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「スマホを拾って届ける」という偽善

「悪魔とのおしゃべり」からの思考


2021/9/20

携帯を拾う

道に携帯が落ちていた。

ケースにプリクラが貼ってあったから、「近くにある学校の生徒のモノだろうな」と思った。学校に向かって、来た道を引き返した。急いでいて時間がなかったら、そこまでは、できなかったかもしれない。幸い、俺は急いでいない、時間にも心にも余裕がある。

校門にいた学校の生徒に話しかけて、携帯を渡した。
「ありがとうございます」と言われた。

別に、その人の携帯ではないけど、その人は「ありがとう」と言った。
自分の学校の人のモノだから、「ありがとう」と言った。
自分が所属する人のために「ありがとう」と言った。

「ありがとう」と言われたくて、届けに行ったわけじゃない。
「誰かが困るだろう」と思って、引き返した。
自分が携帯を失くしたら、困るから届けた。

携帯を失くした人は、見つかって、喜んでいる。困っていたことが解決して、嬉しい。

「いいことをして気分がいい」「気持ちがいい」とおもう。

誰かのために役立つことは、誰かのためのようで、結局、自分のためだ。

誰かが困っていることを助けるために、何かをしたつもりになっているけど、その行為によって、自分が悦に浸りたいだけだ。だから、偽善だ。

俺が携帯を渡した人が、携帯を悪用して、持ち主に携帯を失くすよりもっと酷いことをするかもしれない。限りなく0に近い可能性だとしても、0じゃない。そうしたら、俺の行為は、余計なことになる、悪いことになる。

絶対的な善など存在しない。
正義というのは、自分の価値観のことだ。

正義のヒーロー

その価値観は、「アンパンマン」や「仮面ライダー」や「戦隊モノ」で、作られているかもしれない。

「正義はヒーロー」、「悪は敵」という刷り込みによって作られた価値観だ。

本当にヒーローは、善いのか?
本当に敵は、悪いのか?

怒っている人と、笑っている人は、「怒っている人が善い」「笑っている人が悪い」ということか?

ヒーローはいつも、怒っている。
敵はいつも、笑っている。

笑うよりも怒る方が正しいのか?

この社会は、何も存在しない世界で、自分の価値観を、自分の正義を振り回しているだけだ。

新しい視点を得ると、世界が違って見える。
多角的な視点があれば、世界を反転することだってできる。


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