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『パウラ・モーダーゾーン=ベッカー 初めて裸体の自画像を描いた女性画家』(バルバラ・ボイス)

著/バルバラ・ボイス  訳/藤川 芳朗『パウラ・モーダーゾーン=ベッカー 初めて裸体の自画像を描いた女性画家』みすず書房、2020年

 

ヨーロッパの現代絵画(モデルネ)の先駆者であるパウラ・モーダーゾーン=ベッカーが31歳で生涯を終えたとき、この若きドイツ人女性画家はおよそ750枚の油彩画と1400枚の素描を遺していた。死の直前まで描いて、描いて、描きつくして、パウラにとって描くことは、そのまま生きることでもあった。

ヨーロッパ美術史上、女性の画家がはじめて描いた裸の自画像として知られる『六回目の結婚記念日の自画像』は、タイトルにもあるようにパウラ自身の自画像で、でもだからこそ大胆だ。

当時、パリには美術で成功した女性たちがいたけれど、そのなかに女性の裸体画を描いた女性の画家は一人もいなかった。それどころか、パウラが裸の自画像を描いたときには「裸体画」という言葉すらなかった。この呼称は、後世の芸術学が歴史を振り返った際に裸の女性に与えた概念だから、クラーナもレンブラントもルーベンスもそんな概念を持ちあわせていなかったのだ。
その後、裸体画という概念が登場してなにかが変わったか、と言われればなにも変わらなかった。カンヴァスの上の女性は引き続き男性によって男性のために描かれていたし、それは女性の自分たちの肉体に対する観念や感情とは相変わらず無関係だった。

首に巻いた大ぶりのアクセサリーも腰から下の薄衣も前に突きだした大きなお腹も口もとに浮かべた挑戦的な笑みも、彼女が目を伏せてイスにじっと座っているような女性ではなかったことを想像させるし、柔らかな瞳を見れば、温度すら感じられそうな愛情を、お腹にも、心にももった人なのだと確信する。

パウラは革命的な画家であると同時に、優れた書き手でもあった。アトリエで見つかった数多くの絵と手紙と日記からは、彼女が自身の頭と心で考えたことを指先で表現することのできる人物だったことを教えてくれる。
身体からケシの花が生えているような『庭の救貧院の老婆とガラス球とヒナゲシの花』や白の花冠と手にもつヒナギクが印象的な『ヒナギクの花冠を頭にのせた妹ヘルマ』にしてもそう。対象(風景や人間や静物など)の根底まで下りていくパウラの眼差しは敬虔でありたいというパウラの願いそのものだ。

自分が見たものを無条件に敬い、待ち受け、探り、しかしけっして要求はしない。自分の内側へ深く潜り、燃える情熱に取り囲まれた喜びの湖で生きる人。残された絵が、パウラが愛情深い画家であったことを教えてくれる。


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