変わっちゃったからさ
先日僕の好きなラジオ番組が終了した。
勿論、最終回も聴いた。リアルタイムで。
5年続いたその番組は、最後まで「らしく」幕を閉じた。
彼が織りなすトークやノリは、普段メディアで見せる姿からは想像できないもので、まるで彼と旧知の仲であったかのような錯覚に陥る。
最終回の終盤。
とあるリスナーから送られてきた一通のメール。
正確ではないが、こんな内容だった。
彼はこのメールに大爆笑をした。
「あぁ、確かに地元のツレって7年一緒におる奴ばっかしやわ、、」
と笑い疲れた彼の関西弁によって、一抹の悲しさが滲んできた。
そんなラジオを聴きながら自身の過去の人間関係をふと思い出した。
体育祭で優勝して抱き合ったあの時のあいつも、
お揃いのモノを買ったあの時のあの子も、
高校3年間同じクラス・部活だったあの時のあいつも
この人と結婚するんだと信じたあの時のあの子も。
今では僕の知らないところでそれぞれの人生を歩んでいる。
我等友情永久不滅だと思っていたのに。
オランダの大学の心理学者恐るべし。
僕という人間は、永遠なんてものちっとも信じてなんかいないくせに心のどこかで『ずっと』という言葉を信じてしまっていて。
ありふれた日常は、後ろを振り返って見るときっと素晴らしくてそんな日々に没頭している時の自分はきっとすごく幸せなんだと思う。
そんな日常が、何かのきっかけで崩れてしまった時にきっと僕は絶望して過去に未練タラタラになるのだろう。
ありきたりな言葉だけど、過去の延長線に今の僕があって、数えきれない「今」が織りなす集合体が僕だ。
今自分が好きな人やものには僕が向けられる最大限のやり方で向き合っていかなきゃね。
何これ。
不覚にもアナザースカイの出てる芸能人みたいなことを書いてしまった。
何が結局言いたいかというと、
好きだったラジオでの彼のように、愛される自分にならなきゃなってこと。
ありがとうラジオ。
ありがとうニッポン放送。
ありがとうパーソナリティーとしての菅田将暉。
5年間お疲れ様。ほな。
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