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お世話生活の背景*祖父母のお世話生活で思うこと〜part 0〜

いつも唐突に「祖父母のお世話生活で思うこと」を書いておりますが、
今回はその背景を書いてみたいと思います。

これまでの記事はこちら。
読んでくださった方ありがとうございます。


ちなみにここでの祖父母とは、父方の祖父母のことを指します。
少し長くなりそうなので、目次です。


家族構成について


もともと私の父も母も三重出身で、両家とも三重に家と代々のお墓があります。


こんな感じののどかなところです。

父と母が出会ったのも三重の職場で(なんで結婚したん?と本気で疑問に思うほどの相性の悪い二人ですが一応恋愛結婚です)、
結婚後は父の実家にて父の両親との同居が始まりました。
父には姉が一人、母には妹が一人います。
母方の方は母の妹が婿養子を取って、母の両親と同居しています。
(ちなみに父方祖父も婿養子。うちは本家でもなんでもないただの分家ですので、ただの田舎らしい話です。)

そこで生まれたのが私の姉と私です。
その後、私が小学校四年生くらいの時に、父の転勤と転職で父だけが他県に引っ越すことに。
単身赴任というやつですね。

私と姉はちょうど三歳離れているので、
私の中学校入学と、姉の高校入学のタイミングに合わせて、
母、姉、私が父の住んでいる県に移ることになり、
三重の家には祖父母だけが残されることになりました。

ちなみにうちは父も母も働いていて(祖父も祖母も昔働いていた)、
母の帰りが20時頃、父の帰りが22時頃だったこともあり、
半ば祖父母(というか祖母)に育ててもらったみたいなところがありました。

中学に上がるにあたって引っ越すときに、
この広い家(二世帯住宅という意味)に祖父母だけ残していくのか、と寂しく思った記憶があります。
ただ、みなさま既にお気づきの通り?、うちの父方祖父母はなかなかにエキセントリックな人たちなので、
いわゆる「おばあちゃん子」みたいにはなりませんでした。別に嫌いではなかったけれど。

祖父母の紹介


エキセントリックな祖父母って、どういうこと?と思われた方もいらっしゃるかもしれませんので、ここで私目線の祖父母の紹介を。

90歳の祖父(現在要介護3)は、高校を出てから省庁の組織で働くようになり、ノンキャリながらもかなり良いポストについてた・・・らしいです(私が物心ついた頃にはもう仕事を辞めていたのであまりよくわからない)。
一緒に住むようになってからだんだんわかってきたのですが、
祖父は祖父のなかで、「身内」と「他人」の区別をすごくつけている人だと思います。
「他人」(よそさん)には、すごく愛想がいいんです。横暴な話し方をすることもないし、気遣いもします。
でも、「身内」と判断した人に対しては、相応の情を持ちつつも、気遣いが一切なくなって、完全に「自分ファースト」な振る舞いをします(身内とは便利な言葉で、祖父にとっては自分の手中にある人という感じだと思う)。
その際たる例が、70年近く一緒にいる祖母です。

祖母に対しては昔から怒鳴り散らしてばかりで、
家事は(お風呂を出た後のバスタオルとか衣類の準備まで全部含めて)全て祖母任せ(料理はやるのが好きだったからやってたけど、後片付けは決してしない)、
自分の主張が通らないとすぐに怒鳴って拗ねてしまいます。

5年前くらいから祖母の身体が不自由になってきて、祖父が家事の多くを担うようになってからも、変わらず風呂後の着替えとバスタオルの準備をさせていますし(していないと烈火の如くキレる)、自分の粗相の片付けもやらせています。
それに、自分の体調が悪くて夜寝付けない時には、別室ですやすや寝ている祖母のことが気に入らないのか、わざわざ祖母の寝ている部屋まで行って、壁を叩いたり仏さんの鐘を鳴らしたりして、祖母のことを起こそうしたこともありました(実際に殴る蹴るはしないけれど、完全なモラハラですね)。
祖父の祖母に対する横暴は昔からですが、歳をとってさらにその面が助長された感じです。

