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日々と写真,1998年(1)
1998年の1月、その日、首都圏に記録的な大雪が降った。
10cmくらい積もったと思う。雪国から見たら微々たるものだが、首都圏は大混乱だった。しかもその日は、成人式だった。
大雪が降ると、私には転機が訪れるというジンクスがある。1984年の大雪で持病が回復の兆しを見せたり、1990年の大雪で、3月21日になって突然神奈川県職員に採用されたり。
うおー!この写真↑1000系じゃん!「東横線直通
日々と写真,1998年(2)~1999年
私が綜合写専の卒業にこだわったのは「履歴書の空白」を作らないためだった。いささかもったいない綜合写専の使い方だったとも言えるし、そんなことにお金をつぎ込むなら当時歴史的低価格に下落していた純金でも買っておけば良かった。確か1g千円台くらいだったと思う。
2018年現在、当時の4倍ですからねー、金。まあそんなことが予見できるくらいなら、私はとっくにトレーダーになって大金持ちになってる訳ですよ、現実
日々と写真,2000年(2)
話が前後しますが、2000年に、初めてまともなデジタルカメラを買いました。富士のFinePis4900Z。ハニカム432万画素。実質は200万画素をちょと切るくらいの画質だったと思う。あと、色が変なことが多かった。このあたりは最近のデジタルカメラは改良されている。ダイナミックレンジも今見るとかなり狭い感じで、どうしても「薄い、軽い」感じの画像が多いように思う。それでもデジタルの利便性は捨てがたく、
もっとみる日々と写真,2000年(3)
2000年の、主に銀塩で撮っていたカットは(1)と(2)に掲載したが、この頃から富士のFinePix4900Zを使い始めて、ほぼ時を同じくして不動産物件の撮影の際に持ち歩いていたので、何かと撮っていたりした。
駅名は思い出せない。たばこを買わなくても快く撮らせてくれた。
ここも思い出せない。
大森の方だったような気もする。
やあ。
ここもどこだか思い出せない。
七五三の撮影を請けたこと
日々と写真,2001年(1)
ひなさんとつきあい始めたのは、2000年版の(2)じゃない方の最後の方に書いたのですが、年越しをうちで過ごして、年始に湯河原へ。
まだ真鶴にこんな看板が残っていた。
すごくしんどそうなのは、色々事情はあった訳です。
翌日、所用で久里浜へ。横浜駅。
裏木さんから頼まれごとがあって。
1月の5日頃だったかな?忘れた。祖母さんが死んだ。嫌いな人だったので紅白まんじゅうでも作ってやろうかと思った
日々と写真,2001年(2)
再び一人になった私は、不動産の撮影とか、あと、大量のデータのスキャニング作業という仕事で神田に通ったりとかしていた。
納期の関係で、初めてデジタルカメラを使って撮った物件写真。「夜景で」という希望だったが、撮ったあと現像所が閉まってしまうので。
あれから17年。もう生活臭も染みついているだろう。
ひなとは別れたが、皮肉なことに、その期間になってから神田珈琲園での2人展が始まった。
ひなは絵
日々と写真,2001年(3)
淡々と仕事はしてました。2002年自殺計画はどうなったのかというと、別に中止になったわけではないよと、ずるずる延びてるだけだよ、と。昭和50年代の東北新幹線とか瀬戸大橋なんか、ずるずるにのびてたじゃないですか、あんな感覚、いや違うな、東北新幹線とか瀬戸大橋は完成したから。
元住吉。ここの靴屋の見立ては良かった。
どこだろう。恵比寿あたり?
多分恵比寿あたり。
ここどこ?
思い出せない。恵
日々と写真,2001年(4)
4月8日、湯河原に行った。
上生なども持って行った。
この時間に元住吉を出ているということは、急なことだったのかも知れない。
横浜。
久しぶりに湯河原の景色を見る。
駅の桜はもう終わり気味だった。
朔は何となく私を覚えていたように見えた。
ひなと復縁した。
神田珈琲園には、Webの更新の関係もあって、よく言った。
そうこう言っているうちに不動産撮影の仕事も5ヶ月目くらいになっていた