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ひめみこ

 ひめみこさまは遠くに行かれるとき、私に言われた。
「これを持っていてください。そして、わたくしからご連絡を差し上げますから、それまで大切にしていてください」
 それは小さな赤い小箱で、私がいくらあけようとしても無駄だった。小箱のふたはかたく閉ざされていた。
 ひめみこさまは、遠くの、高い山々に囲まれた国に嫁いで行かれたのだ。お父上のご命令で、それは逆らうことのできないことだった。そのことを私に告げられたときのひめみこさまは、白いお顔がさらに白くなって、まるで、命をなくされた方のようだった。

 ひめみこさまと私は小さい頃からいつも近くにいた。ひめみこさまは私にとって、なくてはならないお人だったし、ひめみこさまにとっての私もそうだと信じていた。お互いが相手のために生きていたのだ。そのひめみこさまが遠くに行かれた。遠く離れて生きていくことは、なんと苦しく、辛いことなのだろうか。しかし、ひめみこさまは言われた。連絡を待て、と。

 月日は過ぎていった。ひめみこさまからは何も連絡はなかった。私はだんだんわからなくなってきた。ひめみこさまは本当に私を愛してくださっていたのだろうか。なぜ、何も連絡をくださらないのだろうか。
 恋人同士が、遠く離れていながらも愛を保ち続けることのなんと難しいことか。私は親の決めたいらつめと結ばれた。いらつめは私を慕い、頼りにしてくれたし、私もいらつめが愛おしかった。平和な日々だった。しかし、私は忘れることができなかった。ひめみこさまのことを、そして、あの小箱のことを。

 ひめみこさまと私は身分違いだった。ひめみこさまは王者の姫だが、私は王者に仕える召使いだ。でもひめみこさまは私を愛してくだされた。いや、今になって思えばそれもひとときの夢に過ぎないのかも知れぬ。
 だが、私はもう一度ひめみこさまにお会いしたかった。お会いしなければあきらめることができそうになかった。そして、確かめたかった。ひめみこさまのお気持ちを。いらつめに、ひめみこさまに対する私の思いを打ち明けたとき、いらつめは小さくうなづいて目に涙を浮かべていた。あわれだった。でも、私はきっと帰ってくる。

 ひめみこさまが嫁いだ国はとても遠かった。やっとの思いで着いたとき、私は妙な噂を聞いた。ひめみこさまがお亡くなりになり、そして、そのなきがらが突然消えてしまったと。私は気が遠くなりそうだったが、噂を確かめるために、ひめみこさまのお住まいになっていたお城へ向かった。そこで聞いたことは、噂とまったく同じだった。
 ひめみこさまが亡くなられたのなら、私はどうして生きていけばいいのだろうか。ひめみこさまをあきらめる決心をしていたというのに、いざ失ってみると、ひめみこさまへの私の思いを確信するにいたってしまった。私の心は重く、そして痛み続けた。

 ある日、私のもとに一人の使者が来て、一通の文を置いていかれた。その文は、亡くなったひめみこさまからのものだった。
「わたくしがこの世から去り、月日だけがいたずらに過ぎてまいりました。愛しいあなたとのお約束をやっとはたすことができます。あの小箱をおあけくださいませ。わたくしがあなたを永遠に愛するために」
 不思議な文だ。ひめみこさまはお亡くなりになったというのに。しかし、私は信じた。 
 驚いたことに、あんなにかたく閉ざされていた小箱のふたが簡単に開いた。しかし、中には何も入っていなかった。ただ、えもいわれぬ香りが、ひめみこさまの香りが私の体を包んだ。私の魂は宙に飛び、そして、私は命を失った。ひめみこさまと私は、永遠に結ばれた。