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ソウルフィルド・シャングリラ 第一章(2)

承前

「止まりな」
 120番街大通りへと抜ける、どこにでもある灰色の路地裏で、そいつは声をかけてきた。
 路地の出口。そこに禿頭の巨漢が立ちはだかっている。護留は素直に従い立ち止まった。と、ビルの隙間や廃材の陰から、まるで虫のように男と似た雰囲気の連中が涌き出てくる。否――虫ではなく、狗〈いぬ〉だ。全員が護留の目の前に立つ男に対して、暴力による忠誠を誓っているのだろう。全部で5人。普段の護留はこのような輩に囲まれないよう気を配っているのだが――今日はよほど疲れていたらしい。
「見てたぜえ、引瀬。ハイエナ稼業のカス野郎が。今日も死体漁りに精出してたようだなあ、おい?」
 禿頭は恐らく自身が凄みを与えられると信じている声音と表情で、挑発的な文言を投げつけてくる。護留が黙っていると周囲の狗たちも、っらあ、っかしてんじゃねえぞ、等と不必要なまでに大声で吠え立てる。
 ――こちらの名前を知っているようだ。護留の名前は不本意な形で巷間に流布しているので、それ自体は警戒すべきことではない。問題は、この手合いは主に売名行為を目的としてこちらに絡んでくるので、極めてしつこいということだった。
「……見ていたなら分かるだろうけど、今日は何の成果もなかったんだ。あんたたちに渡せる物は何もない」
 護留は俯いて、ぼそぼそと掠れた声で答える。五年前のあの日から、護留の声は変声期の子供とも老爺とも付かない物になっていた。禿頭が嘲りの表情を浮かべる。
「はああ? どこかでジジイが繰言述べてやがるせいでよく聞こえねえなあ。もう一度言ってみろよ、オラ」
 男たちが追従の下卑た笑いを上げた。
 正直、今日は疲れている。もう、何もかも終わりにしてしまいたい。だから護留は息を吸い、禿頭を真正面から睨みつけてこう言った。
「煩いな、黙れよ。禿猿はさっさと猿山に帰って雌と交尾し〈サカっ〉てから寝てろ。――いや、ごめん。野良狗だったね」
 雨以外の全ての音が消えた。手下どもは呆気に取られた顔をして護留を見つめ、そして禿頭はにやけ面のままだった。だがそれは度量が広いというわけではなく、単に護留の言葉がまだ脳に届いていないか、届いても意味を解するまでに時間がかかっているだけだろう。
 その証拠に、にやけ面のこめかみ辺りがびくびくと引き攣り、
「――っがああああああっ!! 引瀬えええっ! 『負死者〈ふししゃ〉』風情が人間様になめた口叩いてんじゃねえぇっ!!」
 咆哮を上げ、禿頭が巨体を振るわせ驀進〈ばくしん〉してきた。速い。恐らく違法な身体改造か後天的遺伝子操作を施しているのだろう。まともにぶつかったら無事では済まない。禿頭は無手だが、その拳は護留の頭の半分ほどもあり、こちらも人間を殴り殺すには何ら不都合ない代物だった。
 叫びに触発され、一拍遅れてから、禿頭の手下たちも護留へと殺到した。こちらは手にナイフやスタンロッド等の武器を構えている。
 護留は、禿頭を睨みつけたまま、ただ立っていた。一歩たりとも動かなかった。男たちはそんな護留を見て、ひょっとしてこいつにはなにか策があるのではないかと怯むが、動きは止まらない。そして、護留は最後まで動かなかった。
 だが、拳が、刃が、棒が、護留の体を肉塊に変える瞬間――まさに生死を分ける刹那、護留はようやく己を動かした。
 その、口元だけを。
 感情の宿らない眼はそのままに、唇を無理矢理上へと曲げて、言葉を紡いだ。
「さようなら」
 語尾が宙に拡散せぬうちに、あらゆる方向から様々な種類の暴力が護留を襲った。

