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やっちまった無責任男・高田純次のウラヨミ

4月に事故を起こしていた高田純次さん

無責任男・高田純次さんが4月に当て逃げ事故を起こしていたことが発覚しました。本人は当て逃げを否定しており、気付かなかったと言っているそうです。
詳細は明らかになっていませんが、首都高で合流した際にぶつかったそうで、ぶつかられた方がパッシングやクラクションを鳴らし、次のランプで降りて対応したそうです。

そこで、決して逃げたのではなく、気付かなかったことと、異常を察知したが、高速道路だった為止められず、逃げたのではないと弁明しています。

問題は「ナッシング発言」です。

2つのタブー

今回の事故は、最近ある「2つのタブー」を犯してしまいました。一つは「当て逃げ」です。元モー娘。の吉澤ひとみは芸能界を引退し、ノンスタイル井上は芸能活動を自粛することがありましたが、芸能人である為、過敏になってしまうのは仕方ないことです。そして、厳密に言えば「当て逃げ」にはならないかもしれませんが、被害者は当て逃げされた、全治2週間の怪我をしたとして、慰謝料を1000万円請求する話も出たそうです。

一連の流れはこのようなことですが、高田純次さんと被害者との音声のやりとりが録音されており、そこで、

「今20万円持ってます。それである意味、ナッシングって言い方はおかしいですけど・・・」

という発言をしているのです。
高田純次さんらしいといえばらしいですが、芸能界というフィクションの中での無責任男は、ノンフィクションの世界では通用しないようです。

一応、まだ事実関係がどうなのかはわからず、相手が悪質だったり当たり屋のような可能性もあったりしますが、どちらにせよ、高田純次さんにとってはマイナスイメージになってしまうでしょうね。「無責任男」と言うキャラを演じて、一見自由そうに生きている印象を持ってしまいますが、そういうイメージやキャラだからこそ、今回の対応はマイナスになってしまいますね。ただ、イメージの逆転も不可能ではないので、この問題が起きたことで、良い方向に向かって欲しいものです。

もう一つのタブー

もう一つのタブーは、「高齢者による事故」です。特に最近よくニュースになっている高齢者による事故ですが、高田純次さんも72歳で、高齢者に分類されます。また、ここ10年で、3回事故を起こしているということで、やっぱり事故を起こしたのではないかという見方が強くなってしまいますよね。

世の流れとして、高齢者の事故が増えていることを、有名人である高田純次さんが起こしてしまったということで、ますます高齢者事故の認知度が高まり増えていってしまう可能性があります。このタイミングで事故を起こしてしまった(明らかになった)のも、ある意味不運かもしれません。
悲惨な事故が増えており、事故が無くなることはないでしょうけど、少しでも減らしていきたいですよね。

どうすればよかったのか?

高田純次さんが高齢であることは、変えようのない事実です。
「無責任男」というキャラで成功してここまでやってきたこと、それも高田純次さんの個性であり良さだとも思うので、それも変える必要はないでしょう。
高田純次さんの「無責任男キャラ」というのは、本当に「無責任」なのではなく、「笑い」というものに対して「責任」を持った「無責任男」で在るんだと思っています。きっと、元々持っている一面には変わりないとは思いますが、きっと高田純次さんはそのキャラを「責任」を持って演じているんだと思います。

ただ、事故後の「ナッシング発言」というのが、本当に「無責任」なものになってしまった。それが残念と言うしかありません。仮に、相手が悪質な人だとしても、余計なことを言わず、笑いに責任を持っていたように、自分の言動に責任を持つべきだったと思います。

「責任」は、本当の意味では自分のことしか背負うことはできないと思います。そして、謝罪したり辞職することは責任の取り方ではなく、自分のやらかしてしまった言動を受け入れることだと思います。
本当にぶつかったことに気付かなかったのなら、ありのままを話していれば良かったんだと思います。そうすれば、批難されるどころか、株が上がったかもしれません。

責任を取る潔さにあるのは「自助論」

頼り甲斐のある上司は、「俺が責任を取るから、お前の好きにやれ」と言うセリフが似合いますよね。
なぜ頼り甲斐があるかというと、自分を信じていてくれることと、ミスをしてもカバーしてもらえる安心感があるからです。

ならば、これを自分自身でやればいいんです。自分に対して、

「私が責任を取るから、私のやりたいようにやれ」

と、自分を信頼し、うまくいかなくてもその結果を受け入れることや、上司が部下をフォローするように、自分自身をフォロすればいいんです。これを「自助論」と言い換えられることができます。
一度や二度は目を背けたり誰かに頼ったとしても、目を背け続けたり、誰かに頼り続けることはできません。頼り甲斐のある上司のように、自分自身をフォローしていける人間でありたいですね。

どんなにいい加減でも「無責任男」でも、自分がすることに責任を取るからこそ成り立つものです。本当に「無責任男」だったら、世から必要とされないでしょう。自分を含めて、誰でも事故を起こすことはあることだし、間違うこともあります。人間だもの。上司が部下の責任を負わないまでも、せめて自分自身の責任を取れる人でありたいものです。

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