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【本要約】何でも見てやろう


2022/1/18

知的食欲

私には、一旦こうと思いこんだら「 是が非でも見に出かけなければ気が済まない 」というアホらしいほど、旺盛な好奇心があるのだ。

そいつが「 私をアメリカへ放りやった 」も言ってよい。とにかく、私は、アメリカを見たくなった。ただそれだけのことであった。

アメリカを見ることで、自分の存在を確かめたい。
出発するにあたって「 何でも見てやろう 」と決めた。
もともと、私は何でも見ることが好きな男であった。

「 まあ何とかなるやろ 」という結論は、簡単であった。私は、むやみやたらと歩きまわり、むやみやたらとモノを見て、貴重な青春を浪費していた。

「 何でも見てやろう 」の旅に出かけていなかったとしたら、私はどんなことをしているか、いや、もっと端的に、今どうなっているか。ときどき考えてみることがある。

深夜、私は思い立って深夜のホノルル散歩に出かけた。私は「 何でも見ておかねばならない 」のである。

アメリカで日本の常識は通用しない。アメリカ社会は、常識外れに満ちているように見えた。アメリカ社会を見るとき、私たちは、自分の常識を疑う必要がある。

私は「 何事でも見て、やってみなければならない 」

人は、何でも、誰からでも、褒められると嬉しいモノである。

私が、もし「 異常だ 」とすれば、それは「 知的食欲がどうかしている 」のである。

私は「 何でも見よう 」と思った。あらためて、私はそう思った。水の出ない国も、チョロチョロの国も、お湯の出る国も、出ない国も、私は「 すべてを見て歩かねばならない 」

私は、何でも見なければならないのだ。

おもえば不思議な旅であった。私は貧乏だったから、私の「 何でも見てやろう 」という野望には好都合であったかもしれない。私のような状態に立ち入れば、人は嫌でも社会の底みたいなところを目撃しなければならないだろう。それは、ときに楽しい、そして、確かに有益な経験ではあった。だが、ときには悲しげで不快で、うんざりしてたまらない経験でもあった。私は、あるときには人間ではなく、動物であり虫けらであった。

あとがき解説

僕らもまた深く傷ついたのだ。僕らは戦争を注ぎ込まれたのだ。ちょうど、輸血された血液を受け入れるように、僕らは全身でそれを受け入れたのだった。

この傷はかえって他のどんな世代より傷跡より深いのだ。知識として戦争を教え込まれた人は、まだいいのだ。新しい知識を得れば、その偏見を正すことができる。

けれど、僕らには、できないのだ。僕らは、もうひとつ深いところで、おそらくは、無意識下で戦争を受け入れたのだった。

新しい教育は、それを正すことができるかもしれない。

けれど、無意識に刻みつけられた傷痕はどうなのか?

形は変わり、記憶は薄れても、何かの痕跡が、無意識のどこかに残っている。傷痕は、一生、僕らにつきまとうのではないだろうか?

アメリカとヨーロッパ

現代の私たちの文化が、西洋も東洋もごちゃ混ぜにした雑種文化であることを念頭に置いた上で、アメリカで自分を試したかった、自分の存在を確かめたかった、異質の文化を持つ自分をヨーロッパという「るつぼ」の中で試したかった。

アメリカで感じるものが、私たちをその中に否応なしに含めてしまった現代の重み、同時性の重圧であるとするなら、ヨーロッパでは、私たちの外で、私たちとは無縁に成立した、歴史の重みである。

アメリカも西洋の一部であるが「 ヨーロッパは3000年の歴史を誇る西洋の老舗の本店 」だとすれば「 アメリカは支店 」である。

日本とアラブ・インド

日本より、西洋の社会の空気のキメが粗いが、アラブやインドはもっと粗い。

日本は人間的である。日本は現世的であり現実的である。

霊魂といった思想が、アラブやインドは、とても強く大きい、西洋は強いが大きくはなく人間サイズくらいの感じである。

西洋なら、生地のままの私で入っていける感じだが、アラブやインドは、自分の心をひとつひとつ鍛え直してからでないとダメな気がする。

日本が明治以降に急速に西欧化できたのは、日本人の考え方や感じ方が、西洋の思想に近かった、少なくとも、アラブやインドよりは。

インド

ニュー・デリーでインドの作家は、口ぐせのように「われわれはアジア人だから」というコトバを使ったが、それは、ときどき何かしら、むなしいものの標本のように私の耳に響いた。