「ぁあ?」
 男たちは、うつ伏せに倒れた護留を見下ろし、困惑した。死んでいる。後頭部が陥没し、脳漿〈のうしょう〉と泡混じりの血が洩れ出ていた。手足もあらぬ方向に捻じ曲がっている。
「な、なんなんだよ、こいつ。殺られる間際に笑ったりして――」
 彼らは殺人行為に対して特に罪悪感は抱いたことはなかったが、護留の余りの無抵抗さと余裕は薄気味悪かった。
「……うるせえ。うろたえるな。とにかく殺ったんだ。剥ぎ取れるもん取って飲みにでも行こうや。けっ、胸糞悪ィ。何が『負死者』だ。とんだ名前負けだぜ。今度の祭りでの自慢話にすらなりゃしねえ」
 禿頭は護留の死体に忌々しそうに唾を吐き棄てた。リーダーに促され、ようやく取り巻きは我に返り、単分子糸鋸〈モノフィラメントカッター〉や種々のアンプル、真空パック等を取り出す。死にたてのブツだ。バラして、闇市〈マーケット〉で売ればそれなりの稼ぎになるはずだった。路地の前後に見張りを立て、熟練者の手際で男たちは護留の死体を解体しようと群がった。仰向けにするため護留の肩に手をかけ、
 からから、と音がした。
 全員が吸い込まれるように音源に視線を向ける。放りっぱなしにしていたナイフが、動いていた。誰も手を触れず、風も吹いていないのにも関わらず。
「――――」
 声をなくす男たちを尻目に、ナイフばかりでなく、先刻まで各々が手にしていた武器が、ころころ、からからと護留目掛けて転がり出した。いや、正確には武器ではなくそれらにべったりと付着した護留の血液たちが、集合しだしたのだ。
 男たちは動けない。悲鳴を上げなかったのは忘れていただけで、胸の内では絶叫している。
 なんだこれは、と。
『なんでだ』
「ひ、ひいいいいいぃぃぃあああああああああぁぁぁ!」
 唐突に発せられたその声に、今度こそ男達は声を振り絞って叫んだ。恥も外聞もなかった。恐怖だけがあった。
『なんで、また、しねない?』
 ノイズが混じったような歪んだ声で、心の底から疑問に感じている口調でそれは問う。
『なんで、これだけ、やられて、死ねないんだ?』
「――ぅおおぉぉらあっ!!」
 禿頭が己を強いて叫び、転がっているスタンロッドを掴み上げ、電圧を最大まであげると、声の主――うつ伏せに倒れたままの護留に打って掛かった。破壊的スピードで振り下ろされたロッドは、形の変わってしまっている護留の後頭部に直撃、
「な、ぐっ? くそ、」
 しなかった。ロッド以上のスピードで飛び出した肉と骨の欠片たちが、兇器をがっちりと受け止めたのだ。捻くれたアークが護留の肉を焼くがピクリとも動かせない。
『死にそうなくらい痛いのに死にそうなくらい気持ち悪いのに。また、これだ』
 護留がゆっくりと立ち上がる。
 それを見て、一人が堪え切れずに嘔吐した。今までかなり損傷の激しい死体を見慣れてきたはずの男が、嫌悪感に耐え切れずに自ら指を喉に突きこみ、胃の内容物全てを掻き出した。
 護留の顔が、顔だけでなく全身が、壊れていた。そうとしか言いようがない。そして、壊れたまま動いていた。歪んだ目蓋で瞬きし、捻じれた足で地を踏みしめる。剥き出しになった肺が収縮し、あるべき位置から数十センチもずり下がった右手が機械的に空を掻く。後頭部は禿頭からもぎ取ったスタンロッドを咥え込んだままだった。
 男たちは、ただ呆然とへたり込むしか術はない。その締まりのない視線を浴びて、それぞれが全く独立して動いていた護留の体の器官が、突然止まった。そして――
 爆縮。
 湿った不愉快な轟音を伴い、咥えたままのロッドまでもが肉と共に体の内側に幾重にも折り畳まれる。蛇のような肉帯や神経束が激しい出入りを繰り返し、近くに転がっていた武器や路地の廃材すら取り込まれていく。とても現実の光景とは思えない。地獄が溢れたかのような絵図。護留の身体からの廃熱で雨滴が蒸発し、凄まじい臭気を伴った蒸気が立ち込め視界を閉ざした。この蒸気に紛れて逃げる――そんな単純な思考すら男たちは奪い去られていた。
 風が吹き、蒸気が吹き払われると、そこには白いマネキンが立っていた。
(超再生〈モルフォスタシス〉プロトコル、全ローテーション……終了。『Azrael-02』、再起動……成功)
「また、死ねなかった」
 声と共にどろりとした白銀のデミバイオフィルムが剥がれ、護留が無傷で姿を現した。
 わずか、10秒弱の出来事。
「――これが、『負死者』だってのかよ……」
 禿頭が、感情をどこかに置き去りにした声で言った。
 負死者。
 それは都市伝説の中に存在する。裏路地で三日も寝起きすれば誰かから必ず耳打ちされる類の、頭の悪い作り話として皆が知る。その噂に曰く――
 それは不死ではない。
 不死はありえない。天宮が100年かけて実現できなかったものが、何故存在できるのか?
 それは不死者ではない。
 それは死に負けた者――だから死の言いなりになって、動いている。
 それは死を負かす者――だから死を言いなりにさせて、動いている。
 それは死を背負う者――だから死のために、動いている。
 それが負死者。
 姓は引瀬、名は護留。奴は死なない、死ねない、死のうとしない。
 噂は話をこう締め括る。
『――奴を殺すな、殺される』
 誰かが、啜り泣きを始めた。嗚咽混じりの呟きが雨音に溶かされ路地裏に浸透する。
 いつしか誰もが泣いていた。そして懇願していた。
 死にたくない、と。
(危険因子の排除を優先。戦闘機動開始)
「ごめんよ」
 怒ったような、泣き出す寸前のような表情で。護留は一切の無駄なく機械的にも見える所作で一番近くにいた禿頭の首を、掌から直接生えた白銀のナイフで切り飛ばした。
 全ての泣き声が止むまでに、10秒もかからなかった。


