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ソウルフィルド・シャングリラ 第四章(6)

承前

・――護留さん――場面を変えましょう――・
 流石に顔を蒼白にして悠理が言った。
・――分かった。……だが幻はまだ見るんだな?――・
・――はい。まだプロジェクト・アズライールも、護留さんの過去についてもなにも分かってないですから――・
 護留は頷くとさっきと同じように強く願う。
 真相を。自分達の過去を。
(阿頼耶識層への別個データへのアクセス要求を確認……承認)

 護留と悠理は身動きが取れない自分たちに気付いた。視点すら固定されている。そして思考を覗き見るような感覚。
 それらの持ち主は引瀬由美子。即ち、以前まで護留が見ていた幻に戻っていた。

・――どうやら辛うじてお互い意思疎通はできるようだな――・
・――ええ……でもなぜ動き回れないんでしょうか――・
・――さっきの君の精神ショックが原因かも知れないし――あるいはより深く『プロジェクト・アズライール』を知るためには引瀬由美子の内面も重要なのかもしれない。今は集中して見守ろうか――・
・――はい――・

「もう、一年か」
 私は独り言を漏らす。こうやって誰もいない部屋で監視カメラに囲まれて研究していると自然と独り言は増える。
『プロジェクト・ライラ』の失敗――勿論花束がすぐに失敗の一報を入れなかったのが最後のトリガーだったのだが――その根本的原因はとある理由により、全くの不明だ。他のみんなにも解明することは不可能だろう。
 もっとも、この一年で私を含むプロジェクトのメンバーの状況は激変したので確かめることは永久にできないのだが。
 まず理生は全てが変わってしまった。全く別種の生物になったようだった。たまに研究の進捗を伝える時にしか会うことはないが、プロジェクト・アズライールに狂信的なまでに全てを捧げるその姿は痛々しいを通り越して恐怖しか覚えない。
 悠灯先輩が死んで半年もしないうちに花束と再婚した時に、私は全てを諦めた。
 そして、哉絵。彼女は――天宮から逃げ出した。幼い一人息子、雄哉を連れて。その理由は良く分かる。自分たちが雄輝の人質として扱われないようにするためだ。私に対する眞由美のように。
 その雄輝は万が一にも妻子に対する追手が掛からないように、理生の走狗と化した。元の名を捨て、屑代と名乗り内外の理生の敵の排除を淡々とこなしている。
 最後に眞言さん。
 私の夫は、自殺した。
 実験失敗の後、すぐに私は隔離させられ、家族ともバラバラになった。だから死に目には直接合っていない。遺体との面会すら叶わなかった。だが眞言さんが失敗の責任を取り自殺をするような人ではないことを私は知っている。彼はこれまでどんな失敗を犯しても、それを覆す成果で報いてきた。
 自殺の報は雄輝――屑代が伝えてきた。余計なことは何一つ喋らなかったが、去った後にデータグラスをわざと置いていった。そこに入っていったデータを研究の合間に監視の目を盗んで解析した結果――眞言さんは、理生に殺されたことが判明した。プロジェクト・アズライール中止の活動を行ったために。私を救い出すために、死んだ。実感が全く湧かない。軟禁されているからもあるだろうが――多分精神の防衛機構が深く考えることを拒否しているのだろう。

・――そんな……眞由美のお父さんまで、父が……――・
・――大丈夫か? さっきのこともある。辛いなら止めても……――・
・――いいえ、続けましょう――・
・――分かった。だが何かあればすぐに言えよ――・

 それに今の私にはやるべきことがある。おぞましいが、歩みを止めることはできない。
 ――『プロジェクト・アズライール』。
 理生が全てを巻き込み、その全てを捧げてでも成し遂げようとし、私がシステムの中枢を開発しているその計画とは、プロジェクト・ライラ――全市民不死化計画の失敗の産物である『天使』天宮悠理を用い、全市民の魂魄を抽出しALICEネットごと格納。そのことによって澄崎市を覆う大規模事象結界を無効化し外界へと脱出する、というものだ。
 全市民の死を以って果たされるエクソダス。成功したとしても、それを確認するものがいない、極限の手段のための窮極の目的。

・――これが、プロジェクト・アズライール……――・
・――無茶苦茶な計画だな。800万人を殺して悠理だけ外に出る? なんの意味があるんだ、そなんこと――・
・――願ってこの場面に来たということは、きっと全ての答えはここにあります。私は――天宮悠理は、見届ける義務がある――・
 二人は再び引瀬由美子の記憶に集中する。

