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シスの方と再確認したい「トランス女性が女性だと言い張るから受け入れよう」は間違っている、ノンバイナリー・トランスとトランス女性の温度差、単語には方向が存在するの3点

「トランス女性は女性だ」よりシスの本音は「トランス女性は女性だと言い張るから受け入れよう」というものだと思います。何故なら、性別とジェンダーが一致するシスは自分の性別とジェンダーが一致していないかもと思ったことがない場合が殆どで、ジェンダーがそもそも何なのか分からない。なので、トランス女性は女性だという事実も意味が分からないと思っているし、今更聞けないと思っているのが現状なのではと私は疑っています。

まずジェンダーについて理解しようとするより、貴方がシスならジェンダーを直感的に今すぐ理解する事は難しいかもしれないという事をまず受け止めて欲しいと思います。トランスの方も好きで分かろうとして分かった、というより社会から思い知らされているというイメージの方が正確だと思います。勝手に分かったような気分になって、間違った認識でいると、いざとなった時に更に孤独感を与えたり疎外してしまったりする事になります。

そして、もしかすると貴方はシスではないかもしれません。シスと言い張る方の中にもトランスの方がいて、気づいていなかったり、社会から向き合う事を許されないのでシスとして生きる事を強いられている方々が沢山います。自分のカテゴリーが分からない方はトランスだったりします。「女性らしい事をやたら言うゲイの男」というキャラでギャップがあり、LGBTQのどこにも当てはまらない気がするから独自のカテゴリーを考えて称しているなど、一見ユニークな方と思われていても、実はそういう方こそ型にはまって「ただの」女性だったりします。いわゆる「ただののんけのオバさん」だったりもよくあることです。当事者であったとしても、カムアウトして自分らしく生きる事に社会から恐怖を感じる様にさせられているからこそ抵抗があったり、「まさか自分がトランスだなんて」「トランスなんて自分勝手なものにはなってはいけない」と社会に思わされていると気づかない事や嫉妬もあるかもしれませんし、そもそもトランスでも性違和感が無い方やジェンダーを気にしないでいれば生きやすい方、自分のジェンダーと向き合わない様にさせられている方は「どうして貴方だけジェンダーをそんなに気にするの?」と思ってしまうケースも多く見ます。

なのでシスと呼ばれる方々にジェンダーが何か、トランス女性の方々の経験や「社会がトランジションしないといけない」事だけを説明をしようとすると、ジェンダーに日頃関わりが無い人や密接している人達まで「だからそれを気にするのは自分勝手なんだって!」となって上手くいかない気がしています。(シスの方々や、社会から抑圧されてトランスなのにシスという事になっている方々に対して、シスとしてジェンダーや性別の話を通して何かをお願いしたり理解してもらおうとした事がなければ、分からない空気かもしれませんが。)

これはジェンダーが何か分かるようになったり、どうやって自分のジェンダーと向き合えばいいのかという記事ではなくて、トランス女性に対して「それは自分勝手じゃないか!」と言ったり思ってしまう方々について私が感じた事を書いています。

まず最初に申し上げたように「それは自分勝手じゃないか!」には二種類あると思っています。

一つ目は、社会の秩序を守ろうとする「それは自分勝手じゃないか!」です。社会問題についてのお話で必ず「多様性」という言葉が出て来ます。そこで勘違いして欲しくないのが「女性と言い張る人を受け入れる時代になってきた」という多様性のお話ではないという事です。「女性は千差万別だ」という多様性のお話です。なので、「女性はこうであるべき」が捨てられなくて、勝手に女性の中から気に食わない人達をつまみ出して「女じゃない」と言うのが非常に悲人道的で自己中なわけです。

二つ目は、「自分だけずるいじゃないか!」の「それは自分勝手じゃないか!」です。

シスの方などは「受け入れてあげている」という考えなので、「ここまでしてるのに、どうして更に特別扱いしないといけないのか」と思うのもそうですし、シスも他のトランスの方でも「私だったら気にしないのに」とか「考えすぎ」と思ってしまう事です。

ジェンダーが何のことか分からない人で、自分が分からないことは存在しないとか間違っていると思ってしまう人は、結局トランス女性は男とか、女性っぽいけど少し違うと信じていて、「受け入れる」という作業で自分が中心になっているので、少しでも面倒臭いなと思うと「受け入れる」ことを放棄したり条件付きにしたりします。

シスの方もそうですし、社会が定めたジェンダーと自分のジェンダーが一致していなくてもそんなに困っていない方もいて、自分はそう思わないから相手もそうあるべきだと思って「気にするな」と言う人は、トランス女性は考えすぎだと思っていたり、周りに求めすぎだと思ったりしているのではないでしょうか。

トランスの方も人それぞれです。私が女性で女性の社会問題に色んな想いがあるので、女性に焦点をおいてお話をしているだけで、男性なのに女性にさせられている方、ノンバイナリーでジェンダーが無いのに男性にさせられている方、ノンバイナリーで女性と男性なのに女性にさせられている、などなど、トランスと言ってもトランス女性とトランス男性のみを指しているわけではなく、ノンバイナリーの方々も含まれます。そもそも性違和感があるからと言って、トランス女性の気持ちをノンバイナリー女性・男性が分かってあげられるかと言うと、そうではないのだなと思った事が多々あります。

