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ソウルフィルド・シャングリラ 第一章(4)

承前

 助力を惜しまないという屑代の言葉は、端から当てにしていなかった。この計画が終わったら――それが成功裡であれ失敗であれ――自分は確実に消されるだろう。こちらの手の内を読ませないためにも、天宮からの支援に頼るべきではない。
 澄崎市は二つの組織によって実効支配されている。
 空宮文明維持財団と天宮総合技術開発公社。この二つの組織の仲は極めて険悪だ。
 空宮は、現状こそが文明の最先端であり、それを上回ることも下回ることも人類自身に対する冒涜だと主張している。100年前に人類を蝕み、澄崎市が孤立する契機になったと云われる『技術的発散〈テクノロジカル・ダイバージェンシー〉』の発生を防ぐことを至上命題とする組織だ。新技術を吟味し、その技術が水準以上か以下かを検証する。基準をクリアできなかった場合、それは〝失効テクノロジー〟と呼ばれ、市議会の審議にかけられた後、少数の例外を除き大抵は廃棄、若しくは半永久的に封印されてしまう。
 一方の天宮は社名の通り、種々の技術開発を行う。それが一方的に〝なかったこと〟にされてしまうのだからたまったものではないだろう。
 だから身内の暗殺を依頼するのなら空宮を偽装する方が理に適っているが――癪に障るが護留を動かすのなら天宮の名を出す方が有効だと分かっていたのだろう。そしてそれは正しい。あれだけ巨大な組織で、かつ複数の当主継承権保持者がいるのだ。嫡子で、継承権序列壱位の天宮悠理のことを疎ましく思う連中は星の数ほどいる。屑代が自ら天宮を名乗ったのはブラフでなく恐らく真実だ。
 間違いなくこれが最初で最後のチャンスだった。
 来月の市政100周年祭で、次期当主のお披露目がある。街は今その噂で持ちきりだ。今まで公の場に一切姿を見せなかったゆえに、その実在すら疑われていた天宮悠理だが、それを利用して他の当主候補たちが台頭してきていた。ここで内外にその存在をアピールし、地歩を固めておきたいのだろう。しかしそれは敵対している候補にとっては、悠理のガードが解ける絶好の機会でもあるわけだ。今回の依頼がなくとも自分でこの時宜を狙うつもりだったが、まさに渡りに船――いや文字通りの『天佑』か。
 ぱしゃり――水たまりを叩く音に護留は振り返る。
 そこには、護留を襲った臓器強盗団たち――だったものがいた。
 四方八方に飛び出した膚色の触手が、ゆらゆらと揺れている。肉の襞の隙間から充血し、涙を流しているいくつもの眼がこちらを瞬きせずに見つめていた。
 護留がこれまで殺人に失敗し続けてきた理由が、これだ。
 紛い物の生を過ごす自分には、紛い物の死しか与えられない。
 護留が致死傷を負わせた対象は、護留と同じように再生を開始する。だが護留のように人型には戻らず、この哀れな男たちのような肉塊へと成り果てる。たいていの場合、肉塊は特邏が持ち去ってしまうが――まれに発見されない時もある。その場合は悲惨だ。餓死を待つか、鴉や犬に喰われるか。もっとも、特邏に持ち去られた連中がどうなるのかは護留も知らないので、どちらが幸せかはわからない。こいつたちは天宮の監視下でこうなった。恐らく自分が去った後に処理場だか研究所だかへと連行されるだろう。同情は全くできないが、不愉快だった。
 ――だから噂は間違っている。僕は不正な生と負債な死をまき散らすだけの存在だ。
 だけど。魂魄制御技術に関する全てのノウハウを持ち、そして母を奪った天宮。奴らなら、自分の負死の呪いを解くこともできよう。
 一人娘を抑えれば、有利な条件でことを運べる。天宮の暗殺計画を逆利用した誘拐。お膳立てはできている。これが天宮の内輪争いとすれば、反天宮の企業や空宮の消極的・間接的協力が望めるはずだ。
 ついに、やれるのだ。
 俯けていた顔を上げる。見据えるは澄崎市の象徴たる超高層建築物。この五年間常に見上げ続け、呪詛をぶつけ続けた塔。天宮総合技術開発公社、本社ビル。
 そこに向け、負の決意を胸に、護留は吼える。
「返してもらうからな……母さんと、僕の生〈し〉を――!」
 手の中の悠理の写真に、涙が一粒落ちた。理由は、自分でも分からなかった。

