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【中東】村上春樹は、イスラエルに旅立った!?

2009年、村上春樹は
エルサレムに向かいました。
エルサレム賞の授与式に、
そうして、エルサレムで
スピーチをするために。

今朝、ふと思い出したんです。
あわてて『村上春樹雑文集』を
読み返しました。

『村上春樹雑文集』の中に、
エルサレム市でのスピーチ原稿が
やはりありました。
タイトルは「壁と卵」。
8ページの短さです。

エルサレムは
イスラエルの首都です。
ユダヤ人側です。

ここに住むユダヤ人たちと
いま対立しているのが
パレスチナ人です。
アラブ人側です。
 
紀元前の昔から、
ユダヤとアラブは領土をめぐり、
対立してきました。

2009年、村上春樹は、
ユダヤの首都エルサレム市から
文学賞を打診されましたが、
この時も、ユダヤとアラブは
激しい戦の最中でした。
そんな最中に、
村上春樹がユダヤ側の文学賞を
受けるのは、ユダヤ側につくことに
なるのではないか?という批判や
受賞は辞退した方がいいという話も
寄せられたりして、
話題を集めたのを覚えています。

2009年です。
14年前の出来事です。

イスラエルを巡る中東の争いは
ずっと長く続いていたのですね。

村上春樹は、
結局、エルサレムに行きました。
賞も辞退せずに受賞しました。

そのかわり、
賞をくれる側であるエルサレム、
つまりイスラエル側に媚びないこと、
イスラエルには改めて、
争いは人間の魂を傷つける
行為なのだと訴えることにしました。

これはかなりの賭けです。
ユダヤ人がいる首都に行き、
戦争は無意味どころか、
双方の魂を虐待しているのだ、
そんなスピーチをしたら、
狂信的なユダヤ人から刺されても
おかしくなかったでしょう。
村上春樹は、相当な覚悟で
式場にいたことは想像できます。

私がもしも村上春樹の
編集担当者であったなら、
やはり安全と無事のため、
受賞辞退を勧め、
ましてや、 
イスラエルに行くことは
止めて欲しい。
命を狙われるから。
そう嘆願したと思います。

最後に、村上春樹のスピーチを
少しだけ、引用させて下さい。
「私がここで皆さんに伝えたいことはひとつです。国籍や人種や宗教を超えて、我々はみんな一人一人の人間です。システムという強固な壁を前にした、ひとつひとつの卵です。我々にはとても勝ち目はないように見えます。壁はあまりに高く硬く、そして冷ややかです。
もし我々に勝ち目のようなものがあるとしたら、それは我々自らの、そしてお互いの魂のかけがえのなさを信じ、その温かみを寄せ合わせることから生まれてくるものでしかありません」

春樹が言う「壁」「システム」とは
国、政治家、軍隊、砲弾を指し、
「卵」とは生身の人間を指します。

このスピーチを村上春樹が
話していた時、たしか、
客席の最前列にいたエルサレム市長や
その関係者は、怒ったような、
また、困ったような、
苦虫を噛み潰したような顔をして
春樹を見上げていたそうです。

2009年の出来事でした。
それからもう14年。
いや、まだ14年というべきやか。

イスラエル側(ユダヤ)も
パレスチナ側(アラブ)も、
もう一度、この村上春樹の
スピーチを思い出したり、
思い返してくれないでしょうか?

春樹のスピーチを誰かが受け継ぎ、
また、新たな言葉で訴えていく、
そうした、リレーを
めげずに行うしかないでしょう。

争いを止めない人も
長い歴史を持つのであれば、
争いを止めたい人も
対話する歴史を長く築いていく
しかないにちがいない。
世界的に人気のある作家が
一度スピーチを行ったくらいで
事態が収まることはないのでしょう。
しかし、誰かが、
様々な人種や宗教の人が
語り、話し、耳で聴いていく!
あまりにシンプルで、
効力も期待はできませんが、
それしかないでしょうね。


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