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【公教育で社会をつくる】 書評#101

みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

今回はというか、今回”も”といった方が正しいか、教育です!

ヘッダーは、相互フォローさせていただいているいしかわ いづみさんの作品を使わせていただきました!
ありがとうございます!!


目次


基本情報

リヒテルズ直子・苫野一徳(著)
日本評論社 出版
2023年4月20日 第1刷発行

全253ページ
読書所要期間8日

私が本書に出会うきっかけ

以前本書の前作である「公教育をイチから考えよう」を#88でご紹介した。

そこにも書いた通り、読書仲間の方がご紹介してくれたものであり、いよいよ読む時が来た!
そんな感覚である!

この本の本質

公教育とは、上に立つ者(支配者層)が、下々に対して教えを施すという性質のものではない
特に、日本においては。

民主制をベースとして「人々のために」「人々による」みんなのものであるが、どんどん管理的性質を増してゆき、いつしかみんなが居心地の悪いものへと成り変わっていった。

著者たちは、次のとおり大きく2つの論点(課題感)を私たちに投げかける。
①私たち大人自身が、古い学校文化の中で刷り込まれてきた考え方から抜けきれず、必ずしも現代社会における民主的な意識と一致していないのではないか?
②良き社会市民を形成するためには、その学校や教員の意識を変えて向上させていくだけでは限界があり、学校制度そのものを変える必要性があるのではないか?

これらを考える重要なキーワードは、子どもたちの「自由」
そして、これを真に実現させるための「市民社会の成熟」

私が感じたこと

1点目 〜「自由」とは何か?

以前もどこかで書いた気もするが、私は中学生の頃、今から四半世紀ほど前の出来事になるが、当時の先生とクラスメイトが話していたことがとても印象に残っている。

S:「何で勉強なんかしなければダメなのか?勉強なんかしなくても生きていける!学校に来ない自由が欲しい!自由になりたい!!」
T:「勉強をしないことが自由なのか?学校へ来て勉強をせずして社会に出た時、果たしてうまく生き抜くことができるのか?」

要するに、こういったやりとりだったと記憶している。

この先生及びクラスメイトの”当時の”考え方は、例えが悪いが、そして、ファンの方には怒られるかもしれないが、尾崎豊の『卒業』の世界観である。

何だかよく分からない、一部の大人たちが勝手に決めたものを押し付けられ、管理され、抑圧され、そこから抜け出そうもがき苦しむ姿が描かれていると私は捉えている。

最も象徴的な歌詞が、「この支配からの卒業」

何とか今の不自由から解放されたいという切実な心が描かれているのではないだろうか。
この曲がリリースされたのは1985年。
私よりも1歳年下の曲であるが、確かに尾崎さんがおそらく過ごしたであろう子どもの頃の学校や、私たちが中学生だった頃は、まだまだ管理的教育をしなければ、建物という意味でのハードの学校や、運営という意味でのソフトの学校における生活がズタズタになる時代だった。

一方で、今の子どもたちはどうか?
物理的に物や人を傷つけるという、かつて私たちが生きたような時代はとっくに過ぎ去った。
約40年間、なお今の子どもたちの多くがそうした「支配的なもの」に苦しんでいるのだとしたら、何とかこの負のスパイラルを断ち切らなければならないのではないだろうか。
その基本的な考え方が、本書の冒頭に示されている気がする。

これがこの先の学校の、そして日本社会全体の明るい未来をもたらす基本的事項・共通認識になることを期待し、私自身それに向かって何ができるのか問い続け、行動していきたいと感じた。

2点目 〜「自由」を生むために必要なもの

スキル的な、手段として必要なものは、本書でかなり明確に書かれていると思うので、それについてはマイルールに従い触れないこととするが、もう一つ私が感じる、思うことは、自由の実現のために「時間」が必要ということだ。

この「時間」にも2つの側面があり、
・一つは文化・風土として「自由」が浸透するまでにはまだまだ長い年月が必要であろうということ。
・もう一つは、その文化・風土レベルに到達させるために、日々子どもたちが「自由」に向き合う時間が少ないということだと考えている。

とにかく今の子供達の学校生活は、分(ふん)単位だ。
こうした忙しさを「天皇陛下」とか「総理大臣」と表現する方もいるが、まさにそれだ。

決められた分単位は、かなりしんどい。
結果的に分単位で行動することになるのとは訳が違う。
まずは、こうしたところからどう抜け出すことができるのか。
そこから抜け出すことを考えなければ、「自由」を実現するための時間など、到底できやしない。
その観点からも、著者たちの指摘(スキル・手段)は、鋭いものがある。

私が個人的に考えるのは、先生方の「働き方改革」だ。
先生方にも、とにかく時間がない。
そんな先生達に導かれ、支援される子ども達に、時間やゆとりなどあるはずがない。
時間を捻出し、子ども達の自由の実現に向けて欲しいと考えている。

3点目 〜そのために私ができること・やること

そのために、私たち保護者・地域は何ができるのか?
私たちは、先生方に任せきりにしていた。
その責任を今こそ果たすべく、考え抜いていきたい。

小さな実践としては、本来学校の先生の仕事でない「宿題」は必要か必要でないか、PTAとして保護者へアンケート調査を実施しようと考えている。
これを通じて、「宿題」を担うべき主体は誰か、認識共有の一助としたいと考えているからだ。

宿題を作り、採点する。
それだけでも先生の労力は半端でないのだ。

じゃあ、宿題をやめて学力をどう向上させるのか?
という反論が出るだろうが、これについては今回の本旨から外れるので書かないが、私の子どもが通う学校の校長先生は、しっかりこの辺を考えてくださっているのだ!

むすびに

1点目で、「自由」とは何かを私の感想ベースに間接的に書いた。
よって、本書の内容を直球で書いていない。
直球は、本書にバッチリ的確に書かれているので、そちらで確認してほしい。
そして2点目も、それを前提に書いている。

要するに、なぜ子どもたちに「自由」が必要なのかということが、マイルールに従えばここで書けないのだ。
繰り返すが、ぜひ本書をご覧いただき、再確認をしていただきたいと考える。

子どもに「自由」なんて与えたら、勝手きまま・わがままになるだけだ!
というご意見をお持ちの方もいるだろう。
昔はそうだったかもしれない。
しかし今は、子ども達が変わってきた可能性が大いにある。
ぜひ、試してみていただきたい。
子ども達を信じて。


以上です。

社会全体を変え「自由」を実現する。

これが実現した時、私たち日本は「成熟した市民社会」の一員として、誇れる時がくるのだと思います。

本日も、ご覧いただきありがとうございました!!

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