      †

西暦2199年6月15日午前11時55分澄崎市極北ブロック第2商業区、5番街H1號通り

 ねぐらから抜け出した護留は、足早に移動していた。流石に連日で襲われるとは考えたくないが、残念ながら再整備区画にはその手の馬鹿はいくらでもいる。特に大量の現金を持ち歩いている今は厄介だ。意識して速度を調節しながら極北ブロックへと向かう。
 再整備区画を抜けると、途端に街の様子は一変する。
 商業区。現在の澄崎市では数少ない〝金を出せば物が買える〟場所だ。故に人通りも多い。ここ最近は100周年祭の準備もあり、なおさらだ。人工声帯が叫ぶ宣伝音声、食事を基本的に必要としない澄崎では珍しいレストランから漂う匂い、空中のナノマシンが凝集してスクリーンとなり宙空に様々な映像を投影している。猥雑だが建築物はきちんと等間隔で立ち並び、保守点検もされている。
 しつこい露天の呼び込みを全て無視して幾つかの通りを抜けると、今度は死体置き場〈モルグ〉のような静けさに満ちた場所に出た。店や屋台を持つものたちの利権が複雑に絡みあったここは、犯罪組織〈シンジケート〉同士、あるいは市警軍との幾度とない抗争の果てに、緩衝区として定められたのだ。まともな頭の持ち主ならまず立ち入らない。いかれた奴が踏み込んでも定期巡回している特邏に射殺されるか、犯罪組織が歩哨代わりに放っている戦闘用に遺伝子デザインされた知性犬に噛み殺されるかの二択を迫られる。
 故にその両方からお目こぼしをもらっているものや、その両方を全く意に介さないものであれば、ここは死体置き場程度には快適な場所なのだった。
 護留は遠目にこちらを窺うだけの大型知性犬を無視し、元スーパーマーケットの建物に踏み入っていく。ここの二階が、紹介屋己條の住居兼事務所だ。
「依頼が三つ入っている」
 埃と合成コーヒーの匂いがする事務所に入った途端、こちらを見向きもせずに己條は言った。
「お前さん向きの物は一つもないがな。話だけでも聞くか、引瀬」
 事務所内は薄暗く、大量の書類や書籍がところ構わずうず高く積み上げられている。本の密度が比較的薄い場所で、厳しい顔つきをした小太りの男が器用に古椅子を傾がせながら何かを読み耽っていた。
「いや結構だ」
 護留が断りを入れると己條はようやく紙束を眺めるのを止めてこちらを向いた。紙束は新聞紙だ。ALICEネットが市民に送り届ける各種ニュースをそこに再構成するためのスクリーンであり、大抵の人間はデータグラスや量子コンピュータを使う。だが己條は妙に古拙趣味なところがあり、わざわざ100年以上前の新聞紙の紙質まで再現した電子ペーパーを愛用していた。
「じゃあ仕事の持ち込みか。前にも言ったと思うが報酬は全額即金前払いだ。もちろん手数料分上乗せでな。手の空いている奴がいればすぐにでもそいつに紹介するが、内容にもよるぞ」
「100周年祭の市警軍の警備データが欲しい。出来れば天宮系列の警備会社のものもだ」
 屑代が置いていった有機ディスクを持ち帰って検分した結果、それは今護留が今依頼した内容そのものが入っていた。だがそのまま鵜呑みにするには危険すぎる。別ルートから入手した物と付きあわせ比較するためにここに来た。
「市警軍に、それに天宮か。ちと厄介だな、最近そっちの仕事は全部お前さんが受けちまってたから、やり手不足なんだ。ま、そもそもやりたがる奴が少ないからバランス悪く引瀬にばかり回してた訳だが」
 市警軍、犯罪組織、市民を問わず持ち込まれた裏や表の仕事を他の者に紹介し、報酬から手数料を取る。紹介屋とは簡単に言ってしまえばそれだけの仕事だが、どの組織からも目を付けられずに商売が出来ているのは、仕事の割り振り方のバランスや、持ち込まれる仕事から各勢力の情報に精通し、更にそれを外部に漏らさない己條の口の固さが一目置かれているからだ。