ジェンダーが無いまたは女性と男性の間で流動性があったり、3割女性7割男性だったりなんてほんの一部で本当に多様なノンバイナリーの方々ですから、社会が定めてくるジェンダーは男性か女性のどちらかしかないというものと自分のジェンダーが絶対に一致する事はないし、社会から理解されることはないと考える方が多い気がします。ジェンダーや性の違和感がないかあまりない方もいますし、性違和感を感じてもジェンダーを放棄して生活すると生きやすくなる方が多いようで、ジェンダーが女性と男性しかないのがおかしくて、ジェンダーを気にする事自体があまりよくないと考える方が多いと思います。トランス女性は女性ですから、世の中に女性は沢山存在していて、社会が定めたジェンダーに自分のジェンダーがないわけではないんです。男の体だけど心は女性とか、女性的な男性とか二つの性別やジェンダーを持ち合わせているという考えは女性からすると嫌ですし、トランス女性の解釈としては間違っています。そう見ると、トランス女性とノンバイナリー女性・男性の間でジェンダーを間違われる事に対してかなり温度差があると思いませんか。

トランス女性が二人いたらジェンダーは女性ですが、女性と男性に当てはまらないジェンダーを総括してノンバイナリーと言っているので、ノンバイナリーの方々は二人いたらジェンダーも全然違うわけです。中には男性か女性どちらか分からないと言われたり、女性と言われるのも変だけど一般的な男性とは違うと言ってもらえると、ちゃんと自分の事分かってくれているなと嬉しく思う方もいるみたいです。見た目が中性的でなくても自分がノンバイナリーだと分かっていたらそれで良いと言う方も沢山います。

トランス女性の方もたまに嫌気がさしてくると「ジェンダーなんて関係ない」とか「ジェンダーなんて世の中から消してしまえ」と言っているのを聞きますし、ノンバイナリーの方も「どうしてそんなに女性や男性である事に執着するの」とよく言っている気がします。確かにジェンダーなんて無い方が合理的でみんなが楽になるのではと考えがちですが、ノンバイナリーじゃない人はノンバイナリーになりたくてもなれないのです。

ノンバイナリー・トランスの方々もトランスのひとりとして性違和感やジェンダーの事はよく分かるし、悩んでいたり悩んだ過去があるからトランス女性も同じ感じなんだろうなと思いがちで、シスの方々が分かったふりをするのと似た様に、男性に間違われたトランス女性を気にかけたり励まそうとした時にそれくらい痛くないでしょう頑張れとでも言う様に「ジェンダーなんて本気に取るな」とか、分かっているかのように「ジェンダーなんて馬鹿げているし、型にはまろうとするから辛くなっちゃうんじゃないの」と言ったり、本来心のケアをしてあげているつもりでも、心の中ですごく傷ついているトランス女性にシスの方もノンバイナリー・トランスの方も気付けないという事がよくあるんです。

英語圏の方々は80年代などは特にクィアなら誰でもゲイという括りをしていて、ゲイの男性とトランス女性が一緒なのは良くないという事でトランスという言葉を設けて区別する事になりました。性違和感がある人などを一括りにしてトランスと定義してしまったので、トランス女性とノンバイナリー・トランスの方々が区別されなく、トランスだったらどのトランスの人の気持ちも分かる錯覚に陥ってしまうという問題があります。トランスの方々も「これは良いよ」「これは嫌だよ」などの社会に求める内容や優先順位が女性・男性達とノンバイナリーの方の間でも異なっている事がよくあり、トランスという言葉や社会の括りが上手く機能していないと思う事があります。

クィア達の声を権力者のシス・ストレートの白人男性達に代弁して訴えてきたのは、シス・ゲイの白人男性達です。白人男性がクィアの人達の中で一番相手にしようとする可能性が少しでもあったのは他の白人男性でした。エイズ患者差別や転向療法などの社会的排除や暴力装置を生き抜いた彼らですが、財力や権限は他のクィアと比べればあったのを利用し「ゲイ・ライツ」(ゲイの人権)を訴えてきました。なので「LGBTQ」などの言葉も特に研究に基づいて決められているわけではなくて、成り行きが多いので、分からないまま来てしまった面もあります。シスからしたらトランスなんてみんな一緒とかそういう考えだったかもしれません。前にも申し上げたように、誰を中心にして社会の構造を表すと現状と改善に向けた対策と等しいかという意味で言葉の選定はとても大切です。

最初に「これはジェンダーが何か分かるようになったり、どうやって自分のジェンダーと向き合えばいいのかという記事ではない」と書きましたが、ジェンダーが何かはっきり分からなくても、ほんの少しでも前より苦手意識が和らいだり、興味が湧いて来たりしていれば私はすごく嬉しいです。

ジェンダーは誰にでも影響を及ぼしているので、シスでも時間をかけて分かろうとすれば分かる様になると思います。だから、諦めないで。味方の貴方を必要としている人が沢山います。いつかちゃんと分かり合って寄り添ってあげられる日が来るはずです。それに、クィアについての記事を自ら見つけて読んでいる貴方も、考えてみる機会がなかっただけで、シスだと思っていたらトランスだったという事があるかもしれません。トランス同士でも全然違う経験をしているかもしれないという事を知っておくと、比べる事がなくなって自分のジェンダーとも向き合いやすくなるかもしれません。


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