 プロジェクト・ライラの要だったハイロウ現象。即ち魂子‐反魂子対生成機構。対生成の際、常に魂子だけが多く生成されることにより世界は命で溢れている。
 生と死の対称性の破れ。それを証明したのが眞言さんだった。
 だがライラの失敗により条件によっては反魂子が――死だけが大量に生成されうることが判明した。ALICEネットと人の精神場の中だけで制御可能な死のハイロウ。それを物理次元でコントロールするための存在、それが『天使』だ。
 それはつまり、人の死と生を自在に操る者。神話に語られる告死天使。神を助けるもの〈アズライール〉。
 なぜ悠理ちゃんがそんな存在になったのか――推測に過ぎないが、恐らく悠灯先輩が一つの身体に二つの命が宿る妊婦だったことが鍵だったのだろう。
〝死〟の過程を母親である悠灯先輩が一身に受け、悠理ちゃんは〝死〟の結果だけを享受することができる存在となった。
 死――それは魂と肉体の結合解除。ALICEネットに接続された市民はもちろんのこと、アズライールの力を持ってすれば非接続の市民の魂魄、擬魂すら全て回収できるだろう。
 全市民の抹殺。そんなことをしてまで果たして都市の外に出る意義はあるのだろうか?
 ある、と理生は言った。
「私は見たのです。生と死の連鎖対消滅反応の果てに悠灯さんが阿頼耶識層の更に上層へとシフトする際に。ALICEネットの自己防衛反応により阿頼耶識層が開き、その深奥に隠し持っていた、この街の建造された理由を」
 その時理生が熱っぽく語った〝理由〟とやらを、私なりに理解すれば次のような物になる。
 技術的発散とそこから連なる戦争の結果、天宮により魂魄制御技術は生まれ、それを以って空宮と天宮は澄崎市を創りあげた――初等科の授業で習う、この街の縁起だ。
 この歴史は、完全な嘘だった。
 逆だったのだ。魂魄制御技術の発見とALICEネットの発明に伴い、技術的発散は発生した。
 当時の政府であった空宮とその直属の研究機関だった天宮は、戦争のために魂魄制御技術を開発し、そして人類はその繁栄を絶たれた。
 魂魄制御技術とは発散を起こさない唯一の技術などではなかった。真逆、技術発散を起こすための技術だったのだ。ALICEネット――人々の精神を利用した共時性通信網。生命維持エネルギー供給までも可能とする夢の発明。
 それは人類の集合無意識にエントロピーを捨て、魂魄からエネルギーを汲み上げることにより稼働する。
 その弊害として技術的発散が発生する。集合無意識の汚染と魂魄の虚弱化。それが発散の原因だ。
 つまりALICEネットを捨て去れば、発散は防げる。だが魂魄制御技術と問題の発散そのもののお陰で戦争に勝利した政府はそれを良しとしなかった。
 代替として生み出されたのが擬似魂魄、そして洋上閉鎖都市への疎開だった。
 擬魂をエネルギー源として用いることによりある程度の魂の弱体化の補填は可能だったが、完全ではなかった。そのためALICEネットの利用には魂の質により制限がかけられた。魂の質――それは〝燃料〟としてのランク付けであり、良質な者ほどネットからのエネルギー供給をより受けられるが、それは自分の魂をすり減らすことに他ならない。
 洋上閉鎖都市建設とそこへの移住。それは発散の影響を抑えるためなどではない。これも逆だ。発散を起こす魂魄制御技術を思う存分使うために、ALICEネットと市民の魂を用いて澄崎市を除いた全世界に事象結界を張り巡らし、発散をそちらに押し付ける。
 事象結界とは時間以外の全ての物理的事象を封じる技術だ。つまり澄崎市の外の世界では今でも人間は存在し、そして彼らの築いた歴史の結晶とも言える技術は我々のせいで消滅し続けている。彼らの気づかないうちに。
 理生の語ったこれらの内容が真実であるとする確証は私にはないが――傍証なら存在する。
 プロジェクト・ライラに関するあらゆるデータが、消えていたからだ。深く関わった私ですら、何をやっていたのかは思い出せるのだがどうやったのかは――全く思い出せない。
 失敗時に起こったALICEネットに対する高負荷のせいで、技術的発散が発生したのだ。
 欺瞞の歴史。傲慢な技術。不正と負債に満ちた街。それらを無邪気に信じ、都市を救うなどとはしゃいでいた私たち。