 天宮ともある程度関わりを持ち、なおかつ取り込まれてはいない人物。有能で秘密も漏らさない。護留の人脈の中ではこの男以外いなかった。
「ならちょうどいい。これは己條、あんたに依頼したい」
 己條は応えずただ眉目を僅かに開いた。
「言っておくが俺は高いぞ」
「金ならある。そして依頼主として警告しておくと、今回の件はかなり危険だ」
「危険じゃねえ依頼なんて誰も紹介屋に持ち込まねえよ」
 肩で笑って己條は傍らのすっかり冷めた合成コーヒーを飲み干した。
「下手を打てばあんたも大逆罪に問われるかも知れない」
 護留は敢えて踏み込んで発言した。今まで護留が己條のところで受けた仕事はそのほとんどが反天宮活動に関わるものだ。依頼の内容や今の発言とも結びつければ、護留が何をやろうとしているか察しはつくだろう。
「――今のは聞こえなかったことにしておく。最近耳が歳のせいか遠いんだ。依頼人の警告を聞き逃したなんてプロ失格だし、今日一日の分の人格バックアップも破棄だな」
 ALICEネットに保存される人格のバックアップは、市民の権利であると同時に、義務でもある。例え自分の物であってもそれを損ねたり改変したり、または申請無しのアップロードの故意の停止は重罪だ。
 市の法律ではバックアップされた人格も、元の人格と同等の権利を有した『人』であり、故にそれらを管理する市当局や天宮であっても勝手に利用されることは許されない、とされる。だが昨日屑代が言っていた通り、そんなものは表向きの話だ。そもそもALICEネットに繋がっていない護留は問題ないが、己條がここでの会話ごとバックアップを上げたら事の露見はすぐだろう。
「……感謝する。それと今の依頼とは別に、いつものところから装備品を仕入れてくれないか」
 護留が渡したメモを見て、流石に己條がうめいた。
「戦争でも始めるつもりか? これだけの量の武器、馴染みのルートだけじゃ手が回らんぜ」
「いくら使っても構わない。これは必要経費と、依頼料だ」
 手にしていたカバンを開ける。中には屑代から前金として受け取ったうちの100万ALCが入っていた。己條はその中から数枚抜き取るとキャッシュリーダーをかざす。
「新札か、活きもいいな。いいだろう。期限は?」
「祭りの3日前までには装備一式と情報を届けて欲しい。場所は西南ブロックの廃棄区画、極南ブロックからの入り口付近で一番背の高いビルの屋上だ」
「了解だ。久しぶりの直接指名だからな、きっちりやって終わったらこの金で保養区の温泉にでも行くさ」
 そう言って早速データグラスを掛け量子コンピュータに向かう己條を後に、事務所を辞した。
 元よりそのつもりなどないが、これで引き返すことはできない。現場の下見、逃走経路の確保。まだやることは、やっておくべきことは山ほどある。
 商業区の喧騒を足早に抜ける途中、ビラを押し付けられた。トップに不鮮明な画像。恐らくはかなり遠目から捉えた天宮悠理の写真だ。その下に七色に変色するフォントで『当主継承記念出血大サービスセール実施中!』と書いてあった。店は違法デミバイオジャンク屋らしく、生々しい義手や人工内臓の画像に一々『当主継承記念特価!』と注釈が添えられており苦笑を誘う。
 誰もが、彼女を見たがっている。
 誰もが、彼女のことで浮かれている。
 だけど、
「君は、何をしたがっている。君は、何を思っている――」
 雑踏に掻き消されたその護留の疑問の答えは、祭りの日に明らかになる。

(第二章に続く)

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