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「川手主水景倫談」

 一昨年ほど前です。滋賀県彦根市郊外にある川手主水景倫という、大坂の夏の陣にて戦死した武将の墓地に、今まで見たことも聞いたこともないことが書かれた看板が建てられました。内容は看板を立てた当人による、「自分の先祖が主水から戦死の前に墓守を遺言されたので、ここを代々管理している」というもの。
 あれ、主水の墓は昭和四十年ごろ館長が藪の中から再発見し、地元の史談会有志で整地するまでは草茫々の樹下にあったはずなのに——?寝耳に水どころではない、驚きの内容でした。
 長年にわたり館長は川手家について、そして主水について「湖国と文化」、「彦根史譚」、「井伊軍志」、「剣と鎧と歴史と——」、「ほんものの井伊直虎」など刊行されているものだけでも数冊に渡り紹介して来、かれの短い生涯についてはいずれきちんとした形で発表するべく未発表の史料も含めて記録・整理してきました。どれほど主水景倫という人物が、深い無念と失意、そして怒りのうちに戦死を選んだか——その烈しい心中は真実時を経た史料よりうち響いてくるものがあります。彼の存在と、そして死を軽々に扱い私物化する人物についてはやはり見過ごせないものがあるのです。
ですが、都合の良いところばかり拾ってしまうことができるのも歴史です。数々存在する素敵な歴史話の裏で、踏み固められた真実のいびつな姿があるかもしれません。一つの例としてお読みいただけると幸いです。


そこまでするか?
歴史を歪曲した家柄宣揚のお伽話
K氏は自家先祖の妻に、存在しない主水の娘を迎えていた——。


 私が川手主水(系図上は四代目主水、実名景倫——良行と称するは誤り、詳細は『川手主水覚書』に述べる)に一種とりつかれたように熱心になるのは、かれの無念をはらしたいという願望と、更にそのもののふとしての生き方、進退の見事さ、なし得ないことを成し遂げた男としての行跡に、憧れと羨望の念を抱いたからである。またもうひとつの理由は、忘れられていた墓を何十年もむかしに偶然見つけ出したことと、井伊家彦根藩史とその特殊軍制である「赤備え」の研究途上に採集して来た古文書類の中に『河手家系譜』や主水に係る文書、記録類をいろいろ発見した因縁的なものもある。主水については識る人が少ないから。同学の士や後の同行同志のために少々のことであっても知っておいて欲しいと願うからである。

 川手主水墓地(南川瀬町)昭和40年代、筆者発見報知後、草茫茫の周囲を史談会有志が掃墓した状況

 さて以下にのべることは様々な場で書いてきたが、私がこれまで採集した古文書類の一部を用いて『井伊軍志』なる書き物を滋賀県の文化雑誌「湖国と文化」に連載(たしか期間は十年余りであったかと思う)し、それが単行本化されてしばらく経ってからであるが、いつのまにやら川手主水の墓域に「墓守」なるものが出現した。これを知ったのは近年のことであるが、その人物は、仮にKとしておこう、K氏はこのしごとは先祖が主水の死の直前、彼から直々に遺言を受けて以来行ってきた歴史的慣例であるようなことを、インターネットや南川瀬町の地元で配布するプリント、刊行物などで言い出していた。そのような記述も一見「歴史」の姿を装って史実の如く化粧(けはい)されているものの、信憑性には程遠いものとみえる。これが善意の素人衆にはなかなか真偽区別がつかない。チェック機能がないから、そのまま放置公表されている。そこに窺えるのは過去の歴史ごとだから曲げたところで構わない、誰もわかる者はいないだろう・・・という横着不遜の精神である。

 K氏は墓守を命じられた証拠として、主水から刀剣贈与があったなどということどもまでも持ち出していたが、K氏の先祖は、川手主水という井伊家重臣から刀を直々に拝受出来るような身分では全くなかった。ただの農夫さんである。その理由並びにK氏の近縁にあたる人物が奉納したというその刀が収められていた刀箱(彦根市南川瀬町某神社蔵)も実見し、その粗末、箱表の錯誤幼稚な点、またK氏が述べている刀剣拝受の話における不自然な点についても、後述する論文に既に詳記した。

 様々手の込んだはなしを作っているが、多少歴史を識る人ならば、一寸これはおかしい——と?をつける事柄ばかりである。しかし刀剣拝受と墓守遺言のみならず、先祖が信長や島津某氏より与えられたという「発給者の滅後の書状」、その他いかにももっともらしく作為された手柄話を堂々と言い出されると、思わず膝を乗り出してしまう人々も少くはないだろう。いわゆる歴史改竄(ざん)のこれがこわいところである。

