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エッセイ | 信じてしまう

インターホンの音が部屋に鳴り響く。繰り返し音が続くため、早く止めなければと思い親機に駆け寄ると、画面には作業服を着た若い男性が立っていた。

ここ最近私が住んでいるマンションでは改修工事をしているため、その件で何かあるのかもしれないと思い「通話」のボタンを押す。

「どうかしましたか?」私がそう尋ねると作業服の男性がカメラを見た。
「こんにちは。実は不動産投資の件でこの地域を回っておりまして、良ければお話しできないでしょうか」男性は爽やかな笑顔で話しかけてくるが、私の頭には話が入ってこなかった。「やられた」という悔しさが頭を占める。

普段であれば来訪者なんていないのだから居留守を使っていたのだが、マンションの改修工事と作業服の男性を勝手に結びつけてしまった。

これは私の敗戦記録だ。


読書をしている時に昔の記憶がよみがえった。敗戦記録のことだ。

いつものように私は伊坂幸太郎の小説を読んでいた。『ホワイトラビット』という小説だ。その中で空き巣をしている人物がいるのだが、「作業服は怪しまれにくい」といった発言をしている。

「そうなんだよな」と私は読みながら思ってしまった。実際に私は怪しまなかったのだから実体験に基づいている。

作業服でウロウロされてもどこかで工事をしていると思ってしまうし、自分の住んでいるマンションが改修工事中であれば「お疲れさまです」とも言ってしまうだろう。

あれ以来、私は作業服の人を見ても怪しむようになってしまった。「あの人は本当なのか? カムフラージュの作業服ではないのか?」といった具合に考えてしまう。


映画を観ている時も考えてしまったことがある。

最近、『TENET』という映画を観た。物語の冒頭で、主人公が作業服を着て建物の中へ入っていくシーンがある。そのシーンの最後では「反射ベストにバインダーならどこにでも入れる」と言われるのだ。

このシーンを見て、作業服の人を見ても怪しまないのは世界共通なのだと知った。

世界中の人が作業服を着ている人を見ると油断する。油断するというよりも信じてしまうのかもしれない。作業服を着ているのであれば何かしらの作業をしているのだと、頭の中で勝手に結びつけてしまう。


作業服の人は信用できるが、スーツの人は信用できない。そんな場合もある。

仕事で住宅地を訪問して回った時、一緒に作業をしていた人から言われたことがあった。
「スーツで来ちゃいましたか。今日はつらい日になりますよ」相手は笑っていたが、どこか同情するような雰囲気だった。

結果として、その日は訪問しても居留守を使われたり、気持ち半分に怪しんだ目で見られたりしていた。

ひと通り回り終えて解散となった時に、「あしたはうちの会社の作業服を持ってきますよ」と一緒に回った人が言ってくれた。「今日よりかは楽かもしれません」

その言葉の通り、次の日は多くの訪問先で話を聞いてもらえた。話に前のめりになる人もいたくらいだ。作業服の人を信じさせる力は絶大だ。



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