1.きっかけはイタリア出張
ある場所に行ったとき、初めてなのに懐かしい気持ちになることってありませんか?
友だちに連れて行かれた街の交差点、
用事で出かけた先の建物、
そして旅で訪れた街の風景。
私にはそんな場所がいくつかありますけれど、人生で初めて訪れた北イタリアのとある田舎町がまさにそんな場所だったのです。
行きたくなかったイタリア出張
すでに行ったことのある家族からは「お姉ちゃんに似た人がたくさんいるから1度行ってみたら?」と勧められ、友人たちからは「料理は美味しいしワインも安いしアンタ向きの国だ」と言われながら、なぜかそれまで1度も行けなかった、と言うか、行かなかった国、イタリア。
興味はあるけれどタイミングが合わない、遠いし時差もあるし正直言って行くのが億劫ですらある感じ。
それなのに当時働いていた会社の出張で、イタリアへ行け!と、半ば強制的に業務命令で渡伊することになりました。
出張でイタリアなんて羨ましいと思われるでしょう。
ただ、当時の私は本当に忙しくて毎日帰宅が午前1時なんていう生活をしていました。
出張に行くということはその仕事の合間をぬっての強行となるわけです。
まず、1週間不在でもタイムロスなくさまざまなことが進行するようにスケジュールを調整するのが大変。
さらに出張準備もしないといけません。
そして何より億劫に感じたのは、その出張は一人ではなくクライアント女性と一緒、しかも2人だけだったこと!
そのうえ出張費用のコスト削減のため、宿泊もシングルではなくツインで同室!
まさに朝から晩まで1週間ずーっとクライアントと一緒なんです。
気が重いなんてものじゃありません。
でも業務命令だし仕方なく嫌々ながらパリ行きの飛行機に乗りました。
もちろん前日は徹夜でしたね。
トリノからブラへ
パリで飛行機を乗り継ぎ、トリノ空港に降り立ったのは2003年11月の終わり。
雨は降っていないけれど濃い灰色の重苦しい曇り空で、東京よりずいぶん寒く感じたのを憶えています。
初日はトリノで1泊、2日目から出張のミッションをこなすため、トリノからローカル線で1時間ほどの「ブラ」に移動しました。
ピエモンテ州クーネオ県にある小さな町です。
20年前の日本では全く知られていませんでした……一部の人を除いては。
ブラにはスローフード協会の国際事務所があるのです。
なのでスローフード関係者にとっては聖地のような場所。
でもはっきり言って、イタリア人でもよく知らないという人は多いです。
ブラッチャーノ民にはそこそこ知られてますけど。
それはなぜかというと、トレニタリアの電車のチケットを買うときアルファベットでBRACCIANOと入れますが、BRAがいつもブラッチャーノのすぐ上にあるからです(笑。
そんな認知度程度の小さな町です。
初めてなのに懐かしい場所
ブラでの宿泊先は、駅前広場を抜けた先の通りにありました。
ホテルではなくB&B。
トリノで1泊だけしたのはたしか星が5つぐらいついていて、朝食にシャンパンが出てきて驚きました。
出張経費じゃないと泊まれないクラス。
ブラのB&Bは、古い建物をリノベーションしたアパートタイプの部屋が5室だけ。
こじんまりと落ち着く良い感じのところで、スローフード協会のスタッフがオススメだと紹介してくれたのです。
私たちは最上階の1室に案内されました。
屋根裏で天井が斜めになっていて、そんな部屋に泊まるのは生まれて初めて。
なんせイタリアだけでなくヨーロッパ自体、初訪問だったので。
そして、その部屋の窓から見えた景色がこちら。
テラコッタの連なる屋根に重く垂れこめた雲、遠くにうっすらと雪を頂いたアルプス山脈が見えます。
薪を燃やす煙が煙突から立ち上り、それが霧のように街を包み込んでいました。
普通のツアーではゼッタイ行かないような場所へ巡りめぐってたどり着き、ホテルの窓から見下ろしたこの風景に、どうしようもない懐かしさを感じてしまったのです。
後日、まさか同じ場所に戻って来るなんてその時は思ってもいませんでしたし、何より、この景色がきっかけでイタリア移住することになるなんて知る由もなく。
そして、心をこの場所に残したまま日本へ帰りました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?