0.01秒の世界で生きていくための集中力とタスクマネジメント


スポーツと集中力

「プロアスリートに共通する能力」は 集中力というのが一つの答えになる。日々の練習から荒野行動まで使い先は多様だが、そこへ没頭する能力は極めて高い。

サッカーでは入力から出力までに0.01秒〜0.1秒(体感値だけど)ということがある。相手と味方の動きを見て その短い時間でパスの強弱、方向、質の選択と実行を繰り返す。

例えば15mのパス(よくある)は角度が3°ズレると、78.6cmくらいズレる(直角三角形の高さの部分を想像してほしい)。175cmの人の歩幅はだいたい175×0.45=78.75cmで、ちょうど一歩分ということになる。 これは深刻なミスになる。

技術的には高校生くらいになれば誰でもできることを、プロがミスをする。つまり「集中しろよ!」ということになる。これはごもっともだが、問題は「集中もスキルである」ということで、それこそ狙ったところにボールを蹴るための努力と同じように、ハウツーとトレーニングが必要だ。


僕には集中力がない

イーロンマスクが服を着られない話は有名になった。服を着ている間に次にやりたいことを思いつくから、ボタンが留められないというやつだ(確か、堀江貴文の「多動力」にも書いてあった)。


高城剛は「多動日記」でこう言っている。

「45分経つと自然に別のことをしたくなる。だから2時間もある映画を続けて見ることはできないし、同じ本の執筆も1時間続けて行うことは難しい。執筆も、並行して何冊もの本を書く。」


多動という言葉が拡張して使われるようになった。ここまで極端ではないが、自分にも思い当たる部分がある。

飽き性で、移動のときは5冊くらい本を持っていないと辛くなる。何かしているときも他のことを考えてしまい、食べ方が汚なくなったり、物をこぼしたり、取りかかろうとしていたこと自体を忘れることがよくある。

本を読んだり人に会ったりして得たものをサッカーと掛け合わせ、自分がこういう感じになったのは「仕事のために外の世界から学んでいる」というより「外の世界で学んだことが仕事のためになっている」としか言いようがない。どう振り返っても、計算より先に純粋な好奇心があった。

こういう人間にとって 集中するというのは結構難しい。好奇心と言えば聞こえはいいが つまり色々なところに意識が散って、油断すると思考に溺れている。スポーツをする上では不利な特性になる。

だからこそ、集中力のない人間が 集中力を強く求められるスポーツで生きていくためには、こうした思考を完璧に処理する方法が必要だった。勉強しトライ&エラーを繰り返して構築してきた。

いかにタスクマネジメントし、いかに集中すべきことに集中するか。

フローチャート(処理プロセスの流れ図)にしてまとめると、おおよそ以下のようになった。

①GTDと外部刺激 ②タスクの処理 ③ジャストアイデアの処理

この三つに分解して解説してきたいと思う。


・・・


①GTDと外部刺激

GTD
まずやるのは、すでに内部に蓄積されたタスクを洗い出すことだ。認識できていないと管理もできない。

GTDというメソッドで面白いのは「すべての気になっていることを頭の中から外に出して把握する」というアクティビティだ。

些細なことから重大なことまで、休日に数時間確保してメモか付箋にひたすら書いていく。記憶の断片を辿り、実現されず脳内のどこかでそのままになっていること思い出してとにかく外に出す。 

かなりスッキリするので、詳しくは書籍を参考にして是非やってみてほしい。


外部刺激

あとは外部刺激によって都度発生するタスクだ。GTDのときと同様に仕事のこと、掃除、買い物、連絡、見たい映画、将来の夢に関すること、煮え切らない感情、人間関係の問題など、すべてが自分のタスクだ。

これまでのタスク(GTD)は膨大で、これからのタスク(外部刺激による)は絶え間なく押し寄せてくるが、フローチャート に沿って淡々と処理していく。


②タスクの処理

行動レベル?

顕在化したタスクをふるいにかけるの最初の質問は「そもそも行動できるレベルなのか」だ。紛争に関する本を読んで感銘を受けても、世界から満員電車をなくすための方法に気づいても、それは多くの場合 単なる思いつき(=ジャストアイデア)でしかない。

忘れる必要はない、ただ今の自分にとってのタスクではないことを認める。


考えるほど?

だいたいが考えるほどのタスクではない。公共料金の支払いは今この瞬間にコンビニ行けば済むし、誰かに連絡しないといけないときは スマホを取ってLINEを打てば片付く。すぐやる癖をつければタスクはたまらない。

もしくは潔く諦める。自分にとって重要ではない誘いは断り、何となく程度のやりたいことに対して やらないことを決断する。


いつやるか決まってる?