でも、「他人」と「身内」の間に入る存在である孫たちには、昔から祖父の怒りが向けられることはあまりありませんでした。
特に私たちが父の転勤で引っ越してから、久々に祖父母の元を訪れた時には、もてなそうとして焼肉とかすき焼きとかトンカツとかを作ってくれていました。
だから、父の姉の子供たち(と言ってももうみんな40近い)にとっては、いいおじいちゃん、なんだと思います(ただあんまり孫たちへの関心はなさそう)。
でも、この4月から私が同居するようになってからは、
私も祖母と同じ枠に入れられつつあるのか(?)、たまに命令口調で話されたり(「おい、〜しろ!」とか)、理不尽な怒りを向けられたりします。
現在はこうした祖父の態度に悩みつつも、どうやって付き合っていこうか考えています。

こう書くと、おばあちゃんかわいそう・・・と思われるかもしれませんが、
祖母はまた祖母でかなりのクセモノです(まあでも祖父の態度がひどいことには変わりがない)。
88歳の祖母(現在要介護3)はまだ、祖父よりは子供たちとか孫たちに関心がある方だと思うのですが、人の気持ちを察することが苦手なタイプなのです。
そして同時に祖母は非常に完璧主義でこだわりの強いタイプ
祖父が怒鳴ることは間違っているし、怒鳴ることに関しては祖父が100%悪いと思うのですが(実際祖母に関係ないことで怒っていることも多い)、
やりとりを見ていると、祖父が怒鳴る気持ちもわからなくない・・・というほどに、煽りをかましてきます

例えば、私がゴミ捨てに行った日のこと。
この地域はゴミ捨て場に金属製のゴミペールがあるので、夜のうちに捨てに行く人が多く(むしろ朝捨てに行くといっぱいで溢れそうになっている)、私も自分が捨てるときは夜のうちに捨てに行くことがほとんどです。
ある日、祖父と祖母が続けてお風呂に入っている間に、家のゴミを集めて、捨てに行きました。
家に戻ってくると、ちょうど祖母がお風呂から上がったところでした。
その時に放った一言が、「あれ?ゴミ捨てに行ったん?ちょっと、洗面所のゴミ、そのままなんやけど。なんでこれ捨てへんのか、わからんわ〜。
いやいやいや・・・そこのゴミ、回収しましたけど。
でも祖父がお風呂に入った時に紙パンツを捨てていったんですよね。
それを指して、ゴミが残っていることに関してずっとぶつぶつ言い続けるんです。うちの祖母は。
こちらが事情を説明しても、ずっと文句を言い続ける。

祖母のこういう傾向は祖父同様、歳をとって、身体が不自由になってから(腰が横に曲がっている)、さらに強くなったように思います。
特に昔はアクティブな人で、50歳を過ぎてから運転免許を取得して、私や姉の学校や習い事の送り迎えを全て担ってくれていました。
身体が動く頃は全部自分でできていたからこそ、思うように身体が動かなくなって、人に何かをやってもらう時にも、完璧を求めちゃうんですよね。
そしてもともと人の気持ちがわからない&歳をとって余裕がなくなったから、そのこだわりを文句として相手にぶつけてしまう。

ゴミ捨てに行った私に対して、まずは「ゴミを捨てに行ってくれてありがとう」と言うとか、残ってる紙パンツは次のゴミに回そうと自分の中で納得するとか、そういうことは一切ないわけです。
ちなみに同居する前にこの家に帰省した時には、「ただいま〜」から息つく間もなく用事を言いつけられていました(うちの姉は妊娠8ヶ月くらいの時に帰省して、重い荷物を運ばされそうになっていたから、流石に止めた)。

そんなこんなで、祖父も祖母も、もともと性格に難ありなところがありつつ、特に歳を重ねた今、著しく社会性を欠いた状況となっているわけです。
だからこそ、祖父母はいつも口喧嘩をしてます(それでも当時では珍しく職場での恋愛結婚だったらしく、若い頃はそんなこともなかったらしい)。
この状況を前提として同居がスタートしたので、お互いが暮らしやすいように住むには、お互いに相当な努力が必要でした(もちろん私だけではなく、祖父も祖母もすごく頑張ってくれていると思います)。

偶然の同居からお世話生活へ


では、なぜこんな状態の祖父母と私(と猫)が同居するようになったのか?

