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小説

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誰かの隙間に入りたい
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置いていかれた靴

置いていかれた靴

 毎月300字小説企画
 第4回 テーマ 靴

 その重さでさえ苦痛だったのだ。

 軽やかに走りたいと君は庭先に踏み出す。
 裸足で水溜まりを蹴散らして、ほら、と笑う。降り注ぐ雨などものとせず、張り付く服に不快を見せず、ひたすら受け止めようとする顔に言葉が何も浮かばない。
 土が跳ねて礫が飛んで白い足を汚してく。例え血だらけになっても構わないのだろう。そうしてすべて置いていくのだ。
 踏み石に放

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片道惑星通信

300字ss
第七十五回 お題:届く

 一番最初に忘れるのは、声だという。

 三ヶ月に一度、宇宙の果てから一方的な通信が届く。
 旅立った君から、はろーはろー、と。
 残された僕らに、ささやかな娯楽に似た、ラジオ放送みたいなそれ。
 こちらからの手段がない故にその声は片道しかない。連絡するから、と遠距離する人の常套句を言っていたのはいつだったか。ドラマじゃあるまいし、と思ったのを覚えている。

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選と濯

Twitter300字ss
第六十九回 お題 「選」

 こっちがいいと、貴女は云った。毛布が洗えるものがいいと。
 二人で選んだ洗濯機は、音を立てながら2LDKの部屋の中で僕を圧迫する。

 かつて、この部屋では二人の生活が回っていた。自分のものではない音と匂い。帰宅時に明かりが点いているのが嬉しかった。
 今はそこかしこに一人分の物だけが散らばっている。
 親しみすぎた匂いだけが残り香となっ

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夕顔

夕顔

 夕顔を見よう、と貴方は言った。
 八月最後の週末だった。
 なんで、そんな顔見せますか。
 新しい品種を手に入れたと年甲斐もなくはしゃぐ貴方に、私は呆れた声で呟く。
 茜が落ちてゆく時間に、私たちは一つの鉢を囲んでいた。陰って久しい庭先は案外涼しくて、夏夜と言えど外気は私達の体温を少しずつ奪っていく。
 明日の朝には枯れ行くこの花が、どうしてそんなに気を引くのかわからない。
 なんで、と漏れた声

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魚影

魚影

Twitter300字ssにて。
第六十七回 泳 より。

とぷん、と揺れた。
気付けば底にいた。
平行線の向こう側は、透過した青が煌めいている。
泡ぶくはひかりに吸い込まれる。

自由になりたい。

願っていたら魚になった。
誰も此方を見やしない。
誰も自分に気づかない。
愉快だ愉快だ、その筈だった。

望めば望む程果てがない。
この世界には終わりがなく未来もない。
何にもなれない。
そればかり

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ニンギョヒメ

等価な関係を求めた僕らは、
深夜の海底へ落ちてゆくのを約束した。

似通った指先も、爪の形さえ、
ただの容れ物で、この世を認識する殻でしか無かった。

冷たい水が身体に染み込む。手のひらのなけなしの熱も、境が溶けて一つになる。

『いきたいだけなのにね』

淡く彼女は笑って散った。泡が花びらみたいにほどけて上に向かう。

結局残されたのは僕だけだった。
透過した月光の道筋が、彼女をそらへ導けばいい

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ネヴァーエンド・ワンダーランド(1)

ネヴァーエンド・ワンダーランド(1)

都会の真夜中はいつだって明るい。
それはこの街に住む人間なら当たり前に知っていること。
どこに行っても人の騒めきや、エンジン音を轟かせた後をついてくる。等間隔で並んだLEDの街灯が己を照らす。
虫の鳴き声が静かに聞こえるような、そんな寂れた夜はやって来ない。誰かの息さえ感じないような、真っ暗さは何処にも。
けれど夜が深いと感じるのは何故なのだろう。
上を見れば、いつだって煌びやかに彩られたネオンで

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