記事用

SNS、インスタ映え、流行に疲れて人生から外してみた


”撮影”と言われる現場に出るようになって10年が過ぎた。

右も左もわからず、ただ言われたことを何も考えずに「はい!」「はい!」と消化していて、無感情で無価値感に溢れていて、ロボットのような社会人スタートだったなぁ。笑


その当時、スタジオの壁に試し撮りのポラロイド写真を貼って大人たちがアレコレ言ってた時代から、デジタルカメラに移行していく時代だった。

その頃から”写真映え”に近い言葉はあったような記憶。

数年前に”フォトジェニック”という言葉が出始め、今では”インスタ映え”に変わったけれど、私の中での解釈は一緒ではない。


”写真映え”は、カメラというフィルタを通すと、魅せることが難しいものや伝わり難い色や被写体(洋服やクラフト、フードなども含む)かどうかを見極めること。

写真技術うんぬんでは解決しにくい部分というか・・・。(例えば、四角いお皿は形や盛り付けるもの、スタイリングアイテムによっては写真の中で悪目立ちすることがある。)


”フォトジェニック”から名前を変えたのが”インスタ映え”と思っていて、いわゆるかわいいもの、オシャレなもの、派手なもの、流行に乗っているものを写真に納めて、流行のアプリで加工すると解釈してます。


最初は純粋に楽しんでいたはずのものが「認められたい」「人気者になりたい」「流行に追いついていたい」に変わり、

今では「流行に乗ってないとヤバイ」「どうにかして人気者になりたい」「私を認めて!」とか

「みんなと同じなら安心!」だったり、逆に「他人がやっていないことやって目立ちたい!」というような、不安や不満などの不足感からくる行動に変わっている気がするのだ。


同じ「写真を撮る」という行動でも、そこに伴う感情や愛情、作品への思い入れが全く別物になっている。


で、わたしもインスタ映えと流行に踊らされていた人

私がまさにそんな人でした。笑

なんとなく「オシャレだな〜」「こういうの好きだな〜」と思ったインスタのアカウントを色々フォローしていくうちに「この人のアカウントだから見ている」のではなくて「自分の好きなテイストを集めている」ということに気付きました。


もちろん、それが悪いことではないのだけど「誰の作り出した世界なのか」ということが全くもってわからなかった。キレイでオシャレな写真、それは、わたしの目指す世界ではなかった。


そんな違和感を抱えながらも「今年の夏の流行アイテムは〜」「インフルエンサーの〇〇さんのように〜」「同じことをやると飽きられるから〜」というフレーズを幾度となく見聞きし続けて、真面目に実践もして(笑)1〜2年が過ぎた頃かな。


「あれ?これって、没個性なものづくりと浪費だよね?」と、我に返りました。

流行を知ることが悪いことじゃないよ。特に流行が関係してくるお仕事なら知っておいて困ることはない。ただ、それだけに振り回されている時は自分を見失っている。


例えば・・・

「ピンクが流行ってると言われたから、好きじゃないけどピンクを使う。黄色のブームはワンシーズン前だから、今使うと古い人になる。」

「飽きられたくないから、次々と写真に入れ込む雑貨などを買いまくる。」


「自分の世界を創り上げること」「思い出のワンシーンを好きなように切り取ること」ではなくて、評価を得ることが第一目的になってしまうと、それはそれはもうシンドイ。


原動力が不安や焦りであるならば、その先にあるものも不安や焦りだし、”ほんとうの自分の魂”は宿らないと思うんだ。

もちろん、自分の作ったものがたくさんの人に見てもらえたら嬉しい。さらに共感を得られたり、何かを感じ取ってもらえたらもっと嬉しい。


自分がやりたいと思っていたこと、好きなことがたまたま流行だっただけという場合と、好きじゃないけど流行だからやる、人気者になれるならやる。というのは大違い。


例えば、ブログで100円ショップやIKEAとかのアイテムの紹介をするとかなりの確率でピックアップされる記事になる。

その時はもちろん嬉しいし、やったー!と思うんだけど・・・

思うんだけど・・・


注目されるのは、私自身の生き方ではなくてそのアイテムのこと。共感もなにもない、ただのオモシロアイテム発見記事である。

私の喜びはそこにはないから、もう全然嬉しくない。涙


でも、アクセス数が多い=良いことと思い込んでいるから、またピックアップされるようにがんばらなきゃ!って、そこにエネルギー注いじゃう。

自分の暮らしを豊かにするためにではなく、ブログのために次々買い物をするハメになる。プチプラも毎日買い続ければすごい金額になってしまう。それは消費ではなく、浪費。

それは私にとって、心も疲弊していくパターンだった。


流行に乗ることよりも、1度きりの写真のために次々とアイテムを買い込んで散財するよりも、私の心が平和で穏やかであることが大切。

インスタ映えする作品が、自分の魂がこもっている作品を超えることはない。(でもカメラの扱い方を知らなくていいわけではないよ。ウマイ・ヘタと心が揺さぶられる写真は別物。)


というか、”インスタ映え写真を撮りに行く”時点で、人生をインスタに明け渡してしまっている。

私自身、写真を撮ることも好きだし、インスタも好きで使っているけれど「もう3日も投稿してないから、何か撮らないと・・・」「ここの期間は写真撮れなさそうだから撮り溜めしておこう」「過去の写真で使えるのないかな・・・」と思っていた頃は、本当に窮屈だったな。


インスタそのものは悪くなくて、世界中の写真や体験をシェアできる最高のツールだと思う。でも、それに振り回されない生き方が大事なんだ。

SNSや他人の評価で、自分自身の価値は決まらないから。

SNSがなくても、他人に何と言われようと、私は私で素晴らしいし、あなたはあなたで素晴らしい。その存在価値そのものはそれらで上がることも下がることもない。


だから、自分を苦しめていた謎のSNS(ブログ)マイルールを全て手放して、設定変更をしてみた。

・投稿したい時にする
・気分が乗らない時は撮らない
・流行よりも、自分が楽しく取り組めるものだけ創る
・本当にいいと思った商品、ときめいた商品以外は載せない
・人気になれなくてもいいから、安心感や信頼感で包み込みたい


長いこと、数字こそ全て!みたいな思い込みがあったから、まだまだ数字を見て一喜一憂したりもするけれど

久々に会った親しい友達はやっぱり気付くもので、

「なんか雰囲気が軽くなったね!髪色明るくなったのもあるけど、それだけじゃない。」(いい意味です。笑)

と、言われて、確かにここ数ヶ月でグンと生き易くなったなぁと思う。

目先の結果や出来事に振り回されることが減ったよ。



「だからみんな、流行とかインスタ映えとか捨てた方がいいよ!」

とは思わない。それが楽しみな人は楽しめばいいのだから♡


ただ、SNSや流行に人生の舵取りを任せた先に『ほんとうの幸せ』は存在していないし、それがもし現実逃避になっているのならば、まずは人生の整理整頓をしてもいいかもしれませんね。



a.


■Instagram @aaa_inugohan

■Blog


この記事が参加している募集

noteでよかったこと

いつも応援ありがとうございます! サポートしていただいたお金は、これからの学びや研究に使わせていただきます♡