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この世でもっとも美しく、残酷な本のこと(1)

この世でもっとも美しい本を知っている。
夢さながらの美しい舞台で、詩のように意味深い言葉が綴られた、作者の深い愛憐が文章の隅々まであまねく行き渡っている、人間の善良さと正しさを信じていたくなる、そういう本を知っている。  
      
〈少女〉は、(というのはこの本の主人公ことだけれど)あまり我慢強いとはいえない性格で、優等生というよりはお転婆で、思いこみが強く、つねになにかに困り果てていて、野を駆けたり、鳥と話したり、水に足を浸したりしては、やたらとため息をつく。どうして児童文学の少年少女というのは、いつも、なにかひとつの事に気をとられてしまうのだろう。

首の欠けた瓶、りんごの白い花びら、裏口の扉に映る影、鳥の尻尾、「ひとまわり5セント」のポスターだとか、それはたいていの人なら見逃してしまうくらい、ひっそりとしたものであることがほとんどだ。
世界は子どもを魅了するもので溢れている。ぴしりと焦点が合うと、もう、頭のなかはそのことでいっぱいになってしまう。

Egon Schiele, ”Seated Nude Girl Clasping Her Left Knee” . 1918, The Metropolitan Museum of Art

そういえばジェイムズ・M・バリの『ピーターパン』で、癇癪もちのティンカーベルのことを、妖精というのは体が小さいから、一度にひとつの感情しか入る余地がないのだと読んだことがある。あれは子どものことを暗示していたのだろうか。これは喜びであると同時に恐怖でもある、と思う。

物語の中だけのこと、と思えたらどんなに良かっただろう。
簡潔な文章が構築する豊かな世界、奇妙なことばかり起きる不思議世界。美しくも魔術的なイメージの連鎖。世界は、西も東もわからない子どもにだって容赦しないということを、この本はしずかに突きつけてくる。

少女は不安と葛藤を抱えながら世界を渡り歩く。私はそれを、どこかいたたまれない気持ちで眺めている。この世でもっとも美しい本は、この世でもっとも残酷な本でもあった。

Egon Schiele, "Girl”. 1918, The Metropolitan Museum of Art

小学校へ通いだしたばかりのある日、学校の図書室で、初めて手にとって、読んだ本のことを、覚えている。
もっとも、覚えている、といえるほどはっきりと本の内容を記憶しているわけではないけれど。物語の舞台も、作者の名前も、少女の台詞も、どういうお話だったのか、はじまりから終わりまで、すべておぼろげなのだから。そのうえタイトルまで曖昧で、そう書くと、まるで始めからそんな本はなかったような気さえしてくる。

とても不安になる。あの本のことも、図書室で過ごした時間も、少女のことも、すべては夢だったのかもしれないと、疑いそうになる。

たとえば、そう、白い表紙に印刷された赤い文字を覚えている。たっぷりと長くのばした金色の髪、あるいは栗毛だったかもしれない、とにかく、腰まである髪の毛を耳の横でふたつに編みこんだ女の子が、草の上に、ゆったりと座っていたのを、私は思いだす。

ドレスの裾を大きく広げて、膝のうえで本を開いている。こちらからは見えないけれど、もう一方の手にはおそらく植物を、シロツメクサとか、ムラサキツメクサとかヒナギクとか、どちらかというと素朴な、けっして特別ではない、野の花を握っているにちがいなかった。

Egon Schiele, "Standing Nude Girl, Facing Left”. 1918, The Metropolitan Museum of Art

この少女が物語の主人公であることは表紙を見れば一目瞭然で、イラストと呼ぶにはクラシカルな、美しいがお洒落ではない装丁は、児童書でありながら幼稚ではない、心ばかりが大人へと急いている子どもに相応しい一冊だった。でも、覚えているのはそのくらい。思いだせることはそれだけ。

あれは誰のアイデアだったのだろう。入学してしばらくしてから始まった図書室の改装工事がようやく終わって、入室が許可されたときも、もちろん私は子どものままで、格段広くなったわけでもない室内で、その場所だけ小あがりになっていて、わずかに高くなった床には灰色の絨毯が敷かれ、上履きを脱いであがるように、と注意書きが貼られていた。子どもをささやかに閉じこめてしまう、あの小部屋。

あまり教室にいない私を探しにきた友人が、決まって見つけるのがその場所で、なにをしているのかと聞かれれば、それはもちろん本を読んでいるのである。

私がこれほど件の本を愛しているのは、きっと、それが子ども時代とかたく結びついているからだろう。そして子ども時代が特別である理由の一つは、子どもが孤独や寂しさといった悲しみの感情を言葉によって上手に把握できないことにあると思う。

Egon Schiele, "Woman and Girl Embracing”. 1918, The Metropolitan Museum of Art

私は本を読むのも、読んでもらうのも好きな子どもで、大人が忙しくて誰も読み聞かせてくれない時には、自分で自分に紙芝居を読んで聞かせるくらいには、ひとりで遊ぶのが上手な子どもだった。
だから、嬉しかったのだ。自分がもう、こんなに立派な本を読めるのだということが。それは大きな驚きだった。なにしろその本は、小学校へあがったばかりの私にとって、それまで読んできた本のなかで、もっとも美しく、もっとも成熟した、大人の本に見えたから。

小学校を卒業して、日本を離れて、私が〈その本〉のことを思いだしたのは、ながい外国生活を終えて帰国してから、ようやくひとつの場所に生活が根付いてきた頃だった。日本語の本が気軽に手に入るようになったこともあって、私は少女時代に読みふけっていた本を集めだした。『赤毛のアン』とか『あしながおじさん』とか『青い麦』とか『少女パレアナ』なんかを。

そうして少しずつ記憶を遡り、子ども時代に読んだ物語よりも、大人になってから出合った児童文学のほうがずっと多くなっていくなか、それでも〈その本〉にだけは逢えずじまいだった。作品名がうろ覚えなこと、作者の名前を知らないことも、その本を見つけだせない大きな理由だった。

さらに打ちあけるなら、それほど熱心に探していなかったのだ。そういう相手って、誰にでもいるのではないだろうか。探している一方で、出合うことを恐れている。かの本は、まさに私にとってそういう相手だった。

(つづく)  
      


こちらは過去に『本と旅する 人生あの本この本<Tabistory Books*001>』に掲載した文章です。創刊号は本がテーマ。子ども時代の思い出の本について書いています。

エッセイの続きはこちらからも読めます。
小さな文集で、よりどりみどりの書き手が集まっています。よしなに。

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