これはいかん——私は驚いた。このような「歴史のつくりごと」はまことに罪である。今後さらに誕生するであろう自家宣伝の創作昔噺に注意を払っていただくのは勿論、歴史の勝手操作を防ぎ、過ちを正すためにまとめたのが先日HP上に発表した「川手主水の墓をめぐって——創作された墓守の美談」である。

 上記の「川手主水の墓をめぐって——」を執筆するにあたって調査していてわかったのだが、またまた川手に直接係りのないK氏は、その先祖が主水の娘を妻女にしたというようなことまで言い出しているらしい。数千石の井伊氏縁族の武将の娘となれば姫様である。K氏の家柄宣揚行為は、どうやらK氏本人だけでなく大袈裟にいえばその親族父祖以来続けられてきたかの如くである。凄いお家柄だ。どのみちこのようなことを触れ出したとすると、あとは何でも言いたい放題、書きたい放題である。

 こんな類のことは、本気に取り上げず放っておいたらいい。対手になることでもないかもしれないが、ことが「川手氏」に係る井伊氏の一統としての私の有縁ごとゆえ、そのまま放置はできないのである。

 K氏が提示している歴史的往来を示す古文書(と一応表現しておく)類については上記論稿に既述した通りである。婉曲に記したがいずれも信憑性はかぎりなく乏しい。明瞭に断定しないのは武士の情というものである。第一、先祖の妻にしたはずの主水の娘なる者は史上に存在しない。勿論養女もいなかった(『河手系譜』)。これらの行為は、歴史と川手主水に対する大きな冒涜といっていいであろう。

 このような重要史実も世間は知らぬ人が大勢だから、やがて事実のように思われてしまう。既稿及び本稿前半でふれたK氏の先祖に係る主水所持云々刀の寄贈刀箱の箱書(下記写真参考——読者は違和感にすぐお気づきだろうが、井伊直孝のことを「井伊掃除頭」としている)の程度をみれば、その他の書き物の信憑性は推して知るべきことである。

寄贈された「刀箱」表書
「掃除頭」の他にも色々と首をひねる箇所がある。

 鑑定以前の問題で、天下の英雄の古文書など誰方が拵えたのか知らぬが素晴らしい度胸である。賞賛に値するかもしれない。おのが家系伝説創造のために、主水は自己の命を賭して士道を貫いた一挙を利用されただけではなく、存在しない娘まで作られ、あげく地下(ぢげ)在野の男の元へ妻とされてしまった——このようなことを泉下の主水が知ったら、主水の霊は本当に怒って真実「祟る」ことになるのではないか。他人事ながら心懸りである。一般的に言ってこのような作話をして家柄を誇り飾りたがる人間の品性をみるとき、私は何かその人の心の働きに哀さを催さずにはいられない。お気の毒であり、他人事ながら不憫で情けない。

 K氏がいっている歴史のことどもは殆ど全て絵空事とみられる。こんな些事に係るのは、歴史に携る私の本意ではない。理由は冒頭に言った通りである。くどいようだが川手主水景倫は郷土の歴史と人物に携わってきた私にとって格別の因縁ある人である。その人物の墓上に無断で腰掛け、自儘な言説を弄している人間を、見て見ぬふりながら拱手放置しておくわけにはいかないだろう。私の言説は正しいと思っている。

 K氏に対し個人的なウラミ、ツラミなどは一切ない。あるのは地域の歴史とその中に生きた人物が、一個人のために歪曲され、私物化されているという事実への危機感である。このような振舞いはやはり指摘し訂正しておくべきであろう。正道を行ってほしいと願うのは私だけであろうか。無作法な人間は所詮度し難いから放っておくしかないのだろうが、これでは嬲(なぶ)り放しにされている「川手主水」に対し申し訳がない。『井伊』の姓を名乗る者としてもこれらの行為は、容赦しがたいことであることも大方には理解されるであろう。

郷土の先学中村不能斎がその編著作である「井伊直政・直孝」の書中に於て、関ヶ原に係る偽書の濫発に言を及ぼし、後人のため警告した文章を以下に引用して本稿の締めとする。

(・・・偽せの文書を)真物らしき躰にもてなし展覧したものを見受けしことあり。識者は欺れざるも間には欺かる々人もあらんかとの老婆心にて一言す。

「井伊直政・直孝」中村不能斎

私も同感かつ同憾である。川手主水の実名のみならず花押(サイン)も私のもとでは判明している。これを発表しないのは不心得ものが主水の幼稚な偽書等を作り、世を惑わす事のおそれを未然に防ぐためである。私は改めてここに、泉下の主水の霊安からんことを祈るばかりである。

『木俣守勝宛井伊家年寄連書状』(筆者所蔵井伊家古文書記録より) ——川手主水の実名及び花押箇所については、上記理由により伏せている。


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