いつやるか決まっていないタスクは、気持ちの悪いタスクだ。パターンは二つあって(1)いつやるかまだ決めれないこと (2)いつでもいいこと だ。いずれも Google Keep に収納する。

(1)は重要度が高い可能性があるので、見えやすい位置に固定するなどして管理する必要がある。

(2)は大したことないので、カテゴリ毎に分けて適当にぶち込んでおけばいい。


いつやるか決まってることは Google カレンダーに日付と時間まで記載しておき、そのときに必ず実行する。


③ジャストアイデア

理解してる?

行動レベルでないとしてはじかれたジャストアイデアは大抵 深く考えられてない。そのままどこかに収納しても 次に取り出すときに何のことか分からなくなる。

というか、文章か画像のいずれかにしておかないと収納することもできないので、理解して何らかの形にする必要がある。

この作業にはA4の無地ノートを使う。大きくて線のないモノを使った方が発想しやすいとされている。

これは前々回のブログの草案で、あるとき思いついたジャストアイデアを構造化しようとしたものだ。

後にこうなる。A4ノートによるプロセスは、理解の程度によって何度か繰り返されべきだろう。


伝える?

伝える先があるかどうかというのは重要だ。常にそこを意識しながら自分の思考に向き合うことは、質とスピードを高めてくれる。

(現状は)伝えなくてもいいと判断したものは、例えば面白いツイートなんかはスクショして標語をつけて Evernote  にガンガン投下していく。

ツイート、ネット記事、誰かから聞いた話、自分で思いついたことも、スクショ、リンク、文章、画像としてほとんどが Evernote 行きになる。Chromeの拡張機能とかを使えばワンタッチで飛ばせる。


そして、伝えようと思ったことは note(ブログ)の下書きに書いておく。

これはタスクへと変化し、いつ書く/発表するか具体化すれば Googleカレンダーに予定として記載されることになる。


理想の状態とは

コンピューターのメモリとハードディスクの違いを説明するときに、メモリは机の大きさ、ハードディスクは引き出しという例えがある。

ワーキングメモリという言葉は脳内で何かを考えるときの作業領域を表すが、これは同じように机にどれくらいの大きさがあるかということである。

狭く、もしくは散らかった机の上では、資料を広げたりいくつかの選択肢を並べて見比べたりできず、高いパフォーマンスは発揮できない。更に、片付けたくなったり、関係のない資料を読みたくなったりして集中できなくなる。

正しくタスクを処理できれば、脳内の机の上をこのように真っさらにできる。四つのサービスが引き出しのようなものだ。

何となくでも覚えておくとか どうしようかと迷っているのは、机の上に置きっぱなしにするということだ。集中してクリエイティビティを発揮したいときには邪魔になる。

引き出しがあり どこに何が入っているか管理できる自信があれば、机からどかして 一時的に完全に忘れることを躊躇しない。必要なときにだけ開き、必要な情報だけを机の上に戻して検討すればいい。


雑念の破片

なぜここまでするか。

自分は雑念の破片すら残さないことを意識している。

A案とB案を机の上で検討しているときは、普通にそれなりのタスクマネジメントができていれば C案(雑念)は机の上にないはずだ。ただC案をとめるときに使っていたクリップ(雑念の破片)が机に落ちていたら、思考が一瞬 C案に引っ張られないだろうか。自分にはこういう感覚がよくある。

試合中、パスコースAとパスコースBを考えている1秒に、普段からの監督に対する不満(雑念)がこみ上げてくる人間はいない。ただ自分が良い具合にプレーできていなかったり、チームが劣勢に立たされていたり、しんどくて堪らないときに、未処理のタスクは「迷い」とか「言い訳」として、0.0何秒かだけ姿を現す(雑念の破片)。

もちろん少し考えれれば、今はそんなことを忘れて パスコース選びに集中しなくてはと言い聞かせることができる。しかし スポーツにそんな猶予はない。0.01秒だけ意識が散って戻ったときにはもう取り返しがつかないことになっている。雑念の破片すら、致命傷になる。


そしてこの問題は、人間関係のタスクを未処理にしているときに生じやすい。誰かに対して不満があれば、必ずフローチャートに沿ってタスクとして処理しなくてはいけない。

行動レベルでない不満は、一度 自分の中で論理立てる必要がある。考えるほどでなければ すぐに言えばいいし、もしくは諦めて自分に矢印を向ける。適切なタイミングで 適切な人に言ってもらう方がいい場合も多々ある。そういうときはそういう計画をカレンダーに立てればいい。

何よりそのままにしておくのがダメだ。安易に忘れようとか 今はいいとか、そういう割り切りができるほど我々は単純ではない。特に人間関係においては。


・・・


仮に スポーツのように数秒で勝負が決まる世界に生きていないとしても、スポーツのように高い集中力を持って その数秒にすべてを賭けるように行動できれば、きっと楽しい。

大事なことは、いつもそういう瞬間にある。








この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

僕も好きです。
117

井筒 陸也

敗北のスポーツ学

スポーツとその周辺について
6つのマガジンに含まれています
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。