白皙の顔には染み一つない。天宮総合技術開発公社の制服はお仕着せられたようであまり彼女に似合ってはいなかった。
 名は何度も耳にした。顔は初めて見る。なのに、何故か強い郷愁を覚えた。まるで長い放浪の果て、家族と再会したかのような。馬鹿な、ありえない。何故なら彼女こそが、
「その雅名を天津照宮白銀媛悠久真理命〈あまつしょうぐうしろがねひめゆうきゅうまことのみこと〉。
 ――そう。我らが姫君、天宮悠理殿下を、市政100周年祭でのお披露目に際して、貴方に弑〈しい〉して頂きたい」
 眩暈を覚えた。歓喜を感じた。憎悪が湧いた。
 悲哀が過〈よぎ〉った。憤怒が熾〈おこ〉った。驚愕を抑えた。
 筆舌に尽くせない感情が、渦巻いた。
 胸の裡の情動のままに、護留は屑代に返答した。
「――その依頼、受けよう」
 護留の受諾を得た瞬間、自らの情念に飲まれている護留では気づけない程の刹那、屑代はわずかに――かなしそうな顔をした。だがそれが表情として固着することはなく、すぐに仮面のような張り付いた笑みを浮かべる。
「感謝いたします。我々は助力を惜しみませんよ。足りないモノがあれば気軽に声をお掛けください。これはあなたと我々との信頼の証です」
 そう言って護留に写真と有機ディスクを手渡す。
「……情報は貰うが、お前たちの協力はいらない。僕の方で人材も機材も用意するから、依頼達成後まで二度と姿を現すな」
「それがお望みならば、もちろんそうさせていただきます――それでは、失礼いたします」
 舞台から下りる役者のような大仰な礼をすると、屑代は近くにあった廃ビルの中に入っていった。
 試しに後を追ってみるが、出入り口のない閉鎖されたエントランスホールに屑代の姿はなく、かわりにトランクが一つぽつんと置かれていた。注意深く調べ、開けてみると中身は前金の150万ALCが入っていた。1枚抜き取ってキャッシュリーダーに食わせてみると、使用履歴が白紙の新札だ。どこまでも芝居がかった男であった。信用など欠片でも抱ける訳がない。だがそんな些末事など今はどうでもよかった。
 天宮悠理。
 やはり消えてなどいなかった。その名を忘れたことなど片時もない。『Azrael-02』の起動と共に、過去と名前を失くした護留にとって唯一依って縋るべきものであり、そして奪い取るべきものだった。
「あは、」
 堪え切れず、笑いが出た。酷く陽気で清々しい、底抜けに明るい声だった。
「ははは、あははははは――そうか、」
 笑いに呼応するかのように、雨がその勢いを増した。
「やっと、できるんだ」

(続く)

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