 今の理生にとっては天宮も空宮も、都市も等しく無価値だろう。だがそれでも理生は都市を救うと言っていた。
 それはずっと、悠灯先輩が言っていた言葉でもある。人々の魂と今までの記憶だけの脱出行。それは確かに世界にとっての救いで、我々にとっての100年の罪に対する禊でもあるだろう。
 私――私は、何をやっているのだろう。稀代の虐殺者になろうとしている理生。その手助けか。眞由美を人質にされているとはいえ何も知らない市民のことを思えばこのような研究に手を染めるべきではない。
 市民だけでなく――悠理もだ。
 視線を有機量子コンピュータのモニターから逸らす。そこには第壱実験室と良く似たチャンバーがあり、その中には異様な光景が広がっていた。
 子供部屋だ。
 カラフルな動物の絵が壁には描かれ、おもちゃが散乱している。あちこちに貼られたホログラムのシールから浮かび上がった御使いたちが、揃って喇叭を吹いていた。無機質な実験室には全く似つかわしくない。部屋の中心にはベビーベッド。そこにはもちろん赤ん坊が眠っている。
 天宮悠理。
 そう呼んでいいのか――私には分からない。何故なら彼女の身体は、『Azrael』というコードネームがつけられたその魂が無から作り出し、意識も眞言さんの研究に基づいて私が制作した仮想人格〈ペルソナ〉が埋め込まれているからだ。もう、何一つ悠灯先輩と理生の子供である部分は残っていない。
 ライラ失敗直後に発生した彼女は、ただ存在するだけでALICEネットを崩壊させ都市を発散させるほどの高密度な反魂子をその身に宿していた。そのため、私は彼女の魂を分割し、そのうちの一つを『Azrael-01』として彼女に改めて挿入し、制御し易い性格付けのなされた仮想人格を埋め込んだ。
『天使』に対して、悪魔のような所業だ。眞由美を人質に取られているとはいえ、友人の娘にしてよい仕打ちではなかろう。だがこれは私のささやかな抵抗でもあった。
 仮想人格を組み込んだのは理生の指示だ。分割され脆弱になった魂を保護するのが目的だった。
 私はそこに罠を仕掛けた。仮想人格が存在する限り、悠理の中の『Azrael』が起動しないようにしたのだ。二重人格による精神障害を起こさないように魂と仮想人格のバイパスは切っておくのが普通だが、私は細いパイプを残しておいた。
『Azrael』――本物の悠理が、寂しくないように。仮想人格を通じて外の世界を見られるように。
 互いに認識することはないだろう。悠理は仮想人格が送る情報を夢のように愉しむ。それだけでよい。仮に相互認識出来たとしたら――無理やり仮想人格を消し去ることで、悠理を覚醒させてしまうことが可能だ。
 理生は10年ほどの経過観察期間を置いて、肉体がある程度成長さえすれば分割した魂を彼女に戻し、プロジェクト・アズライールを遂行するつもりだ。そうなれば私にはもう計画自体を止める術はない。
 ならばせめて――死の天使としての運命を背負わされた悠理に、少しでも長く人としての生を、そして幸せを。それだけが私の今の願いだ。
 視線をモニターに戻す。そこに表示されているのは『Azrael-02』の情報。こちらは現在は解析中であり、終わり次第、都市の外の世界で『Azrael』が遭遇するかもしれない脅威に対抗する自衛用の様々な機能――超再生〈モルフォスタシス〉能力や戦闘用機動能力が入力される予定だった。
 私は――――…………

・――これが、私……わたし? わたしは……なんの……いったい――・
・――なんだ? 幻が――途切れる? 悠理、大丈夫か――・
 由美子の思考が感じ取れなくなる。
・――悠理?――・
 返事がない。そして、
(阿頼耶識層からの強制切断処理を確認……実行)
 
 現実が唐突に戻ってくる。
 悠理の様子がおかしい。激しく浅い呼吸。大量の発汗にも関わらず、ぞっとするほど体温を感じられない。唐突に膝の力が抜け、全体重を護留に預けてきた。
「悠理!」
 抱きしめていた彼女から伝わる鼓動は、とても弱くなっていき――ついには停止した。

(第五章へ続く)

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