「三多摩サマーオブラブ 1989-1993」第18話」
話は1986年の12月に遡る。
三多摩地区の美術大学に入学した私は、一足先にムサビに入学していた幼馴染とライブ通いをしていた。
その当時、私の行っていた美大の私の所属していた学科にはブラック・ミュージックを愛でる人間など居ないと思っていたからだ。
そして、渋谷のライブ・ハウス「LIVE INN」で定期的に開催されていた「ミッドナイト・ソウル・パーティー」というイベントに「ZAPP ft. Roger」が登場するとのことで、夜の10時という時間に渋谷の雑居ビルの最上階のライブハウスに居た。
客電が落ち、バンド「ZAPP」は「例の」ムカデ歩きでステージに登場した。
その時点で場内大騒ぎである。
そこへ「千両役者」Rogerが客席後方から肩車で入ってきた。
そこからの約90分間は「もう、腰が勝手に動かされてしまう!助けて~!!」という初体験のグルーヴの渦と「ファンク芸」の粋であった。
それから4年後の1990年12月、すでに三多摩美大オールスター・ファンク・バンド「岩石一家」で活動していた私、ハルノ、コヤマは、渋谷クアトロの「ZAPP ft. Roger」へと足を運んだ。
大学一年生の時よりも遙かに「ファンク・リテラシー」が高まっていた我々は、彼らの驚異的なパフォーマンスに完全に殺られた。
ライブのオープニング、完全にステージ注意を釘付けにされてからの「客席後方から肩車で登場」は、その後何回観ても引っかかった。
そして、バンドの驚異的な鍛錬、ロジャーの「目線」「動き」そして「トキヨ~!」という煽り、極めつけのトーク・ボックス。
そしてメンバー入り乱れての「ファンク芸」の数々(客席を二手に分けての「Party Over There? Party Over Here? 」からの「You don't wanna Party!? Good-bye!!!」と言って楽屋に帰っちゃうヤツとか、もう悲鳴を上げてクアトロの床を叩いて爆笑した)
それまで観てきたP-FUNK勢やJBすらも軽く超える「ファンクの頂上」を体験させてくれた。
以来、「世界で一番凄いのはZAPP ft. Roger」というのが我々の定石となり、
それ以来、渋谷クラブ・クアトロは「ファンクの聖地」となったのである。
そして時は戻って1991年の晩夏。
老舗名門ライブハウス「クロコダイル」での大活躍を経て、我がバンドは遂に「ファンクの聖地」渋谷クラブ・クアトロのステージに立つこととなった。
出演するのは3バンド、イベンターの提案で出番は各バンドのリーダーのジャンケンで決めることとなった。
そこでなんと、私は負けてしまった。つまり「一番最初」の出番である。
私は怒り狂った。
「ほっほ~、オレたちを一番最初に出すとはいい度胸だ」と(筆者註:先日、新年会で会ったコヤマとその時の話になったが、「もうジョージは異様に怒ってた!」とのことで、私の記憶よりも遙かに怒っていたようだ)。
我々はクアトロのショーに合わせて『マザー・ダイナマイト』というオリジナルのキラー・チューンを仕上げてあった。
後に、「え?あれってパーラメントの曲なんじゃないの?」と勘違いされた程の完成度の名曲であった。
そんな最高に仕上がったバンド・コンディションを「一番最初に」披露することとなり、
私は「見えない」懐中電灯を頭に巻いたハチマキに挟み、片手に「見えない」猟銃、片手に「見えない」斧を持って鬼神の形相でステージに上がった。
私の凄まじいまでの怒りは物凄く良い結果としてバンドに伝達し、過去最高の緊張感とテンションとグルーヴで、新曲も交えてステージ上を全員で暴れまくった(あたかも「ボストン暴動」の夜のJBバンドの如き緊張感であった※1)
その時私の頭に在ったイメージは「『地獄の黙示録』のキルゴア大佐によるヘリ爆撃シーン」である。
頭の中では、ワーグナーの『ワルキューレの騎行』が爆音で鳴り響いていた。
我々バンドはクラブ・クアトロのフロアを完全に焼き尽くした。
ビックリするくらいバンドのグルーヴも高く、私が怒り狂ったテンションがバンドと共に客席に伝わって行くのがハッキリと分かった。
ショーは未曽有の大成功。お客さんも、そしてバンドメンバーも大喜びしていた。
「カリスマ」ヌマサワさんは、ライブ直後に私に近づいてくるや、
「イワサワ~!!!オマエは宇宙で二番目に凄い!!!!一番はブッダだ!!!!」と意味不明な誉め言葉と共に握手を求めてきた。
そして、一息入れると次のバンドのステージをフロアの後ろから眺めていた。
場内は「ナパーム弾で焼き払われたジャングル跡」の様相で、
「なんか、もうイベントは全部終わりました」という空気であった(完全なる焼け跡に細い煙がプスプス立ち上ってるシーンをイメージされたし)。
次のバンドが登場し、「え~、前のバンドが凄いパフォーマンスを繰り広げてくれまして、、」とMCするが、場内は「し~ん」どころか「ぴき~ん」と静まり返っていた。
(だから言わんこっちゃない、、、)
これ以来、何度となくクアトロのステージに上がることになるのだが、
「岩石一家は問答用無用でトリ」が暗黙の了解となった。
例えプロのバンドと対バンした時でも、それの掟は従順に守られることになる。
(つづく)
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