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だれにでもおとずれる「闇夜」を生き抜くために



「ずっと家におると、マジで病むわ」


妹との電話で、彼女がこぼした。
7ヶ月になった我が子を愛おしく思いつつ、家に閉じこもり、なにもできない毎日に、そろそろ限界がきているようだ。


家でできること、したらいいじゃん。

そんなことは、妹もとうに試している。
裁縫や料理も好きだし、昼寝もする。
ゲームも漫画も、彼女を楽しませてくれる。
できる範囲で、自分を取り戻そうとあれこれ工夫しているようだ。


でもそうではない、そうではなくて。
彼女はただ、飛び出したいのだ。

なんのしがらみもない外へ。
ふらりと出かける自由。
時間もお金も、家に残した我が子の面倒をちゃんと夫が見てくれているかも、何も気にせず自分でありたい。

我が子や夫が嫌いなわけじゃないのに。
でも辛い。
家にいるのが息苦しい。
そんなことを思う自分が嫌になる、という。

妹の本音が、よく分かりすぎて、何度も何度も「わかる」と言い続けた。


わたしもそうだった。
ずっと家で子どもたちと遊び、家事をする。
それが役割なのも分かってる。
幸せであることも分かってる。
でも、たまにでいいから、今だけでいいから、ちょっとこの場じゃないどこかへ行ってみたい。

まさに「羽を伸ばしたい」といえばいいか、はたまた「両手を広げたい」とでも言おうか。

いつも両手は子どもの抱っこか、包丁やお鍋でふさがってるもんね。
なんなら足にもまとわりついてるよね。



妹とそんなことを言いながら、お互い育児の悩みを打ち明け続けた。
そして、どうすればいいか案を出し合う。


離乳食食べないんだよね。
時間を変えてみたらどうかな。

家でできるゲームや漫画ばっかやってる。
それがストレス発散ならええやんか。

家が片付かなくて。
うちもだよ、ほら見てよ。

好きな服着たいよね。
わかるよ、1年以上ワンピース着てないね。





ああ。
こうして分かち合える人がいてよかった。
本音で言っても責められないし、馬鹿にもされない、よく知った関係。
どんなにひどく、しょうもないことを言ったって、「わたしもそういうときある!」と励まし合えるだけで救われた。

遠くて気軽に会えないけど。
それでも電話で話せてよかった。

うちら、よおがんばっとるな。
うん、そうそう、また電話しよな。


そう言って、別れを告げた。



電話のあと、ふと糸井重里さんの「今日のダーリン」を開く。
すると、私たち姉妹にぴったりのことが書いてあって、思わずスクショした。

われら凡人、滅入るし、儚むし、鬱々とするし、元気をなくすし、絶望を感じるし、自棄っぱちにもなる。そういうことがあって、当たり前なのだ。
(中略)
そういうとき、人間にはすごい贈り物があたえられる。「エンターテイメント」である、大衆娯楽である。現実は、「じぶんはじぶんのまま」なのだけれど、なにかちがうものになって、その時間を生きられる。これを「気晴らし」と呼んでいいかもしれない。

糸井重里「今日のダーリン」1/10より


糸井さんいわく、ゲーム、小説、映画やドラマ、お笑い、歌や踊り、なんだっていいから、それをただ遊ぶ、楽しんで過ごす。

それが、だれにでもおとずれる苦しい闇夜を生き抜くために、大切なことなのだと語っている。




うーん。そのとおり。
というか、言葉選びがさすがだなあ。

「マジで病むわ」なんて言ってた、私たち姉妹の会話なんて聞かせられないよ。
そう思いつつ、妹にもスクショを送る。


育児だろうが仕事だろうが、だれにでも「マジで病む」日はおとずれる。
子どももそう。
新学期の今、学校に行きたくない子はたくさんいるし、がんばって行っても「マジで病むわ」と思ってる子も多いだろう。
うちの長男もそうだし。

だからこそ、ひとりで、夫婦で、家族で、大切な人たちで、「楽しいこと」をする。
それは、ごまかしでも逃げでもなくて、いたって健全な心の持ち直し方なのだ。




どんなに我が子がかわいいとしても、ずっとまとわりつかれたら辛い妹。
糸井さんの言葉を借りれば、ゲームだろうが漫画だろうが、「気晴らし」を楽しんだらいいのだ。

それでも、まとわりついてくる我が子の状態は変わらないけど。
もしかしたら妹の心の重さは、ちょっとだけ変わるかもしれないから。

そして、私自身も。
行き渋りする長男、まとわりついてくる次男をなるべく優しく包み込むためにも、次男の昼寝の隙に、しっかり「気晴らし」を楽しんでおけばいいのだ。

よし。
そうと決まれば、皿洗いなんて、後回しだ。

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