いや、こういう言い方はいけないだろう。他の言い方をしよう。

彼のそのコトバより、カルカッタで別のインドの作家が私に酔っぱらったあげく、どなった「 おまえとこと、おれのとことは、メチャメチャにちがうんだぞ 」というコトバのほうが、ときどきは真実に響いた、いや、私の身にズシンときた。

と言えばお判りになっていただけるだろうか。

「 アジアは一つ 」というぐあいに、私は、アラブの世界、インドの社会の最低線のところをうろついた後の私は、そんなふうに簡単に考えるわけにゆかないのである。

エジプト

カイロのホステルのヒッチ・ハイカーたちは、長旅に倦み疲れ、それでいて、旅を切り上げて、自分の所属していた社会に敢然と立ちかえることもしないでいる。彼らは匂った。彼らはもう長いあいだ風呂に入ったことがないのだろう、肉体的にも精神的にもそうであるに違いなかった。

体も精神も異様な臭気 〜 虚無的で不潔なすさんだ臭気を発していた。

しかし、これは私も同じであった。私の精神も私の体同様に、その臭気を発している。「 危険だ 」と私は思った。私は、やはり帰らなければならない。

何のために?

多分、自分の本当に所属する社会の中で、自分で自分に責任をとるために。

私は中央線の超満員の車内を思い浮かべ、そこで、つり革にぶら下りながら、本を読んでいるメガネをかけたサラリーマンの姿を心に描いた。

「 みんな、ああやって、毎日生きているのだな。」私は、そう思い、そのとき初めて
「 自分が日本へ帰りつつあるのだ 」という事実が実感として身に迫ってきたように感じた。

私が二年間ひとりで、ふらふらと世界を歩いているあいだ、日本人の友人たちは、めいめいの場所で、めいめいが、えいえいと、" 雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ " 働いていたのだ。

そんな感慨が私の胸にきた。

どうしてだか知らない、私は、ふと涙ぐみたいような気持ちで、意識の中のそれらの「 日本人 」の群像に対していた。

彼らは働いてきた、そして今も働いている……

著者感想

階層社会の隔絶をなくすためには、下層階級の生活水準の引き上げ、教育の普及、文盲の撲滅といった上層の下層への働きかけと同時に、いや、それ以上に、上層自身の覚醒が何よりも必要なのであろう。

このことを、私は他人事として言っているのではない。明治以来のわれわれの先輩たちの努力は、この方面にもある程度は向けられてきたのではなかったのか。 率直に言って「 その努力は無駄ではなかったし、立派なものであった 」と思う。

中近東やインドの現状ほど、ひどいものではなかったにしても、少なくともそれに近いところから出発して、今日のわれわれの状態にまでなしてきた先輩たちの努力、それを私は「 やはり貴いものだ 」と思う。

湯浅感想

50年前の世界旅
その時代にしか見ることのできない、その時代の切り取った世界の情景

それは、映像や音声や文字から得る情報では補いきれない事実がある。

自分がその世界に身を投じなければ、理解できない世界がある。

行動することでしか、体験できない感情がある。

アメリカ南部で、白人と黒人に分けられた社会の衝撃と、そこに放り込まれてしまう自分の心情が、生の声が、リアルに突き刺さる。

・私たちは、白人と黒人の差別があることを情報として、知っている。
・私たちは、カースト制度が今でも終わっていないことを情報として、知っている。
・「 人類は平等でなければならない 」という知識を持ち合わせながらも、世界には差別があることを、認識している。

日本には、日本人しかいないし、宗教が布教しているわけでもないから、差別を目にすることはない。同じばかりの社会では、違う社会の在り方を体験できない。差別の中に自分の身を置くことができない。白と黒が分けられた世界に身を置かなければ、自分がどちらかの色に区分されなければ、差別を体感できない。差別が実感できないから、日本人が「 人類平等 」という言葉を発しても、陳腐に映る。

行動することでしか、知識を本物の血肉にすることはできない。

一方で、同じばかりが生む弊害がある。「 同じことが正しい 」という同質性である。常識という名前の価値観で、同質性をはかるのだ。そして、その常識から、はみ出した人々を叩くことで、差別を構築する。差別は、人間の機能の一部なのかもしれない。人間には「 自分が、他人を下に見ることによって、優越を感じる 」という正体がある。

「 違う 」があるから「 同じ 」があるし、「 同じ 」があると「 違う 」が生まれる。

人間とは、何とも、複雑な機能を持っている。他人と比較することで、自分の価値をはかる。他人と比較することでしか、自分の価値を認識できないのかもしれない。人類平等は、戯言なのか?



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