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【本要約】最大多数の最大幸福


2022/4/23

功利主義

ベンサム ( 1748 - 1832 )

功利の原理
関係者全員が、その行為によって受ける快と不快を、すべてあげていく。そして、全体として、快が多いなら、その行為は、善い行為であり、不快が多いなら悪い行為と捉える。

限られた幸福をできるだけ多くの人に、できるだけ多く分配すること、最大多数の最大幸福が、功利主義である。

功利の権利は非常に単純でわかりやすい。しかし、人がそれを受け入れるのは困難である。

論理で、感情は、超えられない。
感情は、論理で、制御不能である。

ベンサムは英国の慣習と道徳に基づいた自然法を批判し、功利の原理に基づく、新しい法体系を推奨した。人間の行為は「 すべて不快を避け、快を多く得るためのものだ 」と主張した。国は「 社会全体の幸福を最大化することを目指すべきだ 」と論じた。

個人は、それが他人や社会に不快を与えない限り、どんな行為をしてもいい。
それが、常識や道徳で非難される行為だとしても。

功利の原理に反対する者は、この権利が自分の既得権益を損なうことを知っている者だ。

刑罰

不快は悪なので、刑罰も本質的には悪である。それゆえ刑罰は、社会全体の利益に関わる場合のみ、適量与えられるべきだ。刑罰は、報復のためではなく、犯罪の抑止のために用いられるべきだ。

さらし刑
大衆によるリンチ ( 法によらない私刑 )

娯楽というものがほとんどなかった古代や中世の人々にとって、刑の見物やそれに伴うリンチは、日頃のうっぷんを晴らす最大のチャンスだった。罪人とされる者を痛めつけることで、正義感を満足させることもできる。何より、さらし者をいたぶることは一種の共同体の儀式であり、リンチに参加しなければ自分が仲間外れにされる可能性もあった。

快と不快

人は、みな、正しい幸福の計算機を持っている。誤るのは、計算機の使い方がわからないから、功利の原理を知らないからだ。

人は神に仕えているのではない、人はみな自分に仕えている、自分の快と不快に仕えている。

聖書が不変の真理ならば、時代によってその解釈が変わるはずがない。

歴史のいかなる人物も、私たちより、若輩者である。私たちは、偉人よりも後の時代に生まれている、彼らより、知識人がある、年長者である。古い権威や知識には根拠のないものや誤りが多いことは、科学技術で証明済みだ。

【 功利主義の量的把握 】
① 快の大きさ
② 快の長さ
③ 快の確実性
④ 快を手に入れるのに、かかる時間の長短
⑤ 快の多産性
 その快から連鎖して生まれる別の快
⑥ 快の純粋性
 快が不快を生み出さないかどうか?
 もし不快を生み出すなら不純性が高い。

  1. 功利の原理では、快が善で不快を悪と捉える。

  2. だから、自分の快を求め、不快を取り除くことだけを考える。

  3. それでも、社会が乱れないために、政治と法律がある。

  4. 刑罰によって快以上の不快を味わうから、やめておこう。

少なくとも、社会に害を及ぼさない行為である限り、何を選んてもいい。社会とは個人の集合体に他ならない。

個々人で、自分の快を考えて幸福になることで、社会全体としての幸福となる。


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