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【読書】読書とは歴史を支える行為です?

読書は受動的な行為ではない。
能動的な行為だと信じています。

目の前に広がる文字の群れから
意味を読み取り、
世界観や人物を想像し、
感じたり考えたりしていく。
とてもクリエイティブな行為だ。

さらに、読書には、
もっと大きな役割もあると
感じる時があります。

読書は作家から作家へと
パトンを繋ぎ、
文学的な歴史を支えている!
ということです。

たとえば、最近死去した
作家の傑作を買って読むとします。
仮に、大江健三郎の
『同時代ゲーム』だとします。

これはまずまず売れました。
出版社は数回、重版をしています。
『同時代ゲーム』を読む人が
まあまあいたから、
全国の書店に広まりました。

そうやって誰かが
本を読書したおかげで、 
本は重版となり、全国に広まる。

そのおかげで、 
決して同時代ではないはずの
後進の作家、伊坂幸太郎さんが、
この『同時代ゲーム』を手にとり、
最初は苦しみ、やがて感動し、
創作の血肉になりました。

伊坂幸太郎が
『同時代ゲーム』に出会えたのは、
『同時代ゲーム』が発売され、
その面白さに気づいて、
多くの本好きが読み、求めたからです。

もし『同時代ゲーム』が
広まらなかったら、
伊坂幸太郎までは
リレーされることはなかったでしょう。

そんなことを言うと、
夏目漱石の作品だって、
明治、大正、昭和の本好きが
夢中になって読んでなかったら、
もしかしたら、
時代の荒波にうずまり、
夏目漱石はこの令和までは
読まれ続いていなかったかもしれない。

そうなんです。
色んな本好きがいて、
色んな作品を読んできたから、
小説は歴史をくぐりぬけてきたんです。
読者する人がいなくては、
文学は広がらないんですね。

それこそ、
読書は歴史を築きあげる
ボジティブな行為だということでは
ないでしょうか。

私が、あなたが、彼女が
読書した本は、きっと
歴史を乗り越えていきます。

読書されなかった本は、
どう頑張っても、
大学のゼミの先生が
無理やり買わせるだけの、
愛されない本にはきっと、
歴史を乗り越える力は
ないでしょうから(笑)。

どうでしょう!
読書は、能動的で、
クリエイティブで、
しかも歴史を築きあげるために
一役買っているというお話。

無理がありましたでしょうか。
少し強引だったでしょうか?
(笑)。

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