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怒り。

身体が震える。胸の奥のゾワゾワが止まらない。人が本当に怒りを覚えた時には、身体ってこんな風に反応するんだなと。変なの、こんなに震えているのに、どこか俯瞰している自分もいる。なんだか気持ち悪い。

私の経験上、人が己の自尊心を壊されるような出来事にぶつかった時、様々な感情がいくつかのフェーズにわかれてやってくる。まず、呆然とする。呆気に取られる。無になる。何にも感じないし、何にも考えられなくなる。何が起きたかわからない状態だ。そして次に、混乱。なんでそんなことが起きたのかと、なぜ阻止できなかったのかと自分を責めたりする。その後に悲しみがくる。なんでこんなことをするんだ、などと事を起こした相手に対しての疑問や悲しみ、嘆きが湧いてくる。(このフェーズが自分の経験上、一番長い。一番しんどい。)信じたかった、なんでこんなことになったんだろう、とただただ落胆する。最後に来るのが、怒り。許せない。相手にされた事と相応の対応をしようと心に決める。この怒りっていう感情は本当に厄介だ。相手に対する情もこのフェーズで完全に消える。相手を人間としてみることができなくなる。自分の人生にはいらないものになる。こうなるともう、関係の修復は未来永劫、不可能になる。

私にとってこのnoteは、その名前の通り、良くも悪くも自分にとって心が動かされた時に書くノートであって、大事な感情の置き場所なのである。だから、どうしたんだ突然!と読者の方がびっくりしてしまうこともあるかもしれない。申し訳ない、読んでくださる方は、少しだけこの感情に付き合ってほしい。

人と関わる事は難しい。薫さん(元競輪選手で競輪解説者の井上薫さん)にもいつも、『いしすは人を見る目がない』と言われる。実際、そうだと思う。昔から人に利用されたり、騙されたり、粗雑に扱われたり。性被害にあっても声をあげられなかったり、暴力を振るわれてもそのまま飲み込んだり。ずっと、そういう生き方をしてきた。そうなることには自分にもきっとなんらかの要因がある。はっきりとものが言えなかったり、無知だったり、自分のことに関しては事勿れ主義だったり。いつもそういった出来事をネタにして面白おかしく話すことで感情を昇華しているつもりだった。

今のこの苦しみは、自分をあまり大切にしてこなかったことの代償だとは思う。さっき書いたフェーズの話も、もしかしたら皆さんはもっと器用に感情を自分でコントロールされるかもしれない。誰にでも当てはまる話ではないだろうと思う。

ただ本当に、揉め事が嫌いなんだ。できれば喧嘩も言い合いも何もしたくない。友達といて、相手が少しでも不機嫌になることがこわい。多少おかしいな、と思ってもわざわざ声を上げる事は私にとって大きなストレスだ。ただ、それを繰り返しすぎると、のちにもっと大きなストレスがかかる事を知った。

みんなどんな風に生きてるんだろう。悲しみや怒りをどのように昇華しているんだろう。教えて欲しい。ことが起きたその時に処理するのがベストなのか、それともよく考えてその事柄についての全貌がわかってから感情を抑えつつ対処するのが正解なのか。わたしにはわからない。大人の対応、ってなんなんだろうか。

自分の生き方の正解はまだまだ見つからない。今後見つかるかもわからない。でも生きるしかないから、少しでも自分らしくいられる方法をこれからはしっかりと見つけていきたい。同じ事を繰り返さないように、しっかり、自分と向き合っていきたい。

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