実は、最初から祖父母のお世話をするつもりで私がこちらに移り住んだのかというと、そうではありませんでした。
現在は介護度が比較的高い二人ですが、私が引っ越してきた当初はまだ祖父が元気(多分要介護1くらい)で、車を運転していたし、ご飯の準備も後片付けも自分でやって、それに畑(そんなに広くはない)の管理もしていました。

私はというと、高校卒業後は大学進学のために関西で一人暮らしを始めて、
今のパートナーに出会ってからは、京都の大学に通いながら大阪で一緒に暮らしていました。
でも、プロフィールに少し書いた通り、諸事情あってパートナーと広島に家を買ったんですね。
それでパートナーが先にあちらに移住してしまったので大阪に住んでいる意味がなくなって、
住む家を探していたときに偶然三重に住むことを決めたという流れでした。

だから、同居を始めた当初は、そこまで私が祖父母の家事に干渉することもなく、自分の家事と一緒にやる、といった感じで生活が回っていました。
でも、6月頃から祖父が体調を崩し始めて、入退院を繰り返すようになってからは、状況がガラリと変わりました
祖父の介護度が上がって、ほとんどの家事ができなくなってしまった分、私がその部分を下支えするようになりました。
そして家族の意思で祖父が運転するのを諦めてからは、買い物や通院のお世話なども私が担うように(祖父が車の運転をやめたことは本当に良かったです、けどそこに至るまでがすごく大変だったのでまた別稿にします)。

同居して半年で(主に祖父の)状況がずいぶん変わってしまったので、
それに合わせてヘルパーさんの支援を増やしたり、宅配弁当を頼んだり、などしつつ、なんとか現在の生活を回しています(回らなくなって発狂しそうになることが多々ありますが)。

でもこの半年間で起こったことは悪いことばかりではなくて、
祖母が随分明るくなったんですよね。
たぶん、誰も話し相手がいなかったところに(祖父とは会話にならないし)、私という話し相手ができたことが大きかったんだと思います。
デイサービスやデイケアーは行くのが大変、と言って数年前に行くのをやめてしまっていたので。
さらに祖母は、なんとか自分で家事をやってやろう、と意気込むようになって、不自由な身体を一生懸命に使って洗い物をやったり洗濯物を畳んだりするようになりました(これまで洗い物は完全に祖父任せでした)。
そして一番良かったのは、祖母が「ありがとう」という言葉を口にするようになったこと。
これまで祖母は、家族のなかでも「ありがとうを言わない人」と評されてきたのですが、その祖母が、私に対してだけではなくて、祖父や私の父母に対しても「ありがとう」とよく言うようになったんです。
そういう変化を見ていると、お世話生活の苦労も報われるような気がしています。

ここで大事なことは、このお世話生活が期間限定のものだということ。
私が祖父母を看取るとか、最後までお世話をする、ということは家族も、祖父母でさえも、全く期待していないことです。
たぶん私が偶然的に同居を決めていなかったら、今年の6月に祖父が体調を崩した時点で祖父は入院、祖母は施設へ、そしてその後祖父も施設へ、という流れになっていたと思います。
今のところ、私が祖父母との同居を解消するまでは一緒に住んで、そのあとは祖父母共に施設に入居するということになりそうです(施設はもう良さげなところを見つけています)。

この期間が祖父母が「自分の家」で暮らせる最後の期間であるということをどう捉えるかはさておき、ゆるゆるとお世話生活を過ごしていきたいと思っています。

以上、お世話生活の背景でした。お読みいただきありがとうございます。
現在も日々事件が起こりながらも、なんとか3人➕1匹での生活を営んでいます。
最近では祖母の家出事件なんていうのもありました。また書ける時に書きますね。

それにしても祖父母は、弥生(猫)に対しては絶対的に好意的なんですよね。それはすごくありがたいです。
うちは昔から犬や猫を飼っていたので、慣れているのもあると思いますが、多分二人とも猫好きなんだと思います。
祖父母の年代だと、動物を可愛がるみたいな概念がちょっと違う人たちも多いと思うので、助かってます。


祖母が食べる食卓に登る弥生、でも食事には興味なし。

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