      †

「お見事でした」
 声は拍手と共に背後からきた。
「――――」
 男たちの装備品を漁っていた護留は素早く振り返る。
 中年の男だった。背はやや低く、濃紺色のALICEネット翻訳用のデータグラスをかけている。着ているスーツは暗灰色〈ダークグレー〉で、一目で高級品だと知れた。男の周囲だけ雨が降っておらず、地面も円形に乾いている。反降雨力場。身に着けているもの全てが最先端かつ最高品質なものばかりだった。
 血塗れのナイフを手にしたまま、警戒心も顕に護留は訊ねた。
「この連中をけしかけたのは、あんたか」
「ご名答です」
 何の躊躇もなく頷く男を見て、護留は眉をひそめた。悪意の全く感じられない、屈託ない返事だった。
「あんた、何者だ。なぜこんな真似をした」
「失礼、自己紹介が遅れました。私、屑代〈くずしろ〉と申します。以降お見知りおきを」
 護留の問いに対して男は軽やかに身を折って挨拶をし、
「そこの憐れな方々については、まあ貴方の力の検分役ついでに社会のゴミ掃除と言ったところでしょうか。彼らはこの再整備区域で広範に亘って活動していた臓器強盗団でしてね」
 のうのうとそんなことを言った。男――屑代は芝居がかった所作を崩さない。にこやかに笑いながら、手まで差し出してきた。護留はそれを無視して話しかける。
「あんた……前に、会ったことがあるか?」
「――いえ? 初対面のはずですが」
 護留は眼を眇〈すが〉めて屑代を観察する――つい最近見かけた気がするが、思い出せない。護留は頭を振って、記憶の同定作業を中断した。
「――力の検分、と言ったな。なんのためにそんなことをした」
「これから依頼する仕事を、貴方が遂行できるかどうかを見極めるためです」
「仕事の依頼は、紹介屋の己條〈きじょう〉を通したものしか受けていない」
 護留の即答に、屑代は笑い目を更に細めて、
「ええ、ええ。存じ上げておりますよ。その上で、不義理で不公平で不正規で不平等で不条理であると重々承知した上で、依頼しようとしているわけです」
「紹介屋を通さずに仕事を持ち込んでくる連中は全員ろくな奴らじゃなかったが、いきなり薄ら馬鹿どもをけしかけてくるような常識人はあんたが初めてだよ」
 取りつく島もない護留の態度にも関わらず、屑代は全く相好を崩さずに続ける。
「話くらい聞いてもよろしいのではないですか? お時間は取らせません」
「断る。これ以上不毛な会話を続けても無意味だ。内容も条件も提示しないなんて、依頼とすら呼べない」
「内容、内容ですか。斯様〈かよう〉な時、斯様な場所に、斯様な二人が揃っているのですよ。依頼の内容など、決まっているでしょう?」
 屑代はわずかな間を持たせて、その〝内容〟を口にした。

「――暗殺の、依頼ですよ」

(続く)

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