見出し画像

マスコミによる報道の功罪

私たちが目にする、耳にするニュースは、マスコミが報道しています。
良いニュースも悪いニュースもあり、必要なニュースも無駄なニュース、緊急のニュースなど色々とあります。

報道の「功」

ニュースがなければ、私たちは自分たちの目の届く所の情報しかなく、とても限られた情報しか手に入りません。しかし、マスコミのおかげで、海の向こうのニュースまで知ることができます。それにより、今どこで何が起きているのかを知ることができるのです。

以前、2歳の子供が行方不明になり、「スーパーボランティア」と呼ばれる尾畠春夫さんが発見するということがありましたが、報道によって一人の大事な命を救うということがありました。他にも報道によって、犯罪者や脱獄囚を逮捕するきっかけになったりすることもありました。

海外でスポーツ選手が活躍していたり、あまり陽の当たらない活躍が日の目を見て、ブームになることや、感動や勇気を与えてくれるようなニュースもあります。

こういったことは、間違いなく報道によって命が助けられたり、犯人逮捕に繋がる者として、貢献したと言えるでしょう。
しかし、必ずしもこのような貢献することだけではありません。

報道の「罪」

報道とは、事実をそのまま伝える事が必要です。しかし、人が伝える以上、多少なりとも個人の感情が入ります。もちろん、それは悪いことではありません。それにより、「この人のニュースが見たい」と差別化できるからです。これは「罪」とは言えませんが、何が「罪」に当たるのか?

それは、ニュースで情報を知ることで、自分が思いもよらなかったことを知る事ができます。特に、犯罪等のニュースに関しては、そのニュースを知る事で、そんな事ができるということを知ってしまうのです。

犯罪の輪が広がる

例えば、思ってはいるものの、行動には移せない場合、ニュースを見てその方法を知ったり、既にしている人がいると知ってしまったことで、行動してしまうということです。これはつまり、「犯罪の輪を広げる」ということになってしまいます。

例えば、以前線路に入ってダンスの動画を撮り、SNSで流したりする中高生のニュースをよく見ましたが、もちろんその動画にはボカシが入っており、誰かはわかりません。ただ、その姿を格好いいと思い、真似をする学生が増えたのも事実です。中高生にとっては、線路に入って踊るという危険な犯罪行為を、己を貫く反社会的行動と見えて格好いいとでも思ったのでしょうか?俺も踊れるからこいつより格好良く踊ってやろう。みたいなことを思ったかもしれません。どう思ったかはわかりませんが、きっとそのニュースがなければ真似をする人はいなかったでしょう。

最近多い「バイトテロ」なんかも、まさにメディアによる影響が大きいでしょう。バイトをしていて不満に思っている者が、誰かの真似をして自分も同じように不満を吐き出している。顔が出ないのをいいことに好き勝手してしまい、大きな問題になっています。何の不満もなく働いている人の方が少ないでしょうが、メディアによって内在している不満が表面化したことは間違いないでしょう。

他にも誰かを殺したいほど憎んでいたり、抑圧に耐えている人がいるとします。そんな時に、自分と同じような状況の人が事件を起こしたとしたら、触発されて犯罪行為に走ることはあります。報道では、犯罪の手口や動機など、詳しく報じます。それにより、手口を知ることもできるし、共感することもあります

他にも、自殺のニュースなどでも、波紋を呼ぶこともあります。いじめに苦しんでいる人が、いじめを苦に自殺するニュースを見た時に、だったら自分も・・・と行為に及ぶ子がいるかもしれません。

そして、しょっちゅう報道されている「不倫」なんて、あの人がやってるなら私も・・・なんて言ってやってしまったり、不倫している自分をヨシと正当化してしまうかもしれません。

最近は、ピエール瀧逮捕により麻薬についての報道が増え、症状など危険性を報じてはいますが、必ずしも危険度だけではなく、どこか誘発するような危険性を感じもします。

報道の恐ろしさ「情報操作」

何より、メディアの影響力は大きいものがあります。それは、使い方によっては「情報操作」をすることも可能です。あからさまなものは伝わらないかもしれませんが、メディア嫌いだった元サッカー日本代表の中田英寿や、メジャーリーガーのイチロー選手は、以前はマスコミの質問に答えることは多くありませんでした。それは、編集や悪意にも似たようなもので、メディアが伝えたいところを切り取って報道することで、自分の伝えたいことが伝わらず、意図しないことが伝わるからです。

メディアによる報道によって、善人を悪人に変えることは簡単で、間違った情報を伝えることも少なくないでしょう。言ってみれば、洗脳と同じです。偏向報道と言われるものや、事実を事実として伝えるのではなく、視聴率や部数の為に事実を捻じ曲げて、面白おかしく報道したり、うまいこと切り取って、都合よく報道することもあります。

おそらく、純粋に事実を事実として報道するメディアは、存在しないのでしょう。

最も重要なことは、情報を受け取る自分自身

報道の功罪というテーマでお送りしてきましたが、もちろん良い面はあります。しかし、悪い面の方が多く感じ、目立つのも事実です。視聴率や部数の為に、都合よく報道されるものもあります。

大事なのは、報道とはそういうものだと認識して、報道を鵜呑みにしないこと。自分自身で考えて答えを出すことです。「全てを疑え」というよりも、「全てを信じてはいけない」という方が個人的にはしっくりきます。「信じる」ということは、その時点で思考停止するのと同じです。「疑う」ということも、エネルギーを使います。わざわざ疑わなくても、報道される表面的なものを鵜呑みにせず、客観的に捉えて自分自身で判断しなければならないということです。

勝手に鵜呑みにして信じるから、「裏切られた」と思うのです。そもそも裏は繋がっていないんです。テーマは変わってしまいますが、「信じる」ということは、「裏切られても構わない」と思えるかどうかです。「信じる」ということは、それくらいの覚悟がいるのでしょう。

どんな報道であっても、最終的には自分で判断しなければならない、というのが結論です。簡単に情報を鵜呑みにして信じてしまって、自分で考えないように楽をしてはいけません。結局痛い目を見るのは自分です。報道に限りませんが、特に影響力のあるメディアには気をつけて、自己判断できる自分でいたいものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?